第32話 再会
ミルクが自力で脱出する可能性に賭ける。
そう決めた“鮮血”の面々だが、それまで何もしなかったわけではない。
ミルクが脱出するには、侯爵家の城がある程度手薄になっている必要がある。そのため、彼らは城下町のあちこちで騒ぎを起こすことにしたのだ。
傭兵嫌いで有名な侯爵からの締め付けで鬱憤が溜まっている傭兵達をそそのかし、派手な大喧嘩を演じて見せたのである。
娯楽の少ない平民達にとって、自分達が巻き込まれない範囲においては傭兵同士の喧嘩など見世物でしかない。それも、噂に名高き“鮮血”のメンバーが戦っているとなれば、誰もが一目見ようと集まってくる。
派手な魔法。空高く舞う大男。体格差を物ともしない圧倒的な強さに、人々は熱狂した。
とはいえ、やはり喧嘩は喧嘩だ。衛兵などはどうにかそれを止めようとするのだが、屈強な傭兵を相手に為す術がない。
仕方なく、騎士の出動を侯爵家に依頼し……大喧嘩が鎮圧されるより先に、町中に魔物が出現したとの一報が舞い込む。
その実態はあくまでアマンダの魔法による幻覚だったが、素人にはそんな違いは分からない。パニックを宥めるためにも、犯人を捕らえるためにも、騎士の出動が要請され……そんなやり方で、城の警備を削り続けた。
連絡の付けようもないミルクが、ラスター達の動きに呼応出来る保証などない。
その癖、そう何度も同じ手は使えない以上、ほとんど一発勝負となってしまう。これがダメなら、本当に正面からの強行突破しかない。
祈るような気持ちで動いたラスター達の思いは、奇跡的に実を結ぶ。
彼らの騒ぎとは異なる場所で、“ほとんど下着姿の獣人の少女が、門番と口論になっている”と情報が流れてきたのだ。
「ミルク!!」
「あっ……ラスター!!」
いち早く現場に辿り着いたラスターが呼び掛けると、ミルクもまた彼に気付いて大きく手を振る。
勢いよく駆け寄ってきた小さな体を、ラスターは思い切り抱き締めた。
ミルクもまた、これ以上ないほど強くラスターにしがみつき、ぐりぐりと顔をすり付けている。
「ラスター、寂しかった……でも、がんばったよ」
「ああ、一人で脱出してくるなんて偉いな、本当に凄いぞ、ミルク」
「えへへ……」
その嬉しさを現すように、パタパタと尻尾を振る。
人目も憚らずに笑顔を見せるミルクを労うように、ゆっくりとその頭を撫でながら……ラスターは、ふと気になったことを尋ねる。
「それよりミルク、その格好はどうしたんだ?」
「これ……? えっとね、これはクロが、私を逃がしてくれた時にくれたの。下着だけじゃダメって」
「クロ? いや、外套の方じゃなくて、下着姿の理由を聞きたいんだが……一体侯爵に何をされた? ゆっくりでいいから話してくれ」
「え? えーっと……」
なぜ下着姿なのかといえば、脱出する際に動きづらい服は邪魔だったからだ。
しかし、質問を二つ重ねられたミルクは、最後にされた質問だけ答えてしまう。
「脱がされて……お風呂入れられて……ちょっと痛かった。あ、それと……服、返して貰ってない」
ミルクの記憶では、侯爵家に着いて最初にされたことといえば、入浴だった。
メイド達の手で服を脱がされ、お風呂に押し込まれ、全身を隅々まで洗い流された。服はその際に洗濯に出され、まだ返して貰っていない。
しかし、メイド達も入浴の手伝いは久々だったのか、あるいは子供相手の経験に乏しいのか、少々乱暴な手付きが最初は痛かったというのが、ミルクの感想である。
ところが、これがとんでもない誤解を生む。
「なんだと……?」
「ふえ」
ラスターの全身から怒りの魔力が溢れ出し、ミルクが補足する暇もなく言葉を詰まらせる。
彼が聞きたかったことは、侯爵に何をされたかだ。
それをそのまま、ミルクの証言に当てはめると……侯爵の手で脱がされて、風呂に押し込まれ、そこでされた何かが痛かった、となる。しかも、服は奪われたまま返して貰っていないという。
ミルクが侯爵家でどのような扱いをされていたか知らないラスターは、当然のように侯爵がミルクに乱暴を働いたと解釈してしまった。
それも、性的な意味で。
「あの侯爵……よりによって……こんな小さな子にッ……!!」
「ラ、ラスター……?」
「っ、ああ、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ」
ラスターが笑みを浮かべ、怯えるミルクをもう一度撫でる。
ミルクを信じて待つべきだという団長の判断が間違いだったとは思わない。それでもラスターはこの時、心の底から後悔した。
やはりあの時、迷わず侯爵家に正面から殴り込みをかけて、あの変態貴族をさっさと血祭りにあげておくべきだったと。
「もう大丈夫だぞ、ミルク。もう怖いことなんて何もないからな」
「??????」
励まされていることも、本気で心配されているということも、その裏で信じられないほどに激憤していることも、全てミルクには視えている。
だが、五体満足で、大した怪我もなく脱出してきたのに、どうしてラスターがこんなにも怒っているのか。
まだまだ幼いミルクにはその理由がさっぱり分からず、いつまでも混乱するばかりだった。




