第3話 精霊の眼
ラスターに抱っこされたまま、私は初めて外に出た。
うんと小さい時はここじゃない別のところで暮らしていた気もするけれど、そのことはもうほとんど何も思い出せなくて……だから、初めて見た人の町は、私にとって驚きでいっぱいだった。
「わあ……!!」
右を見ても、左を見ても人がいる。
上を見れば青い空がどこまでも広がっていて、白い雲がふわふわと浮かんでる。
食べ物の匂い。花の匂い。鉄の匂い。木の匂い。色んな匂いが混じり合って、そのどれもが檻の中よりずっと良い匂い。
耳鳴りがするくらい静かだったのに、外に出た途端音がたくさん溢れていて、頭がくらくらする。
あっちこっちにきょろきょろと目を向けていると、ラスターはそんな私を面白がるように噴き出した。
「楽しそうにしているところ悪いが、町を観光している暇はないぞ、伯爵のところに報告に行かないといけないからな」
「伯爵……貴族の、偉い人?」
戦う時以外は巻くようにしてるっていう包帯で顔を隠したラスターに、私は疑問に思ったことを尋ねる。
貴族の人が来る時は、ご主人様がいつもすごく気を張っていたから、印象に残ってるんだ。
ドロドロとピカピカが半分ずつ混ざった、変わった人だったと思う。
「ああ。この町を治める、リグル・デルーリオ伯爵だ。俺達は伯爵からガエリオ……お前を捕まえていたヤツを懲らしめるように依頼されたんだ」
「……ご主人様、何か悪いことしたの?」
「……お前は本気で言ってるのか?」
「???」
首を傾げる私に、ラスターは頭を抱える。
どうしたんだろう、と疑問に思っていると、ラスターは急に私と向き合い、こんこんと説教を始めた。
「ミルク、念のため言っておくが、普通の人は子供に枷を嵌めて檻に閉じ込めたりしないからな?」
「……私は、人じゃないから、そうしなきゃダメって」
「そんなわけあるか。獣人だって立派な人だし、獣人を虐げていい決まりもない」
断言するラスターの言葉に、嘘はない。魔力の揺らぎで、私にはそれが分かる。
だからこそ……ご主人様の言葉に嘘がなかったことも、間違いない。
ご主人様は、本気で……私を、人じゃないから、捕まえておかないとダメな存在だと思ってたんだ。
よく分からなくて混乱する私を、ラスターはまた撫でてくれた。
「まあ、おいおい覚えればいいさ。これからは、きっと今までよりも良い暮らしが出来る」
意味はわからないけど……こうやって撫でられるのは好き。
もっとして欲しいって思うけど、働いてもいないのにご褒美は貰えない。
「ラスター……私、何すればいい?」
「うん?」
「何すれば、ラスターの役に立てる?」
ご主人様がどうなったのか、詳しくは聞いてない。けど、ラスターの話を聞いてる限り……もう戻れないってことだけは分かる。
それなら、私は……ラスターと一緒にいたい。
そう伝えるも、ラスターは困ったように顔をしかめるだけだった。
「……俺は傭兵だ、お前と一緒にはいられない」
「……そっか」
しょぼん、と耳と尻尾を垂らす私を、ラスターがまた撫でる。
「また会いに行くから、そんな顔をするな」
「……うんっ」
ラスターが来てくれるなら、どんな場所でも頑張れる気がする。
そう考えている間に、私とラスターはご主人様の屋敷よりももっと大きなお屋敷にやって来た。
首が疲れちゃうくらいの豪邸にびっくりしている間に、ラスターは綺麗な服を着たお爺さんに案内され、中に入っていく。執事さんって言うらしい。
建物の中は、壁も床も、みんなピカピカに輝いていた。
魔力がどうとかじゃなくて、本当にピカピカなの。全部綺麗に掃除されて、ピッカピカ。
私も、ご主人様に言われて屋敷を掃除させられたことが何度かあるから、ここまで綺麗に出来るのは本当にすごいと思う。
きょろきょろと、町を歩いていた時と全く同じように辺りを見渡してたら、ラスターだけじゃなく案内してくれてる執事さんからも、なんだか温かい視線を向けられた。
ラスターとはまた違う、穏やかで優しい魔力が心地好い。
「戻ったようだね。その様子だと、首尾は上々、と言ったところかな」
やがて到着した部屋の中にいたのは、見覚えのある伯爵様だった。
見覚えがある、と言っても、あくまで一方的にだ。
私が“お仕事”をする時は、ご主人様の助手っていう人と誰もいない部屋に行って、助手さんの《透過》っていう魔法で、一方的にご主人様の話し相手を見ていたから。
伯爵様は、そんな“お仕事”で見た、ご主人様の話し相手の一人だ。
「そちらの獣人の子も、久し振りだね。まだ生きていてくれたようで何よりだ。嬉しいよ」
そのはず、なんだけど……伯爵様は私を見て、そんな風に言った。
私のことを知られていることにも驚きだけど……優しい笑顔で、全然思ってもないことをあっさり口にするのは、正直ちょっと怖い。
「……嬉しく、なさそう」
だから私は、いつもの癖で思わず“視えた”ままの感想を言ってしまう。
それを聞いた途端、伯爵様はやれやれと肩を竦め……それまでの笑顔が嘘みたいに、スッと表情を引き締めた。
「君相手には繕っても無駄だという情報は、正しかったようだね。……ああ、その通りだ。正直なところ、君は“鮮血”の襲撃で死んでいてくれた方が、面倒がなくて良かったよ」
「なっ……お前、何を言ってやがる!!」
伯爵様の言葉に、ラスターが怒りの感情を爆発させた。
荒々しい魔力が部屋中に広がり、私の視界を埋め尽くす。
あまりに強い光の奔流に、私の意識があっという間に遠ざかっていくのを感じながら……伯爵の溜め息の音だけが、やけに大きく耳に響いた。
「それくらいにしておくといい、あまり強い魔力を出すと、その子の眼が潰れる」
「っ、ミルク!?」
ふっと、視界いっぱいに広がっていた魔力が収まり、世界が本来の色を取り戻す。
忘れていた呼吸を再開し、ぜーぜーと胸を上下させる私の背中を、ラスターが何度も撫でてくれるけど……なかなか、落ち着かない。
「……どういうことだ?」
「私も、今の今まで確信があったわけじゃない。だが、どうやらその子には“精霊眼”が宿っているというのは間違いないようだ」
「“精霊眼”!? 魔法の開祖だっていうハイエルフの女王にだけ継承される力を、どうして獣人のこいつが!?」
「さてね。そこまでは私も分からないが……私が、死んでいてくれた方が都合がよかったと言った意味くらいは分かってくれただろう? その眼は、あまりにも有用過ぎる」
二人の話は難しくて、私にはほとんど理解出来なかったけど……どうやら、私の眼はすごく貴重で、単に人の嘘を見抜くだけに留まらず、色んなことに使えるみたい。
どれだけ巧妙に隠された毒も、どれだけ高い技術を持つ暗殺者でも見付け出すことが出来る上、どんな魔法だろうとそれが“魔力”に由来する力である限り、精霊眼を持つ者には通じない。この世のあらゆる“魔”を見抜き、従える、女王の眼──
……って伯爵様は説明してくれたけど、それが具体的にどれくらいすごいのか、今の私には全然分からなかった。
ただ、よっぽどすごいんだってことだけは、ラスターの動揺する魔力を視てれば分かる。
「ねえ、ラスター……」
「あ、ああ、なんだ?」
「……この眼があれば、ラスターの役に立てるってこと?」
だから私は、さっき断られたことを、もう一度聞いてみる。
会いに来てくれるならそれでいいかな、とも思ったけど……やっぱり、出来ることなら一緒にいたい。
じーっと見つめながらお願いする私に、ラスターは困ったように目を伏せる。
そして、まさにそれこそを待っていたとばかりに、伯爵様は手を叩いた。
「ちょうどいい、それなら君たち“鮮血”に追加の依頼だ。しばらくの間、その子を保護しておいて貰いたい」
「っ、はぁ!? 何言ってんだ、この子はガエリオの悪事を暴く証拠品だろ、だからここに連れてきただけで……!!」
「その通り。彼が違法奴隷の飼育などという暴挙に手を染めていたのは由々しき事態だ。他の証拠と合わせて、無事に彼を厳罰に処す手札が揃った。が……先ほど言った通り、“精霊眼”の力は絶大だ。その存在が知られれば、多くの者がその子を狙うだろう」
嘘……っていうわけじゃないけど、どことなく後ろめたさを感じている人の、“イヤな”魔力の動きが視える。
ここまであからさまだと、ラスターにも伝わるのか、すごく嫌そうな顔になっていた。
「特に、ガエリオの後ろ楯だった貴族達は、こぞってその子を我が物に、と考えるだろうね。それをはね除けるには、私では力不足だ」
「……俺達“鮮血”なら大丈夫だっていうのか」
「少なくとも、私よりはね。何せ、王国最強にして最悪の傭兵団だ、貴族相手にも容赦をしないのは有名な話だし、抑止力としては完璧だろう?」
「…………」
ラスターが何も言えなくなったのを、同意したからと考えたのか。伯爵様は、清々しいくらいの笑顔と──憎々しいくらい真っ黒な魔力で、一方的に告げた。
「期限は三ヶ月だ。その間に、その子を引き取ってくれる正規の者を探し出そう。それまでは、君たちが大事に守っていてくれたまえ。期待しているよ」