闇に誘われる者、救う者
アレンがラスボスだった。その言葉を聞いた瞬間、ハワードは彼の元へと駆けよって行く。
怒りに我を忘れ、今にもノワールを殺しそうな勢いだ。
「アレン──」
「んっ……ふ、ぅ」
アレンの腕をグイッと引く。そして彼の艶やかな唇を奪った。やがてリップ音が鳴り、唇が離される。
アレンの目はトロンとしてしまい、先程までの狂気染みた表情は消えていた。代わりにあるのは耳の先まで真っ赤になっている、美しい顔だけとなっている。
「は、ハワード!?」
あまりにも唐突な彼の行動に、アレンはいつもの冷静さを失った。ハワードの逞しい胸板をポカポカたたき、頬を膨らませる。
「ごめんアレン、でも君が、このままだと闇の餌食になってしまうから」
「……っ!?」
怒りに狂い始めていたのが証拠となった。
ノワールという憎悪の対象を前に、アレンの心は闇に呑まれてしまっていたのも事実。
このままではレナの言うとおりアレンが闇と一体化し、ラスボスとして君臨してしまう。そうならないために、ハワードたちは彼に呼びかけた。
そのことを教えられ、アレンは絶句してしまう。
「……わ、私がラスボス?」
誰よりも事情に詳しいレナに視線が集まった。
レナは黙って頷き、思い出したのだと言う。
「あの黒い闇は、どのルートでもノワール様に取り憑いていました。だけど隠しルート……アレン様が唯一生き残れるルートは、ノワール様が闇の主ではなかったんです」
アレンは隠しルートで倒れ、意識不明なままにエンディングを迎えた。その原因は闇に呑まれ、聖女たちによって封印されたからだった。
他のルートのボスとしてノワールが登場するけれど、彼は操り人形にすぎない。
「……アレン様の心が壊れたあの事件、身を暴かれてしまったあの事件が、すべての発端です」
あの事件の後、アレンは怨みの心だけで生きていた。その隙を突かれ、闇に呑まれてしまう。復讐対象のノワールへ闇を送り、影で操り続けた。
けれど隠しルートでは皆が一致団結。その過程で、アレンの心と体が限界を迎えてしまう。
「アレン様は、このゲームの主人公です。影ですべてを操っていたなんて……誰も思わない。シナリオを作った人は、それを見越していた気がします」
かなり意地悪かつ、タチの悪い内容だ。レナはため息と視線をノワールへ送る。
「……私が闇に呑まれる、か」
ここにきて、何という爆弾が落とされたのか。そのことに呆れるしかなくなっていた。けれどここで、一つの疑問が生まれた。
アレンはレナにそれを尋ねる。
「なおさら、納得いかない。闇に支配されていたのならまだしも、それ以前に、なぜ私がこの男に、あんな目にあわされなければならないんだい?」
「……それは、ノワール様のお心が、あなたにあったからです」
「ん? ……んん?」
心があったとは、どういうことなのだろう。
アレンは腕を組み、小首を傾げた。
「アレン様、他人からの好意には、本当に鈍いんですね?」
レナは苦く笑む。
彼女の隣にいるルシアですら「あっ!」と声をあげて、何かを察したようだ。そしてレナ同様、アレンに哀れみの眼差しを向ける。
アレンはきょとんとしたまま。ハワードはハッとし、勢いよく彼を見つめた。
「……?」
「……あー、うん。ほら、アレンはアレンだし」
「は? 何を言っているんだい? ハワード、君は何かに気づいたのかな?」
「うん。まあ……」
アレンから視線を逸らし、頬を掻いて誤魔化す。アレンにどういう意味だと、ガクガクと体を揺らされた。
やがてハワードの方が負けを認め、困惑しながら教える。
「簡単なことだよアレン、兄上は、君のことを愛していたんだと思う」
「え? 私を? ……すまない。まったく、わからないんだが」
(えっと……この屑が私を好きだった? そういうことなのか? いや。それにしたって、そんなことあるのか?)
クールな態度はどこへやら。頭を抱えて百面相をしてしまった。
「アレン、兄上は君のことを愛していた。だからこそ、その心が手に入らないことに苛立っていたんだと思う」
そうですよね。その場で腰を抜かして尻もちをついているのへ質問した。
ノワールは両目を丸くし、アレンを視界に入れる。そして一気に顔を真っ赤にさせて「あー! うー!」と、唸ってしまった。
「そ、そうだよ。俺はアレンに初めて会ったあの日から、好きになってしまったんだ! 友になる人だと紹介された日から、君の美しさに惚れてしまった。だけど……」
アレンはノワールに対して、恋愛感情など持っていない。どれだけ振り向かせようともどこ吹く風で、いつもスルーされてしまっていた。
そんなとき、弟のハワードがアレンに急接近。そして二人は互いに惹かれ合っていく。
「悔しかった。俺の好きな人が……初恋だったアレンが、弟に取られてしまうことが! そこで俺は思ったんだ。心が無理なら、体だけでもと」
そして、あの悲劇を起こしてしまった。アレンの家族を死に追いやったことも、嫉妬と悔しさからくるものだ。
ノワールは涙ながらに、そう語る。
けれどそれはアレンにとって、許容できることでも、許せることですらなかった。
拳を握りしめ、唇を震わせる。
「ふざ、けるな!」
ノワールの服の襟を掴み、憎しみの表情だけを顔に乗せた。月の光を浴びて美しく輝く銀髪がボサボサになろうとも、女性顔負けの端麗な見目も、今の彼にとっては気にしている余裕などない。
たった一人の男のせいですべてがなくなった彼は、ただひたすらノワールを睨みつけた。
「アレン! もう、いい! もう、やめよう。兄上には、父上……国が罪を裁く。だからもう、苦しむのはやめよう?」
ハワードがアレンの腕を引き、抱きしめる。
「……うっ、うぅ」
アレンは少しずつ平常心を取り戻していった。瞳から涙が溢れてくる。ハワードを抱きしめ返し、彼の胸の中で嗚咽を溢した。
(私は、何をやっているんだ。この男を殴ったって、父上も、母上も戻ってこない。私の初めてすら……)
ゆっくりと、ただ静かに、心を落ち着かせる。グスッと、鼻をすすった。顔を上げればそこにはハワードの姿があり、アレンは次第に顔を真っ赤にさせていく。
ハワードが自らの袖でアレンの涙を拭いてくれた。その愛おしくて優しい指に、アレンはホッとする。
もう大丈夫だよと笑顔を見せ、ノワールへと向き直った。
「ノワール殿下、罪を償ってください」
真っ正面から本音をぶつける。そして踵を返し、ハワードとともにその場から立ち去ろうとした──
「アレン様、危ない!」
レナの叫びが轟く。
「……?」
アレンが振り向いた瞬間、彼の眼前に黒い霧が現れた。アレンの数歩手前まで迫るそれは、意思を持っているかのように彼へ一直線に向かっていく。
「…………え?」
アレンは声をあげる暇もなく、その黒い霧に包まれてしまった──かと思われたとき、彼の腕がグイッと強く引っぱられる。
「うわっ!?」
霧の誘いから脱出したアレンは片膝をついた。そしてよろめきながら体を起こす。両目を凝らして見てみれば、アレンがいたはずの場所にはハワードが立っていた。
黒い霧はアレンの代わりにハワードを包みこんでいく。
「……は、わーど?」
「あ、れん……愛して、いるよ」
ハワードの姿はあっという間に、霧に飲まれていった。
アレンは声を震わせながら、何度もハワードの名を呼ぶ。その声は悲壮を帯びていて、今にも絶望してしまいそうな……この世にたった一人残されたかのような、苦しみを含んでいた。




