第44話 猛獣との出会い
「ミルク、バケツを忘れていますよ」
「あ……ネイルさん、ごめんなさい」
いつものように掃除をしていると、ネイルさんに呼び止められた。
どうやら、一つ前の部屋でお掃除している時に使ったバケツを、そのまま置いてきちゃってたみたい。
バケツがないことにも気付いてなかった私は、わざわざ気付いて持ってきてくれたネイルさんに頭を下げてそれを受け取る。
「気にする必要はありません、ミルクにはいつも本当に……本っっっ当に助かっていますからね。とはいえ、ミルクがこういったうっかりをするのは珍しいですね。大丈夫ですか?」
「えっと、その……クロやアマンダさんが帰って来るって聞いて、まだかなって……」
心配そうなネイルさんに、私がお掃除に集中出来ていない理由を伝えた。
そう、今日はずっと拠点を空けていたクロとアマンダさんが、帰って来る予定になってるの。
久しぶりだから、どうしても気になっちゃう。
「それに、グルージオっていう人も会えるんだよね? どんな人なの?」
あとは、私がまだ会えていない傭兵団の最後のメンバー、グルージオさんとも会えるから、それも気になってる。
私にとっては、すっかり自分の家だって言えるくらい長く暮らしてる拠点だけど、その人にとっては馴染んだ家にいきなり知らない人がいる状況だし……ちゃんと仲良くなれるか、ちょっと不安だ。
「どんな、というと……そうですね、とにかく大きな男です。カリアより大きいと言えば伝わるでしょう」
「カリアさんより……!? すごい……」
カリアさんは、拠点でいつもご飯を作ってくれる食堂の管理人なんだけど……私の知る限り、一番体の大きな人だ。
そんなカリアさんより大きいなんて、想像もつかない。
「後はまあ……悪い人間ではないのですが、とにかく危険な人物なので……ミルクはあまり近付かないように。お互いのためになりませんから」
「……?」
悪い人じゃないけど、危ない人?
ますますよく分からなくて、もう一度尋ねてみようと口を開きかけて……その途中で、玄関の方から声が聞こえた。
「さあ、アマンダさんが帰って来たよ!! 我らが愛しのミルクはいるかい?」
「あ、アマンダさん!」
些細な疑問は押しのけて、私はすぐに玄関の方に走っていく。
入ってすぐのところできょろきょろと辺りを見渡していたアマンダさんは、私を見付けるなりニッと笑みを浮かべた。
「おかえりなさ……」
「ミルク~~~!! ただいま。寂しかったかい? 会いたかったよ」
「むきゅ」
駆け寄った私が飛びつくよりも先に、アマンダさんの方から抱き締めに来た。
目にも止まらない速さで、気付いたら抱き締められてたから、一瞬何が起きたのか全然分からなかったよ。
「ぷあっ……私も、会いたかった。えへへ」
大きな胸から何とか顔を出して息を確保したら、そのままにっこりと笑みを返す。
ラスターも、ガバデ兄弟の三人も昨日依頼で出掛けちゃったし、団長さんはずっとやることがあるってなかなか拠点に戻って来ない。
ネイルさんとカリアさんが一緒だから寂しくはなかったけど、やっぱりこうしてアマンダさんが一緒にいられると嬉しい。
「それで、クロは? 一緒じゃないの?」
「ああ、クロならほら、そこにしれっと紛れ込んでるよ」
ほら、とアマンダさんが指差した先では、クロが私のことはスルーして、カリアさんにお酒を頼んでいるところだった。
すぐに手渡されたお酒を持ってテーブルに着くクロを見て、私はぷくっと頬を膨らませる。
「クロ! おかえりなさい!」
「あん? ああ……」
「むぅ……おかえりなさい!!」
「聞こえてるっての」
聞こえてるかどうかじゃなくて、ちゃんとただいまって言って欲しい。
そんな私の不満なんて知らないとばかりにお酒を飲むクロに、私の顔がまん丸になるくらい頬が膨らんでいく。
「あはは、許してやんな。クロはね、ああ見えて出かけてる間ずっと、ミルクがちゃんと元気にやってるか心配してたんだ」
「そうなの?」
「ぶふっ!? て、てめえ、アマンダ! 適当なこと言ってんじゃねえ!!」
「事実だろう? 子供にはどんな土産がいいのか分からないって、散々悩んでたじゃないか。ほら、ミルク、これがクロの買った土産だよ。な~ぜ~か、アタイに渡してくれって頼まれたけどね」
「こ、この野郎……!!」
アマンダさんに渡されたのは、小さな犬のぬいぐるみだった。
抱っこされたまま、ぬいぐるみをぎゅっと抱き締めると、もふっとした感触が気持ちいい。
「えへへ……ありがとう、クロ。嬉しい!」
「……チッ」
笑顔でお礼を伝えると、クロは舌打ちしながらそっぽを向いた。
けれど、その体から溢れる魔力は明らかに嬉しそうで、どこか照れ臭そうで……それを必死に隠してる姿が、なんだか可愛い。
「そういえば、アマンダさん。もう一人いるって聞いてたんだけど……いないの?」
「ん? ああ、グルージオのことかい」
こっちはクロからじゃなくてアタイからだ、って渡されたクッキーを齧りながら、私は気になったことを尋ねてみる。
アマンダさんやクロのこともそうだけど、まだ会えてなかった“鮮血”の仲間と会えることを楽しみにしてたから、姿が見えないのがちょっと気になったんだ。
「あー、アイツはまだ来ないよ、昼間だからね」
「昼だと……ダメなの?」
「ダメってことはないんだが、アイツは人と会うのを怖がってるからね、夜にしか町に入って来れないのさ」
「……?」
人を怖がってる? ネイルさんの話だと、カリアさんよりも大きくて、それにものすごく強いのに?
よく分からなくて首を傾げる私に、アマンダさんは少し困った表情を見せた。
「ちょっと説明するのが難しいんだが……まあ、それは夜に、実際アイツが帰って来てからだね」
「うん、わかった」
「気を付けろよ。ヤツは正真正銘の化け物だ、お前が下手に触れたらぷちっと潰されちまうぞ」
それまで黙ってたクロが、なんだか怖いことを口にする。
一体どんな人なんだろう……そんな風に思いながら、その場はごく普通に、アマンダさんやクロと、久しぶりの再会を喜び合うのだった。
夜になり、私はベッドから体を起こした。
最後の仲間が帰って来るまで、アマンダさんのところで魔法の勉強をして待っていようと思っていたんだけど、途中で眠っちゃってたみたい。
アマンダさんの部屋じゃなくて、自分の部屋のベッドにいるのは、多分アマンダさんが運んでくれたからだろう。いつの間にかパジャマに着替えさせられていることにも、それほど驚きはない。
けど、今はそれどころじゃなくて……。
「何……? この魔力……」
この拠点に、初めて見る恐ろしい魔力が近付いてるのを感じる。
今にも爆発しそうなくらい暴力的で、前に見た龍にも負けないくらい目がチカチカして……そんな恐ろしい魔力に気付いてしまった私は、正体を確かめるためにパジャマ姿のまま慌てて外へ飛び出す。
するとそこには、大きな大きな熊みたいな男の人がいた。
「……子供……誰だ……?」
真っ暗な夜の闇の中、月明りに照らされて浮かび上がる全身には、無数の傷跡が浮かぶ。
ずっと暴力的な魔力が溢れ出してるのに、その色はすごく悲し気で、酷く怯えていて……なんだか、小動物みたい。すごく矛盾してるけど、そう感じてしまう。
「……すまない、怖いよな……すぐ消えるから……待っててくれ……」
その姿をボーっと見つめていたら、何を勘違いしたのか、熊さんがゆっくりと後ずさり始める。
きっと、この人が最後のメンバーの、グルージオだよね……? そう思った私は、後ずさる熊さんを追いかけて、その丸太みたいに太い足にしがみつく。
「お……おい……何をしている……危ないぞ……」
「大丈夫、大丈夫だから。何も怖くないよ」
よしよし、と足を撫でると、グルージオ(多分)は動揺を隠すことも出来ず魔力が揺れる。
そんな彼のズボンを引っ張って、私は拠点の中を指差した。
「私、ミルク。グルージオ、だよね……? 朝まで、一緒にお喋りしよ?」