#3話 宿命の親子喧嘩(後)
翌朝八時半。ゴクドー本社地下室。
静謐とも怜悧とも感じられる静けさの中には、その実、今にも爆発してしまいそうなほどに高まりきった士気が極限まで凝縮されていた。揺らぐことなく正面を見据えて整列する戦闘員の面々は、誰もがすでにそれぞれの戦闘服に着替えを済ませていた。
この戦いに負ければ、もうゴクドーの未来はない。
その場の全員の視線が集まる先には、この中にあってさらに異彩を放つ、巨体の男性の姿があった。
獄道さんはトレードマークの白いスーツの代わりに、燃えるような紅蓮のコートを羽織っていた。それは滅多に前線に立たない彼が、本気で戦うと決めたときにだけ着用する戦装束。葉丘や小暮さんでさえ、その姿を見るのは片手の指で数えて足りるほどだと言う。
身を斬るほどに鋭い静寂。誰も何も口にしない。ただ静かに、己の中でのみ激しく闘志を燃やし続けている。
待っている。内に秘めた炎を解き放つ、その合図を。
――その時だった。
獄道さんの巨腕が、ゴクドー地下室の天井へと高々と突き上げられた。おぉん、と空気が武者震いを起こす。それは地震で例えるところの初期微動。だというのに、たったそれだけで心臓がびりびりと震えた。
「言うことはひとつです」
なんの前置きもなく、穏やかでありながらはっきりとよく通る声で、獄道さんはその場の全員に告げる。
「最後に立つか倒れるか、それだけです。果たし合いの名のもとに、今日ばかりは正義も悪も等しく平等です。正々堂々真っ向から意地と志と誇りを懸けて、我々はこれよりサミダレンジャーに総力戦を挑みます」
それが最後の静寂だった。
天高く突き上げられた獄道さんの腕が、風を切り裂くように力強く振り下ろされる。
「ひとぉぉぉぉーーーーーつ! 一日一悪忘るべからずッ!」
「「「「「「「「「「ひとぉぉぉぉーーーーーつ!! 一日一悪忘るべからずッ!!」」」」」」」」」」
「ふたぁぁぁぁーーーーーつ! 誇りを持って悪と成せッ!」
「「「「「「「「「「ふたぁぁぁぁーーーーーつ!! 誇りを持って悪と成せッ!!」」」」」」」」」」
「みぃぃぃぃーーーーーっつ! 必ず最後に悪は勝つッ!」
「「「「「「「「「「みぃぃぃぃーーーーーっつ!! 必ず最後に悪は勝つッ!!」」」」」」」」」」
「よぉぉぉぉーーーーーっつ! 悪を語るは口より背中ッ!」
「「「「「「「「「「よぉぉぉぉーーーーーっつ!! 悪を語るは口より背中ッ!!」」」」」」」」」」
「よろしい! ――勝ちましょう、皆さん!」
「「「「「「「「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーッ!!」」」」」」」」」」
社員総勢六十八名。
火山の噴火のごとく、地下室一帯に激しい怒号が沸き上がった。
朝の光洋町にはあちこちから悲鳴が飛び交った。
傍目にはごく普通のビルから、とつぜんゴクドーの全社員が臨戦態勢で飛び出してきたのだ。人々の混乱と恐慌たるや推して知るべしといったところだろう。
それでもあたしたちは慌てふためく町の人々には目もくれず、ひたすらに前だけを見据えて走り続けた。向かう先はあらかじめ指定しておいた町外れの河川敷。十分な広さがあり、人通りも少なく、なおかつ戦いの被害を民家に及ぼすことのない場所。雌雄を決する場としては文句なしだろう。
大軍の先陣を切るのは獄道さん。そのすぐ後ろに葉丘が続く。殿に立つのは小暮さんだ。
あたしは入社したばかりの下っ端であるにも関わらず、どういうわけか葉丘の隣に配備された。獄道さんに理由を聞けば、葉丘がそうするように進言してきたからだという。
昨晩の一件があってから、葉丘のあたしに対する態度はずいぶんと和らいだ。元の性格が性格だから、傍目にはあまり変わっていないように見えるかもしれないけれど。
だが、その意味するところがわからないほど、あたしもガキではない。
いくら酔っていたとはいえ、昨日の杯は決してその場の勢いで交わしたものではない。今のあたしはサミダレンジャーじゃなく、ゴクドーの戦闘員だ。自分が何をするべきかはもうちゃんとわかっている。
やがて、小高い丘を挟んだ向こう側に河川敷が見えてきた。その先にはっきりと窺える四つの人影。相手は確認するまでもなく、あたしたちの戦うべき敵だ。
黄介が、みどりが、母が、――そして父が、それぞれの意思を込めた眼差しでゴクドーの大軍が到着するのを迎え入れる。
そして、光洋町の河川敷にすべての役者が揃った。
「やっとお出ましか、大将。待ちくたびれたぜ」
「時間通りだったと思ったのですがね。そちらはずいぶんとお早い到着のようで」
父と獄道さんは互いを鋭く睨み合う。
――その時だ。辺り一帯に雷鳴のような轟音が響き渡ったのは。
全員が即座に戦闘態勢を取る。
この謎の音の出所は――黄介からだ。
「父ちゃん、腹減ったー」
全員一斉にこけた。黄介の腹の音だったらしい。
「知るかアホ息子! 少しは時と場所を考えろや!」
いち早く起き上がった父が激昂しつつ叫ぶ。この時ばかりはあたしも父に同意だった。いくらなんでも今それはないだろあんた。
「だってさぁ、朝飯あんな少しじゃ足んないよー。これから戦おうってときにトースト一枚と目玉焼きはないっしょ」
「しゃーねーだろが、時間なかったんだからよ! 俺のメシまるごと分けてやっただろが!」
「このおれの胃がトースト二枚と目玉焼き二個程度で満たされるとでも思ってんのかよ!」
「なんで逆ギレしてんだよてめえは!」
早くも仲間割れする敵陣営。戦わずして同士討ちを始めてしまいそうな雰囲気だった。
「ううぅ……けんかしないでよぉ」
「そうよ~。お腹が空いたならほら、アメあげるから。じゃーん、しかも一袋まるごと」
「お、母ちゃんありがとー。がりがりばりばり」
アメ玉の詰まった袋を開けて、そのまま一気に口の中へと流し込む黄介。斬新すぎる食べ方だった。
「……相変わらずですね、あなたのご家族も」
「……そう言ってくれるかよ」
今まさに天下分け目の大決戦が行われることになろうとは露ほども感じ取れないお気楽さ。そういやこういう人たちでしたね。
「補給完了。うし、これであと三分は戦えるな」
「ウルトラマンかよてめえは……」
力なく肩を落とす父。こうして敵側に立ってみると少しだけ同情の余地はある気がした。
「……さて。そろそろ始めたいと思うのですが、よろしいですか?」
いつまでも終わりそうにない漫才を前に、獄道さんの体がゆらりと動く。
「おう。……おい。やるぞ、てめえら」
「うす」「はい」「うん」
これまでと違った父の低い声色。その声で黄介たちの表情にもようやく真剣さが宿る。
……ここからだ。
ぐっと拳を握る。それとほとんど同時のことだった。
「「「「――変身!!」」」」
父の雄叫びに重ねて、四人の声が河川敷に響き渡った。各人の腕に装着されたサミダレチェンジャーが燦然たる輝きを放つ。赤、黄、緑、桃。目を覆わんばかりの光が天を衝く。
きらきらと輝く光の粒子が四人の全身を覆っていく。手足の先端から粒子が結晶化していき、少しずつパワースーツの様相を成していく。
最後に顔面をフルフェイスのマスクで覆って、五月雨一家は――光洋戦隊サミダレンジャーへと姿を変える。
「――行きますよ、みなさんッ!」
獄道さんの呼び声に続いて、残りの者たちも一斉に雄叫びをあげて突撃していく。
数で圧倒的に勝るゴクドー陣営。その力を今日はすべてこの戦いのためだけに集結させているのだ。あたしがサミダレンジャー側だったとしたら、さすがにこの数を一度に対処するのは無理だろう。
勝機は十分。一瞬で終わらせる。そのつもりでの突撃だった、
のだが――、
「――なめんじゃねえぞ、ザコ共がぁぁぁぁぁぁぁ!」
怒号と共に、最前線に立つサミダレレッドの空掌が前方へと突き出された。
不思議な一撃。それで何をするつもりなのか――と思った直後に、前方からすさまじい衝撃が襲い掛かってくる。……衝撃波!
「「「「「「く――ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」」」」」」
竜巻のごとき突風が、ゴクドー陣営を猛烈な勢いで駆け抜けていく。あたしは何とか堪えられたが、ひとり、またひとりと仲間たちが後方へと吹き飛ばされていく。
「ふやぁぁぁぁぁっ!」
「うぐっ……珊瑚っ!」
巻き込まれて飛ばされていく珊瑚に向かって腕を伸ばすが、届かない。
衝撃が凪いだ頃には、ゴクドー側で立っている者は――あたしの他には、獄道さん、葉丘、小暮のたった四人だけになっていた。
「きゅう……」
はるか後方で珊瑚が目を回している。吹き飛ばされた他の者も同様だ。
たった一人の人間が放ったとは思えない、圧倒的な一撃だった。
「数だけ揃えりゃ何とかなるとでも思ったかよ」
真っ赤なパワースーツに身を包んだ父が、悠然と言い捨てる。
……背中を見ているだけではわからなかった父の本当の強さが、こうして対峙した今、初めて身に突き刺さる。
「……やってくれますね」
風にゆらめく獄道さんの紅蓮のコート。そのまま静かに拳を握り、父へと向かって一歩を踏みしめていく。
「こちらも本気でやらせてもらいますよ。……葉丘!」
「承知じゃ、オヤジッ! ――うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
天を貫く葉丘の雄叫び。その全身がめりめりと盛り上がり、金剛石のごとく外殻を作り出していく。異形の姿、怪人と化した葉丘が猛禽のごとき眼差しでサミダレンジャーを激しく睨み付ける。
「サミダレレッドは私が相手をします。残りはあなた方に任せましたよ」
「おう、オヤジっ!」
「了解です」
力強く頷く葉丘に、両脇に携えた刀の鯉口を静かに切る小暮さん。だが、あたしはその背に向かって思わず手を伸ばしていた。
無茶だ。父はたった一人だけで戦えるような相手じゃない。ましてや生身のまま戦うつもりなんて――そうだ、獄道さんは怪人だったんじゃないのか?
彼と初めて出会った晩のことを思い出す。あの時わずかに見せられただけだったが、その動きは明らかに人の域を超えたものだった。あれは彼が怪人だったからこその動きではなかったのか?
「余計な心配じゃ、五月雨」
伸びかけたあたしの手を、葉丘が制する。
父と獄道さんとの距離が、拳と拳が届くほどの間合いにまで詰められる。
「オヤジは怪人じゃないが」
相対する赤と赤。
燃えるような闘志が、両者の全身から立ち上っていた。
「――生身でも、怪人のワシより強い」
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「ふぅぅぅんぬぅぅぅぅっ!」
サミダレレッドの鬼人のごとき拳を首だけでかわすと、獄道さんは巨腕を横薙ぎに一閃させる。大木もかくやというほどのその腕を、父はすかさず片手だけで防いだ。
滅茶苦茶な体勢での滅茶苦茶な防御。だが、やはりそれでは無理がある。ぎりぎりと、少しずつ腕が押し返されていく。
「ぐっ……重てぇじゃねえか、この野郎……!」
「私の腕には社員全員の想いが込められているのです……これが重くなくて、どうして一組織の長を語れましょうかッ!」
「はっ……面白ぇ……じゃねえかっ!」
一喝し、空いた方の腕で手刀を叩き込む父。分厚い鉄板ですら軽々と切り裂く一撃が、獄道さんの脇腹へと吸い込まれていく。
「ぐっ……!」
みしり、と骨が軋む音が聞こえた。獄道さんの顔がわずかに歪む。
だが、そんなことは意に関せずとでもいう風に、獄道さんはそのままの体勢で相手の鳩尾めがけて渾身の正拳突きを放つ!
「がぁぁぁぁぁぁっ!」
直撃。サミダレレッドの体が木の葉のように宙へと吹き飛――ばない!
「獄道ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
その場で両足を幹のごとく踏ん張り、獄道さんの一撃を耐え切った父。反撃とばかりに状態を反らせ、そのまま全体重を乗せた頭突きを放つ。――これに、獄道さんも頭突きで応じる!
ガァァァァァァァァァァンッ!
河川敷一帯に、およそ人と人とがぶつかり合う音とは思えない轟音が響く。両者はほとんど同距離、一メートルほど後方に弾き飛ばされたが、すぐにまた相手の首を刈ろうと地面を蹴って飛び出していく。
互いにほとんどノーガード。殴ったら殴り返す。とんでもない戦いだった。
「ワシらも行くぞッ!」
葉丘の声に鼓舞され、あたしと小暮さんも駿馬のように駆け出す。
「赤雄さんの邪魔はさせないわよー!」
だが、そこに立ちはだかる影があった。それはいつもの頼りない母の姿ではなく、サミダレンジャーを陰から支えるサブリーダー、サミダレピンクの姿だった。
「にげない……今日はもう、にげない……!」
その傍らにはサミダレグリーン。いつも逃げてばかりだったみどりが、ついに自分の意思で戦場に立っている。
「いい度胸じゃぁ、女どもぉぉぉ!」
相手が女子供でも葉丘の辞書に容赦などという言葉はない。鬼気迫る勢いで巨石のごとき拳を振り下ろす。
「はぁぁぁぁぁ……」
だがその直後、母の腕が淡い桃色の輝きを放つ。
サミダレチェンジャーが分子間構築するのはスーツだけではない。使い手の意思に呼応して、その人物に最も適した武具――サミダレウエポンを生成するのだ。
母が空間に結晶化させたのは、桃色に彩られた長さ四十センチほどの杖だった。
傍目には大した武器にも見えないそれは、しかしあの母が使うと何よりも恐ろしい兵器と化す。
なぜならば――、
「いっくわよー……必殺! ぐらんどしぇいかー!」
ぶんぶんとロッドを振り回し、ずんと地面に突き立てる。――直後、立っていられないほどの地震が周囲一帯に轟いた!
「う、おぉぉぉぉぉぉっ!?」
「ぬぅぅぅぅぅぅぅぅんっ!?」
その被害は戦闘中の父と獄道さんにまで及ぶ。激しく揺れ動く足場の中、母だけが楽しそうにロッドを振り回している。
「桃恵ぇぇっ! こっちまで巻き添え食うんだよてめえのは! 魔法は考えて使えっていつも言ってんだろが!」
「きゃーっ、ごめんなさーい!」
そう。サミダレロッドを手にした母は、なんの冗談か、魔法が使えるようになる。歴代のサミダレンジャーでも前代未聞の能力だ。それが敵味方関係なしに効力を及ぼすものばかりというのも恐ろしいが、魔法を使える理由が『だってわたし心はいつでも魔法少女だしっ』というのが何より恐ろしい。おい三十七歳。
「赤雄さんに怒られちゃった……もう、あなたたちのせいじゃない! どうしてくれるのよ!」
「知らんわ! ふざけよってからに……ッ!」
「ふぁいやーぼーる!」
「ぬぉぁぁっ!?」
振り下ろしたロッドの先から、ごうごうと燃える火炎弾が飛んでくる。二発三発、四発五発。あんなものが当たればいかに葉丘と言えどただでは済まないだろう。
「くっ、ぬおっ、ふんっ、はっ、うおおっ、こ、このアマぁっ……!」
「ちなみに弾数制限はありませんっ♪」
「チートすぎるわ!」
同感。
「――僕を忘れてもらっては困りますよ」
ほとんど一方的な戦いになりかけていた、その時のことだ。
「小暮一心流剣術――」
火炎弾の合間を縫うように影から詰め寄っていた小暮さんが、必殺の間合いに入ると同時に腰の両刀を抜き放つ。
「――二刀・旋風ッ!」
母が攻撃に気付いた時にはもう遅い。完全に死角からの一撃だ。
だが、その攻撃を見越して動いている人物がいた。
「――おかあさんっ!」
サミダレグリーン――みどりだった。
瞬間、みどりのサミダレチェンジャーが淡く緑色に光る。癒す森林の緑という異名にふさわしい、柔らかで優しい輝き。
「みどりちゃんっ!?」
母を庇うように立ちふさがるみどり。その体が小刻みに震えているのがわかった。怖いのだろう。当たり前だ。あたしだって昔はああだった。
「……おかあさんは、わたしが守るの!」
それでもみどりは恐怖を振り払うように叫び、サミダレチェンジャーを高く掲げた。
掲げた腕を中心に中空にみどりの武具が形成されていく。大きい。あれは――盾!?
ギィィィィィィィィン!
鼓膜を突き刺す激しい音。その衝撃に、みどりはたまらずぺたりと尻餅をつく。
「みどりちゃん! 大丈夫!?」
「……うん。えへへ、わたし、がんばれたよ」
「――うんっ! よくやったわ、すごいわよ、みどりちゃん!」
みどりたちは無傷のようだ。片や奇襲に失敗した小暮さんのほうは――、
「……なんですか、その盾は」
ぼろぼろに刃こぼれした片方の刀を眺めて、忌々しげに呟く。
刀は鋭いが脆い。こうして剛体と衝突させた場合、ほとんど確実に刀のほうが負ける。とは言っても、小暮さんほどの使い手がそう簡単にそんな失態を演じるとは思えなかった。
「寸前で軌道を逸らしたつもりでした。それなのに僕の腕はその盾に吸い込まれていった。……どういうことですか?」
「引力よ」
力が発現したばかりのみどりに代わって、母がそう答えた。
「サミダレシールド――すべてを受け、すべてを防ぐ勇気の盾。……先代のお義母さんと同じ防具よ。やっぱりみどりちゃんも血を受け継いでるのね。さすがわたしと赤雄さんの娘だわっ♪」
「やっ、おか、おかあさんっ」
戦闘中にも関わらずみどりを抱きしめる母。そんなお気楽な光景とは裏腹に、みどりの生み出したサミダレウエポンはかなりの脅威だった。すべての攻撃を自らに向けさせ、そして防ぐ。まさに勇気あるものにだけ授けられる盾。
「……ふん。いくら盾が硬かろうが、それを支えるんがちんまいガキなら意味ないわ。小暮、まだ行けるな」
「当然です」
使い物にならなくなった刀をその場に捨てて、小暮さんは残った一本だけを今度は両手に持ち直し、正眼の構えを取る。
「ワシが盾ごとガキをぶっ飛ばす。キサンはその隙を狙え」
「了解」
「そうはさせるもんですか。みどりちゃん、いくわよっ!」
「うん、おかあさんっ!」
再び激突する両者。互いに完璧なほど連携の取れた、まさに息をもつかせぬ大激戦。思わずその戦いに見惚れていると――
「よそ見なんてしてていいのかな――っと!」
ぞわりと背筋に感じる悪寒。視認してからでは間に合わないと察し、本能だけで身をよじる。直後、あたしの頬を高速の一撃が掠めていった。
反射的に身を返すと、そこには金色に輝く二又の槍――サミダレランスを手にしたサミダレイエローが、再度あたしに狙いを定めているところだった。
「おれだけただのアクドーが相手ってのは気に入らないけど……でも、今日はマジでやるよん」
「……」
すぐに意識を切り替える。他のことなんて頭から消す。ただ眼前の相手だけを見据える。
そうだよな。約束したもんな、マジでやれよ。
その代わり、あたしもマジでやるからな。
「……行くぞ、黄介」
「え……?」
あたしのサミダレチェンジャーが青色に輝きを放つ。
この期に及んでもう正体を隠すことなんてしない。正々堂々真っ向正面から、全力の本気で相手をする。
それが、あたしの背中を押してくれた黄介に対する礼儀だ。
「――変身ッ!」
輝く粒子がアクドー制服ごとあたしの体を包み込む。フルフェイスのマスク越しにも、黄介の表情が驚愕に染まっていくのがはっきりと見て取れた。
「……ねー、ちゃん?」
変身を終えたあたしの姿を目の当たりにして、黄介は放心したように呟く。
「青子ちゃん……!?」「おねえちゃん……っ?」
みどりも、母も、、戦場に突如として現れたサミダレブルーの姿に、呆然と目を奪われている。
「青……子……?」
そしてあの父までもが、戦闘の最中に余所見をしている。有り得ないことだった。
「ふぅぅぅぅんッ!」
「ぐあぁぁっ!」
その隙を見逃さず、獄道さんは父の顔面を思い切り殴り飛ばす。
「小暮一心流剣術――一刀・半月っ!」
「きゃぁっ!」
「みどりちゃんっ!」
「ようやく隙見せよったな――おらぁぁぁぁぁっ!」
みどりと母もまた、その一瞬の戸惑いが連携の崩れを生んだ。文字通り盾となり母を守り続けてきたみどりが、がくりとバランスを崩す。拮抗していた戦いにわずかな亀裂が走る。
「……マジで、ねーちゃんなの?」
その間にも、呆けたような声が黄介の口から漏れる。
「あたし以外の誰に見えるんだよ」
「うわ……マジだよ、うわぁ……」
混乱のあまり、その場で頭を抱え込んでしまう黄介。
気持ちはわかる。だけどな、そういうのは後にしとけ。
「説明は後だ。さっさと構えろ。こないだあたしに言っただろ、おまえ」
「え……?」
「あたしを越えるんじゃなかったのかよ」
見せてみろ。示してみろ。あたしを越えると誓った、あんたの力を。
今この瞬間はあたしとあんただけの時間だ。
「……ひひ。そういや、そんなこと言った気もするね」
黄介の様子が変わる。余計なことなんてすっぱり捨てて、目の前のあたしだけをしっかりと見据えるようになる。
迷いのない、いい構えだった。その単純さ。それでこそあたしの弟だ。
「男なら発言には責任を持てよ。あたしはあんたの言葉、しっかり真に受けたんだからな」
「わかってるよ。――恨みっこなしだぜ、ねーちゃん」
「お互いにな」
ほとんど同時にあたしたちの体が爆ぜる。当然ながら、サミダレンジャー同士の戦いなんて前代未聞だ。
だが、実際に戦ったことはなくても――実力差は歴然としている。
黄介は三年。あたしは八年。
戦い続けてきた年季が、純粋に倍以上違う。
「たぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
黄介のサミダレランスが、あたしの体めがけて突き出される。さっきは意識の外からの攻撃だったから危なかったが、こうして正面から見ると、あまりにも素直な一撃だった。
気持ちごと一直線に飛んでくる槍。まっすぐで素直なあんたらしいよ。
――けど、そんなんじゃいつまで経ってもあたしには届かない!
「な――っ?」
軽く身を捻り、最小限の動きで攻撃をかわす。
その動作に連続して足払いを繰り出すと、黄介は面白いように地べたに転んでくれた。すかさず向きを返し、横たわる相手の腹めがけて容赦なく蹴りを叩き込む。
「うおわぁぁぁぁぁぁっ!」
黄介はまるでサッカーボールのように吹っ飛んでいくと、広場の脇を流れる河川の中腹あたりに落ちた。ばっしゃぁぁん、と激しい水柱が立ち上る。
そのまま水から出てこない。おい、まさかこのまま終わりか?
と、思った直後、
「やったな、こんにゃろー!」
太陽を背負い、イルカのごとく水面から高く飛び上がった黄介は――
「お返しだぜ――!」
事もあろうか、そのまま渾身の力を込めてサミダレランスを投擲してきた。
突くか薙ぐかの二パターンだけを想定していたあたしにとって、その攻撃はあまりにも予想の範囲外のものだった。
反応が遅れる。この速度、あの威力では回避が間に合わない。
緊急の意思に呼応するようにあたしのサミダレチェンジャーが輝きを放つ。コンマ数秒とかからず中空にサミダレウエポンが具象化される。
かわすのは無理だと悟ったあたしは、一か八か、音速で飛来してくるランスを『撃ち落とす』ことに賭けた。
両腕に抱えた巨大な銃砲――サミダレバズーカの引き金を、無心のままに引く!
「ぐぅっ!」
猛烈な反動があたしの全身に伝わり、衝撃を支えきれずにそのまま後ろに倒れこむ。すぐに顔を起こして結果を確認。首尾は――なんとか成功だ。
それでも頑強なサミダレランスは破損の兆しすら見せずにくるくると宙を舞うと、川べりの地面に突き刺さった。水面から上がってきた黄介がそれを無造作に引き抜く。
「滅茶苦茶やんなぁ、ねーちゃん」
冗談抜きで命がけの勝負をしている。そうだというのに、黄介はどうしてか楽しそうだった。
「こっちの台詞だっての」
しかし不謹慎ながら、あたしもちょっと楽しかった。なぜだろう。
「まだまだ行くぞ、ねーちゃんっ!」
再びランスを構えた黄介が一気に距離を詰めてくる。
このままサミダレバズーカで遠距離から牽制し続けるか、それとも接近戦を挑むか、あたしは二者択一を迫られていた。威力はあっても撃つたびに反動で倒れてしまうバズーカでは、一度のミスが命取りになる。前から思ってたけどあたしの武器だけ使い勝手悪すぎんだろ。
かと言って、先の蹴りもほとんど効いていないところを見ると、接近戦では勝負を決める一撃は望めない。
今になって気付いたが、あたしは基本的に一対一の戦闘に向いていないらしい。これまでいつも家族全員で戦ってきたから、そんなことにも気付けなかったのだ。
「……ちっ」
ごちゃごちゃ考えるのも面倒臭くなってきた。こうなったらもう、なるようになれだ。
「だぁぁぁらぁぁぁっ!」
「うぉぉぉぉぉっ!?」
黄介の槍撃を、あたしは片手に持ち替えたサミダレバズーカで強引に打ち払う。なまじ重量があるぶん、意外にもパワーがある。
「それ使い方違うよね!」
「知るか!」
使えるものは幾らでも使う。怯んで隙が生まれた黄介に向けて、今度はバズーカの引き金に指をかける。仰天する相手の顔が透けて見えるようだった。
ほとんどゼロ距離からの射撃。この距離ならまず外さない。
攻撃力よりむしろ防御力に特化したサミダレンジャーのパワースーツなら、たとえミサイルをその身に浴びても死ぬことはない。せいぜい全治数ヶ月くらいだ。
だから黄介、安心して食らっとけ。
「ちょ、ねーちゃん、待っ――」
ズガァァァァァァァァァンッ!
終幕の一撃がバズーカから吐き出される。もうもうと立ち込める白煙の中、あたしは確かにバズーカが命中したことを確認する。
命中した、はずだったんだが――、
「まぁだまだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
煙の向こうから、全身ボロボロになった黄介が猛然と飛び込んでくる。
完全に虚を突かれた。気付いた時にはもう、黄介の槍はあたしの脇腹を薙ぎ払っていたあとだった。
「ぐぁ……っ!」
数秒、息が止まる。重い、重い一撃だった。思わずその場に膝を折り、あたしは荒い呼吸を繰り返す。
鈍い痛みが脇腹を中心に走っていく。何本か骨が折れたかもしれない。だと言うのに、あたしの頬には知らず笑みが浮かんでいた。
……やるじゃないか。
でも、この程度で負けるわけにはいかない。この程度で、あたしという壁を越えられてしまうわけにはいかない。
気力を振り絞って立ち上がる。まだまだ、戦いはここからだ。
「……ダメかぁ、これくらいじゃ」
だが、その時にはもう、決着はついた後だった。
黄介の手からサミダレランスが落ちる。本人もまた同様に、ばたりとその場に力なく崩れ落ちた。
「くっそ……やっぱねーちゃんは、強いなぁ」
気力だけの一撃だったのは相手も同じのようだった。いや、あの距離からバズーカの直撃を受けたのだ。ダメージは黄介のほうが遥かに大きかっただろう。
それでも黄介は、気を失うこともなく、未だにあたしから視線を逸らさずにいる。
正直、ここまで戦えるようになっていたとは思っていなかった。
「……あんた、将来は本当にとんでもない正義の味方になるよ」
「なれたらいいけどね。……あー、腹減ったなぁ……」
最後にそれだけ呟いて、黄介はようやく意識を失った。
一息つくのも束の間、すぐに周囲の状況を確認する。少し先のほうでは、葉丘・小暮さん対母・みどりの勝負もちょうど終わりを迎えようとしているところだった。
「いい加減くたばれや、小娘がぁぁぁ!」
「きゃぁぁぁぁっ!」
再三にわたって母の盾となり続けてきたみどりに、とうとう限界が訪れた。葉丘の拳撃を受けきることができず、小さな体が木の葉のように宙を舞う。
「み、みどりちゃんっ!」
「小暮一心流剣術――一刀・雪月花ッ!!」
守りを失った相手に向けて、小暮さんの一閃がひらめく。その一撃は的確に母の腕を狙い撃ち、サミダレロッドを空中に弾き飛ばした。
「あぁっ!」
魔法という破格の能力を持つ代わり、それ以外の戦闘能力はほとんど皆無でもある母。みどりの盾もなく、ロッドをも失った時点で、母は対抗力をすべて失ったことになる。
「終わりじゃな」
「……」
気を失ったみどりを抱きかかえながら、じりじりと後退を余儀なくされる母。しかし、万策尽きた中にあっても、マスクの下の目はまだ死んでいなかった。
何かを信じているような強い眼差し。
その瞳が、喜色に輝いていく。
「――人様の嫁と娘に何してくれてんだ、てめえら」
「赤雄さんっ!」
視線の先には、赤い影。
その手に握られた紅蓮の大剣。
「な――キサン、オヤジと戦っとったはずじゃ……!」
「……ボスっ! そんなッ!」
父の背後には、全身傷だらけになって倒れ伏す獄道さんの姿があった。それでも獄道さんは顔だけを起こして父の背中を睨み付けているが、あの傷ではとても立ち上がれそうにはない。
「ぐっ……葉丘、小暮っ……逃げ……」
「サミダレ――」
個人の意思を具現化するサミダレウェポンにあって、三代続いてきたサミダレンジャーの歴史のすべてを紐解いても、最も大きく、強く、圧倒的な破壊力を持った父の武器――サミダレブレイド。
「ハリケーン――」
その炎刃が、烈風を纏いながら河川に吼える。
「――スラァァァッシュ!」
「「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」」
巻き起こった竜巻に身を引き裂かれながら、葉丘と小暮さんの体が軽々と空へ吹き飛んでいく。なす術もなく攻撃を食らったふたりは、上空から地面へと激しく体を打ち付けられ、程なくしてがくりと意識を失った。
戦いに参加していたものの大半が力尽きた河川敷の中、残された者は両陣営ともにただ一人ずつとなる。
それは、まるで運命のように。
「……青子」
父の声は低く静かに、しかしはっきりとあたしの耳に聞こえた。
「……何だよ」
同様に、あたしも低い声を返す。
大剣を背中に担いだ父が、ゆっくりとあたしへと近付いてくる。
「どういうことだよ」
不思議なほど落ち着いた口調。幽鬼のごとき佇まいを漂わせる父の姿に、思わず足を引いてしまいそうになる。
だが、あたしはあえて足を前に進ませた。
いずれこうなる日が来ることをわかっていて、あたしはゴクドーに入ったのだ。今さら決める覚悟なんてない。
「……あんたがそれを聞くのかよ」
覚悟はすでに済んでいる。これより果たすべきは――決別だ。
「……んだと?」
「あたしは正義の味方なんて大嫌いだった。叶えたい夢があった。それなのにあんたはあたしの言うことなんて何ひとつ聞きやしなかった。……それで今さら、どういうことだも何もないだろうが」
拳を強く握り込む。父の目を強く睥睨する。
あいつは、あたしの敵だ。
倒すべき、憎むべき敵だ。
「……それがてめえの答えか」
「そうだよ。文句あるかよ」
一歩ずつ距離を詰め合って、あたしたちはとうとう、手を伸ばせば触れ合えるほどの距離にまで近付いた。
合図もなく、ほとんど同時にぴたりと足を止める。
「……上等じゃねえか」
父のサミダレチェンジャーが紅蓮の輝きを放つ。何か仕掛けてくる――そう思い、咄嗟に体を強張らせる。
だが、直後にあたしが見たものは、そんな予想とはまるっきり真逆のものだった。
父がやったのは、変身解除。
「俺は、光洋町を守る正義の味方だ」
幼い頃から幾度となく聞かされてきた、その言葉。
「たかだか身内の馬鹿を正すためだけに、その力を使うわけにゃいかねえ」
パワースーツを中空に散らせ、その中から姿を現したのはヒゲ面の冴えないおっさん。
そんなただのおっさんに睨まれて――あたしはこれまでのどの瞬間より、父に対して戦慄を覚えていた。
憎むのでも怒るのでもない、もっともっと深い、もっともっと澄んだ激情。
――青子。正義の味方がいちばん守らなきゃいけねえものが何だか、てめえにわかるか。
――町の平和も大事だ。けどな、もっと大事なもんがあるんだよ。
その瞳に身を射抜かれた瞬間、どうしてか頭の中をそんな言葉が通り抜けていった。
それは確か、黄介が生まれたときに父があたしに言った言葉。
どうして今、そんなことを思い出す。
なんだよ。なんなんだよ、その目は。
「……馬鹿にしやがって。ハンデのつもりかよ」
あたしのサミダレチェンジャーが青白く光を放つ。変身解除。あたしもまた、元のアクドーの姿へと戻る。
これで条件は対等だ。言い訳なんてさせてやるものか。
「泣いて謝っても許してやんねえぞ、バカ娘」
「こっちの台詞だ、バカ親父」
一瞬だけ交錯する視線。
そして、
「「うおぉぉぉぉぉぉぉらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」」
殴り合いが、始まった。
同時に、これまで溜め込んできた思いのすべてを、拳に乗せて吐き出し合う。
「ずっと――ずっとぶん殴ってやりたいと思ってた! あたしがどんだけ我慢して、我慢して、我慢してきたか……あんたにあたしの気持ちがわかるかよッ!」
手は料理人の命――だからこそ戦闘において足技だけを磨き上げてきたあたしが、衝動を抑えきれずがむしゃらに拳を突き出していた。
戦術など何もない殴打の応酬。拳と拳が空気を切り裂き、互いの体に、腕に、顔面に、吸い込まれるようにブチ当たる。
「世間知らずの小娘が生意気抜かしてんじゃねえッ! 殴りてえならいつだって殴りゃ良かったじゃねえかよ! てめえはいつでも口ばっかで、自分じゃ何一つやろうとしなかったじゃねえか!」
「んだと……この野郎ォッ!」
「料理人になりてえだぁ? それを俺に言ってどうすんだよ! んなもん俺が認めるわけねえだろ馬鹿野郎が! てめえは五月雨家の跡継ぎなんだからよ!」
殴打。殴打殴打殴打殴打。遠慮も加減もない本気の拳が、河川敷の地面を赤く染めていく。
人知を超えた超人同士の戦いなどではない。生身と生身のぶつかり合い。いや、そもそもこんなもの、戦いですらない。
ただの親子喧嘩だ。
「俺に認めてもらえなきゃ、てめえは夢も叶えられねえのかよッ!」
言っていることが滅茶苦茶だ。
だが、どうしてだろう。拳以上に、言葉は心に突き刺さった。
「――違う! だからあたしは家を出たんだよ! 家族も捨てた! 夢を叶えるために!」
「だったらてめえはなんでこんなとこで戦ってんだよッ! そんだけの覚悟があって、なんで行き着く先が悪の組織なんだよッ! さっさとどっかに弟子入りするなり住み込みで働くなり、どうしてそうしねえんだよてめえは!」
「……うるせえよ! 今さら、何を偉そうに……ッ!」
「どうせ他の誰かに言われたからそこにいるんだろうが! その様子だと獄道あたりか? 笑わせんじゃねえ、んなもん、てめえが嫌々正義の味方やってた時と何一つ変わってねえじゃねえか!」
ひときわ鋭い拳が、あたしの頬をまっすぐに撃ち抜いた。
「がっ……!」
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
反撃の手が止まり、続く連撃で三メートルほど後方に吹き飛ばされる。
「かっ……はっ……!」
全身の骨がぎしぎしと軋みを上げている。すっぱい胃液が喉の奥から込み上げてくる。意識の糸は今にもぷつりと途切れてしまいそうだ。
でも、それでも、意地だけで立ち上がる。
「好き勝手、言いやがって……」
どれだけ道理が通らなくても、最後に立っていたほうが正義。
拳で語り合うというのは、そういうことだ。
悪の組織だって、勝てば正義だ。
「あんたは……いつだってそうだッ!」
痛覚を無視して、これまで以上の速度で父の懐に潜り込み、勢いのまま右膝を突き出す。
渾身の飛び膝蹴りは、正面から父の顎に突き刺さった。
「ぐがぁ……っ!」
倒れ込んだ父の上にすかさず馬乗りになって、ただただがむしゃらに腕を振った。皮がはげて服の下から血が滲んでいる。そんなぼろぼろの両手を、あたしは父の顔面に向かって何度も何度も振り下ろす。
「いつだって、いつだって自分のことばっかりじゃねえか! あんたはあたしたち子どもの気持ちを考えたことが一度だってあったかよッ! みどりがどんだけ不安な気持ちで戦ってたか! 黄介がどんだけあたしたちの仲を取り持つのに気を遣ってくれたか! 母さんの支えにあぐらをかいて、あんたはいつだって自分の気持ちばかりを押し付けてきたんじゃねえかよッ!」
「ぐっ、がっ、はっ……!」
「何を言っても二言目にはいつでも同じ! あたしたちを何だと思ってんだよあんたは! あたしたちはあんたの人形じゃねえんだよ! ――あたしを、馬鹿にすんじゃねぇぇぇぇっ!」
総身の力を絞り出して、最後の一撃を振り抜いた。
もう息も限界だった。これ以上はあたしの腕が動かない。
それでも、これだけぶん殴ってやったのだ。さすがの父でも耐えられはしないだろう。
「――言いたいことは、そんだけかよ……」
耳を疑った。父の目はいまだ色を失ってはいなかった。それどころか、これまで以上の激情を燃やして、静かな炎を瞳に宿していく。
「自分のためじゃねえ……誰かのために戦うってのは、そういうことなんだよ」
ぎりぎりと、父の上体が持ち上がっていく。冗談だろう。全体重をかけて押さえ込みをかけるが、それでも父の体は止まらない。
「どんだけてめえらに嫌われてもよ……そんでも戦うのが、正義の味方なんだよ。自分の意思すら押し通せずに、正義の味方のリーダーなんて張れるわけねえだろうがよ……!」
「く……うっ……!」
「わかってんだよ、てめえらが俺をどう思ってるかくらい。嫌うなら嫌え。憎むなら憎め。そんでも俺は、自分の意思を押し通すぞ」
紅蓮のごとく燃え盛る、凄絶な瞳だった。これ以上押さえつけるのは無理だと判断したあたしは、咄嗟に父から距離を取る。
ずたずたになった体ではもう、全身を支えるのすら精一杯だった。それは立ち上がった父も同様のようで、見る様に肩で激しい息をしている。
「……来いよ、青子。俺の娘なら、てめえも自分の意思を押し通してみやがれ」
それでも父は、何度だって拳を前に突き出す。
お互いに限界だった。これ以上の言葉はもう必要ない。
おそらくこれが、最後の一撃。
「「……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」」
あたしと父の怒号が完全に重なって、拳と拳が交錯する。そこにあるのはもはや意地だけ。気持ちと気持ちだけがぶつかり合う。
とうとう迎えた決着の一瞬。
その瞬間――唐突に、巨大な影が降り立った。
「――うふふふふふふふぅ! その勝負、そーこまでよぉう!」
突然の闖入者に、あたしと父は同時に首を向ける。
「「な――ッ?」」
遥か上空から舞い降りてきたのは――全身を漆黒に塗装された、全高三メートルはあろうかという、カエルのような形状をした巨大なロボットだった。
拡声器越しに放たれた声には聞き覚えがあった。あの背筋に鳥肌が立つような甲高い声――サクバスの首領、黒原璃々夢!
「……って、もうほとんどやられちゃってる後じゃないの。おまけに京一郎ちゃんまでおねんねしちゃって。やっぱり京一郎ちゃん、ぬるま湯に浸かって腕が鈍っちゃったんじゃないのぉ?」
カエルの顔をきょろきょろと回転させながら、黒原は場違いな声をきんきんと響かせる。
「黒……原……っ!」
「あらあら、起きてたんじゃないのぉ」
満身創痍の身を震わせながら、極道さんは黒原の乗る機体を激しく睨み付ける。
「何の、用ですか……!」
「うふふぅ。ついさっき、機関からちょっとした通達を受けてねぇ。いち早く京一郎ちゃんたちに伝えてあげようと思って、こうして駆けつけてあげたのよぉ」
「……ま、さか」
ただでさえ血の気を失った獄道さんの顔がさらに青ざめる。
機関からの通達。サクバスが受けた通達を、ゴクドーにも伝える意味。
「本日付けで、役立たずのゴクドーは正式に解体が決まったわ。ついでに光洋町の新たな管轄はアタシたちサクバスに移ることになりましたぁ。長いあいだお疲れさま、京一郎ちゃん。……うふふふ、うふふふふふ、うふふふふふぅ!」
黒原の高笑いが河川敷に響き渡る。その言葉を聞きながら、あたしは目の前で起こっていることを、ただただ遠い出来事のように眺めていた。
あいつは何を言っているんだ。わざわざそんなことを言うためだけに、あたしと父の決着の邪魔をしたのか。
殺意を込めて黒原の乗った機械を睨む。あたしの視線に気付いたのか、カエルの顔がぎょろりとこちらへと向けられる。
「んー? あらあら、よく見たらあんた、サミダレレッドじゃないの。相手は……あらやだ、ただのアクドー? ぷっ! 京一郎ちゃんも京一郎ちゃんだけど、今代のサミダレンジャーも落ちぶれたものねぇ。ザコはザコ同士で潰し合ってくれちゃった、ってことかしらぁ」
けたけたと笑う黒原。
何がそんなに楽しくて笑っているのか知らないが、無性に腹が立った。
「……この野郎……」
鉛のような体を引きずって、あたしは黒原の前に立つ。
「――変身ッ!」
青く輝くサミダレチェンジャーを突き出し、サミダレブルーの姿に変身する。あらぁ、という黒原の声が聞こえた。
「誰かと思えば、五月雨さんちの青子ちゃんだったのねぇ。そんなぼろぼろの体でアタシとやる気ぃ?」
「うるせえよ……空気読め、この年増女が!」
地面を蹴り、渾身の力を込めて飛び上がる。標的はカエルの頭、コックピットだ。
虚空にサミダレバズーカを出現させ、照準を絞る。反撃の暇なんて与えない。――食らえ!
「……誰が、年増だって?」
轟く轟音。だが、あたしはすぐに目を疑うことになる。着弾後の粉塵の中から、まったく無傷の機体が姿を現したのだ。
「口の利き方がなってないメスガキには、お仕置きが必要ねぇ」
落下中で無防備なあたしに向けて、ロボットの前足が襲い掛かってくる。すかさず腕を組んで防御姿勢を取るが、猛烈な蹴脚はそんなガードなど簡単に突き破って、あたしの体を紙切れのように吹き飛ばす。
「うわあああああああっ!」
思い切り地面に叩きつけられる。全身がばらばらになってしまったかのような感覚。パワースーツの上からでさえなお、一撃で戦闘不能に沈めらるほどの破壊力。
「――青子ちゃんっ!」
落下した先は、ちょうど母がいる近くだった。変身の解けたみどりを抱きかかえながら、あたしの元へと駆け寄ってくる。
「青子ちゃんっ、大丈夫っ!?」
マスクの下からでも、焦燥する母の顔が透けて見えるようだった。
「……あたしは、敵だろ。敵の、心配なんか……するんじゃ、ねえよ」
「なに言ってるのよ! 青子ちゃんは青子ちゃんじゃないッ!」
胸が詰まった。勝手に家を飛び出し、あまつさえ敵として現れたあたしに、どうしてそんなことを迷いもなく言えるのか。
そんなあたしたちを見下ろしながら、黒原が下卑た笑い声を響かせる。
「怪人とか正義の味方とかね、もう古いのよぉ。そんなものしょせんは一個人の力。ゴミみたいな力がいくつ集まったところで、たった一個の兵器の前では無力なもの。このフロッガーナちゃんを見てごらんなさいなぁ。これが本当の力ってものよぉ、うふふふぅ」
カエルの機体がこちらを向く。黒原がこれから何をするつもりなのか、何となく予想がついてしまった。
「アタシの前ではサミダレンジャーもゴクドーも石ころ同然。――それを今から証明してあげるわぁ」
長い四本の足がバネのようにたわむ。その直後――フロッガーナは高く空へと飛び上がった。
いったん豆粒ほどの大きさになってから、徐々にその姿が近付いてくる。落下点はまさにあたしと母のいる地点。太陽を背負って舞い降りてくる漆黒の機体が、あたしには死神のように見えた。
「……逃げろ、母さん……」
もう一歩も動けそうにない。せめて母とみどりだけでも巻き込むまいと、あたしは必死に喉から声を振り絞る。
だが、母は。
「そんなこと……できるわけ、ないでしょぉ……!」
すでに腕にみどりを抱えているというのに、母はあたしの体までをも背負おうとする。状況はすでに一秒をすら争うというのに、そんな猶予があるはずもない。
「――あははははは、馬っ鹿ねぇ! 三人一緒にあの世で仲良くやってなさいなぁ!」
もうすぐそこにまで迫ったフロッガーナの姿。もはや回避は不可能。
間に合わない。
「く、そぉっ……!」
動かない体が憎かった。こんなところで終わるのか。何もかもが中途半端なまま、母とみどりを巻き込んで、こんなやるせない気持ちを抱えてあたしは死ぬのか。
絶望の中、祈るように目を閉じる。
「……誰か……」
それは心の中での呟きか、はたまた自分の口からこぼれた言葉だったのか、この時のあたしに判断する術はなかった。
それでもあたしは心から願った。
誰か、助けてくれと。
その言葉を聞き入れたとでも言うように、
「――俺の家族に何しやがんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
叫び声に気付いて目を開けると、そこには父の真っ赤な背中があった。
見ると、なんと父は交差させた両腕だけでフロッガーナの全重量を支えている。信じられない光景だった。
「……なにあんた。アタシの邪魔する気ぃ?」
「ぐ……うぅぅぅっ、く、そっ……!」
めりめりと両足が地面にめり込んでいく。両腕がぶるぶると震えている。無茶だ、こんなの。
「赤雄さんっ!」
「来んじゃねぇッ!」
すかさず父の元へと駆け寄ろうとする母に、父は首だけで振り返って一喝する。
「さっさと逃げろッ!」
「でも……!」
「でもじゃねえッ! てめえの他にそいつらを守ってやれる奴がどこにいんだよッ!」
「……っ!」
その一瞬の中に、どれほどの迷いがあったのだろう。
だが母は決断した。素早く踵を返すと、あたしとみどりを抱えてその場から離れる。
フロッガーナの前足が父の体を押し潰したのは、ちょうどその直後のことだった。
「あーっはっはっはっはっはっはっはっは!」
「赤雄さぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
黒原の哄笑と母の悲痛な叫び声が響く中、あたしはただ呆然と、眼前の光景を眺めていることしかできなかった。
「ぐ……ぁ……」
精神の糸が切れて変身が解けた父は、息こそあるものの、もはや瀕死の体だった。
獄道さんと戦って、あたしと殴り合って、限界はとうに通り越しているはずだったのに。
それなのにあんた、どうしてこんなことしたんだよ。家族のことなんてどうだっていいんじゃなかったのかよ。
「あらぁ、まだ息があるのぉ? しぶといわねぇ」
今度こそとどめを刺そうと、フロッガーナの前足が再び高く振り上げられる。
「……あ。ちょっと面白いこと思いついちゃったぁ」
だが、何を思ったか。
フロッガーナは片足だけを下ろすと、父の体を石ころのように掴み上げ、そのままあたしたちに背中を向けた。
「ちょっと預かっていくわねぇ。こいつを返してほしかったら白崎町のサクバス本部にいらっしゃぁい。歓迎してあげるわよぉ、くすくす」
それを最後の言葉に、黒原は父を連れたまま、河川敷から悠然と去っていった。
その背を追える力のある者など、誰一人として残っていなかった。
大半の者が傷を負い、それでいて勝者も敗者も存在せず。
無為な戦いが残した爪痕は、あまりにも大きく。
「……親、父……」
あたしは拳を震わせながら、ただただ連れ去られていく父の背中を眺めていることしかできなかった。