寅の行く先
こちらに向かって駆けてくる虎の姿を目にして、鉄は自分の死を悟った。あ、これは死んだ。無理だ、詰んだ。あんな大きな虎に噛みつかれちゃ、ひとたまりもない。
自分の周りに流れる空気が、泥を含んだ水流のように遅くなる。走馬灯と呼ばれるものが、鉄の脳裏を過ぎる。
昨年、裏山から流れてきた土に押しつぶされて、家と畑を失った。両親と妹も死んだ。皆死んだ。
なぜ自分だけが生きのびたのか。空に問いかけたところで答えは返ってこない。跡形もなく潰れた家を前に絶望していたって腹は減る。けれど畑はもうない。食いもんを買う金も全部土の中だ。
腹が減る。空腹は辛い。生きるのは辛い。けれど自死する勇気はない。腹が減る。鉄はそこらの家から食べ物を盗むようになった。風が冷たい夜は他人の家の納屋で凌いだ。
もちろん、バレればボコボコにされた。誰も憐れんでなんてくれない。いまさっきだって、ボコボコに殴られて外に放り出され、暫し気を失っていた。目が覚めて、宿になる場所を探そうとしていたところでこれだ。
――嗚呼。これは、罰だろうか。それとも、自死することも出来ない能無しのおれを哀れんだ神の慈悲だろうか。
鉄はぎゅっと目を瞑る。なんだっていい。けれど、痛いのはいやだから、出来れば一瞬のうちに殺してくれ。
しかし、肉を裂く鋭い痛みより先に届いたのは、身が竦むほどの怒号だった。
「そこを退け、小僧! 我は急いでいるんだ!」
は? と目を開けた鉄は、迫る巨体にひいっ、と悲鳴を漏らした。鼻水も出た。「邪魔だ!」そう言われても、ここは狭い畦道。足を踏み外せば田んぼに落ちてしまう。
「あ、あの、そんなに急いで、どこに向かってるんですか?」
「神の御家だ! 朝一番に神の家へ行かねばならぬのだ」
神? 神の御家と言ったか、この虎。
虎が喋るのも訳が分からぬが、虎が神の家に向かうというのも訳が分からない。
あるのだろうか。この虎の行く先に、神さまの家が。本当に? 鉄はごくりと息をのんだ。
「あ、あの、虎の御仁、私も神の家に行きたいのです」
この村に、もうおれの居場所はない。家も畑も潰れた。家族もみんな死んだ。村の人々は、盗みを働くおれの事を疎んでいる。おれだって、盗みたくて盗んでいるわけじゃないのに。神さまならきっとわかってくれる。
「どうか、ともに、連れて行っていただけませんか!」
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