前編
私の大学生活について言い表すとすれば、究極に味気なく中身のない、無駄なものだったとなるだろう。大学を「就職活動のための下積み」としかとらえていなかった私は、膨大な学費を払って買った4年間において、まったくもって自主的な活動をすることがなかった。これについて十年も経過した今ようやく後悔しているのだが、当時の私にはその深刻さがまるで分らなかった。
私が合格した大学は都心にやや近い県の国立大学で、企業からの評判も良い方であることはすでに情報を得ていた。実家からの距離も近く、そこそこの企業に就職できれば良いという意識の私にとってはこれ以上ない条件だった。
私が大学に合格した年は、流行り病が猛威を振るった最初の年だった。年始頃から話題になり始めたそれは瞬く間に世界中へ広がり、毎日感染者数や初期症状や海外の状況などをニュースで報道していた。そんな状況であったので、大学の講義はほぼすべてがオンライン通話で行うことになり、最初の1年はほとんど同級生と会う機会がなかった。4月の頭にあったオリエンテーションで顔を合わせたものの、6月の暮れにはすっかり忘れていた。
人と話すのが苦手で、特にこれといった趣味もなく、何かしらのサークルに所属する気力もなかった私は、瞬く間に孤立した。オリエンテーションは3回ほど行われ、最終回ではすでにいくつか大きなグループが出来上がっていたのだが、私はそのどれとも接点がないままだった。辛うじて同じ高校出身の学生3人ほどとつながりがあったが、それも赤の他人とまるで相違ない程度で、ついぞ彼らが話し相手や相談相手となることはなかった。
大学の講義は成績のよろしくない私にとって難度が高く、1年度の前期が半分を過ぎようとする頃には、すっかり卒業への道筋が隠れて軽く絶望していた。当初はアルバイトを始めようなどと暢気に考えていたが、それは叶わぬ目標だった。
こんな、散々なと形容して然るべき大学生活ではあったが、ただ一つだけ、特筆できることがあった。一人の友人──おそらく相手方もそう認識してくれていただろう──と知り合えたことだ。
その男はオリエンテーションの段階からひと際目立っていた。というのも彼は、皆が真面目に教員の話を聞いている時でも、グループを作って何かしらの活動をするときも、オリエンテーション開始前から終了後まで、常に本を読みふけっていたのだ。その執念はいっそ恐ろしいほどで、一度教員がそれとなく読書を中断するよう促していたのだが、丸で聴く耳もたず視線すら動かなかったので、皆が皆その男に関しては無視を貫くようになった。
彼は私にとって、唯一心の支えだった。学年の中で宙ぶらりんのまま過ごしているのは、私と彼のただ二人だけで、そんな相手がまるで動じていない様子を見ていると、卒業までならどうにかなるのではないかという根拠のない自信が私の中にふつふつと沸き起こってきた。
と言っても、話しかけようとか、仲良くなろうとか、そういった考えは私の中に微塵もなく、ただ週に一回か二回ある対面での講義で、彼の姿を確認して安心するだけにとどまっていた。私が彼と明確に親しくなったのは、実のところ対面の講義が増え始めた2年次の後期からだった。
親交を深めたきっかけはグループ活動を基本とする講義の一つで、そこで私は彼と同じグループに属することとなった。人数は五人で、残りの三人が非常に仲の良い女子集団だったので、必然的に私と彼はそのグループ内においても浮いた存在となってしまった。よくある話だが、そうなってしまった私たちは多数派である彼女らに諸々の作業を頼まれて──実態としては『押し付けられた』と形容しても過言ではない──しまい、彼との作業を余儀なくされた。
彼(便宜上今後はS氏とさせてもらう)はやはり本から顔を上げることがなく、必要な作業こそ手伝ってくれたがそれ以外は基本無反応であった。手にしていた本はカバーが付けてあり題名を知ることは叶わなかったが、ちらりと視界に映った図から工学関連であることは推測が付いた。彼が本を読む姿はどこか切羽詰まっていて、まるで読書をやめれば今後の人生が崩壊してしまうのではと言った様相だった。何が彼をそこまで駆り立てるのか無性に気になった私は、ときおり彼に話しかけるようになった。
「君には関係ないだろう」が返事の定型文だった。それ以上もそれ以下もなく、私が何を聴こうとも決まって彼はそう返した。そこまで頑なに隠されると私としてもいよいよ気になって仕方がなくなり、講義で会うたびに何かしら質問を投げかけていた。
「君はずいぶんと物好きなやつだな」
講義もあと数回で終了になったころ、ようやくそんな返事が返ってきた。私はまさか彼が欠片でもこちらに興味を向けてくれるとは思ってもいなかったので、驚いて数秒間言葉が出てこなかった。
「そんなに僕のことが気になるのか」
「本の虫な君がどんな考えでそうしているのか、知りたくてしかたがないよ」
「そうかい。なら、話してやろう」
「ほ、本当かい」
「この後は食堂だろう? そこで軽く話をしてやろうじゃないか」
私は一も二もなく同意した。思い返してみれば随分と高圧的な態度で、今同様の状況に置かれたならばきっと「聴いてやる義理などない」と突き放していただろうが、この時の私はとにかく彼の思想の奥底を明かしてやろうという意地で動いていた節があったので、彼の不遜さはまったく鼻につくこともなかった。
移動の際も彼は一切本から目を離さなかった。何を読んでいるのかと聞いてみると「特殊相対性理論に関する本だ」とだけ返されて、題名や著者はわからずじまいだった。私は彼が手に取る本の種類が知りたくて自分が学びたいわけではないので、そこについて深堀りすることはなかった。
食堂に着くと、彼は一切の迷いなく牛丼を注文していたが、私はなかなか決められず数分悩んで醤油ラーメンを注文した。会計を済ませて空いていた席に座ると、初めて本を置いた彼が私の目をじいっと見つめて、話を始めた。
「まず一つ質問だが、君は時間を消費するのが惜しいと感じたことはないかい?」
「それは、まあ」
「どの程度?」
「わからない。そんなことを考えている時はたいてい一瞬で時が過ぎてしまう」
「それはまあ随分と暢気なことだ。僕はね、常に時間の消費が、浪費が惜しいんだ。それこそ過去の無為な時間を思い出しては首を括りたくなるほどに」
そう語る彼の目はずいぶんと濁っていて、カルト宗教やマルチ商法の勧誘でもされているような気分だった。顔は私の方を向いていたが、その瞳にはすでに私の影など微塵も残っていないことは明白だった。彼はそこから、息つく暇もなくまくし立て始めた。
「時間というのはね、有限なんだ。五感で直接知覚することができないから実感できない謎とほざく輩もいるが、時間というのはとても貴重な、大切な資産なんだよ。それを僕たち人間はあまりに無駄遣いしすぎている。
そのことに気が付いた僕は頭がどうにかなりそうだった。考えてもみなよ。僕たちはすでに二十年生きている。そう、20年だ。どれだけの時間を棒に振った? 和が一生の五分の一、四分の一、もしかしたらもうすでに半分浪費してしまっているのかもしれない。それはね、何よりも罪なことなんだよ。決してため込んでおくことのできない時間という資源を無駄にするのは自分自身の人生を冒とくしているに等しい。そんな愚かなことがあって良いはずがないだろう。
オリエンテーションなどと銘打ってつまらない雑談に興じ、大した学びも得られない道化を延々と続けるのはまさに阿呆のやることだ。そうだ、あの猿共は救いがたい阿呆なんだよ。わかるかい、僕は心底軽蔑しているんだよ。もちろん君に対してだってそうだ。何故与えられた時間を重要なことにつかわないのか。何故何も得られやしないことばかり繰り返しているのか。
僕はね、時間という概念を消し去ってしまいたくて仕方がないんだ。死までの時間制限という鎖を破壊してしまえばこんなに悩み苦しむことなんてない。きっと周囲の人間のことも自然体で受け入れられるようになる。
想像してみると良い。たった一つの命題について何もせずじっと悩み続けることができるんだ。それも無制限にだ。これほど素晴らしいこともないだろう! 君は悩んだことがあるというから少しは理解してくれるだろうさ。
だが他の人間はみな『悩めばいい』などと戯言を! 彼らには考える頭がないのか? メモにすら使えないような紙切れや水の数滴にはうるさく口出ししておきながら、時間の浪費という深刻な問題について碌に考えようともしない。
私はそんな愚かしいことはしないさ。私は私の人生が尽きるより先にこの枷を破壊してみせる。時間というのはこの世界において唯一絶対的であり最も罪深いものだ。人間は時という制約を克服して初めて次の段階へ進むことができる」
その言葉の紡ぎ方はまさに狂気的と評するにふさわしかった。冷静沈着な喋り方をすると思えば突然感情的に他者を侮辱し、その変化は何の前触れもなく突然だった。話がひと段落して息を入れると、彼はふと我に返って腕時計を覗いた。
「ああ……こんなことをしている場合ではないのに! すまないが話はこれで終わりだ」
彼は食べかけの牛丼をもってそそくさと席を立った。私はすでに麺も具もなくなった器を抱えながら、茫然と彼の背中を視線で追った。