0・十月四日、金曜日
吸血鬼は実在する。
今、目の前にいる男……数百年は昔の西洋貴族然とした服装をした奇妙奇天烈な男こそが何を隠そう“吸血鬼”である。
読者諸君。
賢明なる読者諸君よ。
諸君は“吸血鬼”と言う存在について、どれだけのことを知っているだろうか。
血を吸う怪物? 正解である。
太陽の光を浴びたら灰になる? あぁ、それも正解である。
その他の有名な弱点と言えば、十字架に聖水、それからニンニク。
教会や寺院には近寄れず、流れる水の上を渡れず、鏡に映らず、影を落とさず、自在に霧や蝙蝠などに姿を変えて……古今東西、吸血鬼についての“お話”を語れば、時間が幾らあっても足りない。
そんな有名過ぎるほどに有名で、もはや誰でも知っているような、弱点だらけの怪物こそが“吸血鬼”だ。
しかし、まぁ……そんな風な誰でも知っている吸血鬼だが、実際に見たことがある、逢ったことがある者となれば滅多にいない。
だが、そんな吸血鬼に逢ったことのある者を、私は一人だけ知っている。
「はぁん? つまり君、“竹津島の吸血鬼”なんて数十年も昔のオカルトを頼りにぼくのことを探してたのか? 変わってるね?」
何を隠そう、この私……日本は九州、福岡に住まう放浪のオカルトジャーナリストこと“月見里 はてな”がそうである。
「そのカメラでぼくのことを撮るつもりかい? 無駄だと思うよ。ぼくってば、君もご存知の通り吸血鬼だからさ。鏡にも、写真にも映らないんだよ」
なお、ヤマナシ ハテナはジャーナリストとしての名だ。生まれは大分の山奥であるため、山などすっかり見飽きてしまって、こんな名前を自分で自分に付けた次第だ。
閑話休題。
「やぁ? 話を聞いているのか? はてな嬢。びっくりし過ぎて声も出ないってのは仕方ないと思うけどね、それでもノーリアクションとは冷たいじゃないか」
ご紹介が遅れたが、さっきから煩い上に何やら妙に演技がかった喋り方をするこの青年こそ、私の見つけた“吸血鬼”である。
名前はパイロ・D・D。
性別は男で、年齢は不明。きっと百か二百か、或いはもっと年を食っているはずだ。
「はてな嬢、君はまるで起きたまま夢を見ている風な娘だな。身体は此処にあると言うのに、心だけでどっか遠くにすっ飛んでいってるみたいだぞ」
百九十に近いだろう、長い身体を“ぐぐっ”と屈めて、パイロ・D・Dは私の顔を覗き込んだ。その赤くて深い、血を固めたような瞳を見ていると、なんだかすっかり酔っぱらってしまった気分になってしまうが、あぁ悲しいかな夜もすっかり遅い時間だと言うのに私は、まだまだ酔いに身を任せるわけにはいかないのである。
と、いうわけで私はパイロから視線を逸らした。
視線を逸らして、カメラのシャッターを数回切った。夜闇に眩いフラッシュが数度。暗い路地裏を真白に染める。
パイロの言うことが本当なら……パイロが本当に、昔話や小説に出て来るような“吸血鬼”であると言うのなら、きっとその姿は写真に写っていないのだろうけれど。つまりは、無駄にデジタルカメラのデータ容量を消費したというだけなのだろうけれど。
面白おかしい記事を書くには、添える写真も重要なわけで。
つまりはまぁ、こうして“ターゲット”を写真に撮るのは、私の職業病のようなものであるので、仕方が無いのだ。フラッシュに目を焼かれたパイロが、ブツブツと文句を謳っているが“明日の食事”の種であるので、ご勘弁願いたいところ。
パイロと言う“吸血鬼”、なかなか紳士的な御仁であると見受けられるので、きっと笑って“仕方がないなぁ”なんて言って、許してくれると思いたい。
さて、ここらで一回、お話を少し整理しよう。
賢明なる読者諸君が、どれだけ懸命だからと言って、こうも突然に情報の渦を叩きつけられてしまっては、さっぱり状況が飲み込めないと思うから。
と、いうわけで。
お話は、まるっと二十四時間ほども前にまで遡るのである。