#プロローグ
弟が産まれた。
あたしが六歳の誕生日を迎えてすぐのことだった。病院から連絡を受けて、お父さんと一緒に、あたしたちは大急ぎでお母さんの入院している病院へと向かった。
はじめてできたあたしの弟。いったいどんな顔をしてるんだろう。どんな声をしているんだろう。楽しみのような、不安のような、なんとも言いがたい気持ちであたしの胸はいっぱいだった。
病院に到着して、お父さんに手を引かれながらお母さんの病室へと急ぐ。ドアを開けてすぐにお母さんと目が合った。お母さんはちょっとだけやつれた顔をしていたけれど、あたしの顔を見てすぐににっこりと微笑んでくれた。
お母さんの腕の中には、信じられないくらいちっちゃい赤ちゃんがいた。
その瞬間にあたしの胸の中に溢れこんできた気持ちを、いったいどう言い表せばよかったのだろうか。
名前のわからないその気持ち。いやな感じじゃないけれど、かと言って楽しいとか嬉しいとか、そういう単純な気持ちでもない。それでいてその気持ちはあたしの心の中に重くしっかりと根を張って、まるっきり出ていこうとしないのだ。
「青子。正義の味方がいちばん守らなきゃいけねえものが何だか、てめえにわかるか」
生まれたばかりの弟をお母さんの腕から抱き上げながら、お父さんがそんなことを言う。突然の言葉にあたしは戸惑った。
でも、昔からずっと言い聞かされていたことだったから、ちゃんと答えられた。
それは、光洋町の平和だと。
お父さんは首を横に振って答えた。
「町の平和も大事だ。けどな、もっと大事なもんがあるんだよ」
それは今まで教えられたことのない言葉だった。平和より大事なものがあるの?
うんうん首を捻っているあたしに、父はこう続けた。
「要するによ。てめえにも守るもんができたってことだ、青子」
その一言はあたしの胸に深く響いた。同時にあたしは、それまで理解することのできなかったこの気持ちに、名前をつけなきゃいけないと思った。
「こうすけ」
生まれる前から決まっていた弟の名前。そのちっちゃな手に、自分の人差し指をそっと触れさせる。あたしの手なんてお父さんの半分くらいの大きさしかないのに、弟の手はそんなあたしの人差し指よりもさらにちっちゃい。それに、ふにふにしててすごく柔らかかった。
弟の手があたしの指先を握った。それで本当に握ってるつもりなんだろうかと思うくらい弱々しい力。けれど、生まれたばかりのこの子にとってはこれでも精一杯なんだろう。
おそるおそる、笑顔を作ってみる。
そしたら黄介もにっこり笑った。
柔らかい手に包みこまれた指先から、ぽかぽかしたお日様みたいな体温があたしへと伝わってくる。
「お父さん」
あたしはお父さんを見上げて、胸に溢れる気持ちを言葉にした。
あたしはもう、わがままばかり言ってちゃだめなんだ。いたずらもしちゃいけない。ちゃんと言うことを聞くいい子にならなきゃいけない。あたしは、今日からこの子のお手本にならなきゃいけない。
お父さんみたいな、りっぱな正義の味方にならなきゃいけない。
だってあたしはもう、お姉ちゃんなんだから。




