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家を出て、無言で向かったのはるかと話し込んだ例の公園だ。
すっかり陽が落ちるのが早くなっており、既に日は暮れかけている。
この時間なら、子供が遊びに来ることもないだろう。
一言も発することなく公園に入っていくと――、突然、後藤は理久の胸倉を掴んだ。
穏やかな話し合いができるかどうかは、わからなかった。
その不安が的中してしまう。
後藤は理久に掴みかかったまま、強い眼光で睨み付ける。
「どういうことだ……! あんたは、三枝のことが好きなんだろう……!? 何してるんだよ……! 兄妹なんだろ!? いっしょに暮らしてるんだろ……!? あんたは、一番好きになっちゃいけない相手を好きになってるじゃないか!」
低く、抑えつけたような怒号をぶつけられる。
後藤は理久より年下だが、元運動部らしく身体は鍛えられているし、理久よりも身長が高い。
感情のままに襟首を掴まれ、その痛みと苦しみに呻いてしまう。
後藤はそれを意に介さず、さらに言葉を叩きつけてきた。
「三枝に口止めしたのは三枝のためじゃなく、自分の保身のためだろ!? 俺に好意がバレたからだ! あぁそうだよな、その気持ちがバレるわけにはいかないものな……! 同じ家で暮らす異性から好意を向けられていたら、安心して夜も眠れない……! だというのに、あんたは……ッ!」
後藤は険しい目で睨み付けてくる。
握る手の力も強くなっていた。
すべての憎しみをぶつけるように、後藤は理久を見ていた。
あぁ、彼からするとそうだろう。
自分の好きな人には、ひとつ歳が上の義兄がいて。
しかも、そのことを自分だけが知らされていなくて。
その兄がその子を好きになっていて。
だというのに、ひとつ屋根の下でいっしょに暮らしている。
冷静でいられるはずがない。
ギリギリと手の力が強くなり、彼はさらに言葉を重ねる。
「なんとか言えよ……ッ!」
さしずめ、彼はヒーローにでもなったつもりなのかもしれない。
悪い男の手に堕ちた、大好きな少女をそこから救うヒーロー。
彼の立場なら、そんなふうに感じていてもおかしくはなかった。
けれど。
その思い違いこそが、理久には許せなかった。
理久だっていい加減に限界だった。
既に限界ギリギリだっていうのに、こんなにも力いっぱい理不尽を押し付けらてしまって。
もう、我慢の限界だった。
彼の腕を、精いっぱいの力で握りしめる。
そうして、己の感情を叩きつけた。
自分の中に巣くっていた激情は、いとも簡単に暴れ出す。
「……うるさいッ! なんだよ、どいつもこいつも、人を犯罪者みたいに……! 俺が彩花さんを傷付けたか? 傷つけるそぶりを見せたか? たったの、一度でも……っ! あの子の顔を見ているのに、なんでそんなことを言えるんだよ! 君たちが一方的に騒いでるだけじゃないか! 勝手に憶測して、好き勝手言って……! いい加減にしてくれ……っ!」
後藤に激情を思い切りぶつけると、彼は怯んだような表情になる。
それだけ、理久の思いは真に迫ったものだった。
ぐつぐつに煮詰めた、今まで感じたマイナスの感情の塊。それを無理やりに固めているのだから、きっと相応に重い。
それを後藤に叩きつけてしまう。
ただ、後藤の言葉はきっかけになってしまったものの、これではほとんど八つ当たりだと言えるかもしれない。
そう自覚しているのに、それでも理久は己の感情を抑えられなかった。
今までの我慢も、鬱憤も、既に理久の中ではいっぱいいっぱいだった。
だからこそ、一度溢れた思いを止められず、暴力的に後藤に振るってしまう。
言ってもしょうがないことを吐き出してしまった。
「君はいいよな、あの子を自由に好きになれて、好きだと言えて! それがどれだけ素晴らしいことか、俺が羨ましいか君はわからないだろう……? 俺だって、俺だって好きで兄をやってるんじゃない……っ! 好きな人が義妹になった、その苦しみも知らずに、勝手なことを言うな……ッ!」
理久は、彩花のことが好きだ。
いっしょに暮らすようになって、その想いは日に日に大きくなっている。
けれどこれは、周りから後ろ指差されるような恋心で、だれからも非難をされて、周りからは「彩花を傷付ける者」として認識された。
それは、かつての彩花でさえそうだ。
彼女は明確に、兄である理久に怯えていた。
周りが心配するのも、その気持ちも、理久はわかる。
わかる、けれど。
それが本人にとって辛くないかは、別の話だ。
理久は、辛かった。
周りからそんなふうに言われることが。
そう決めつけられることが。
理久は、後藤が羨ましかった。
相手を好きだと言えることが。
己の気持ちを、相手に伝えられることが。それを周りから祝福されることが。
実際に好意を伝えた後藤と、それを許されない理久。
その差に苦しみを覚えていたのは確かだ。
でも、その差は本当に大きいだろうか。
大きいもの、と勘違いしてやしないか。
後藤の行為は、果たして本当に手放しで許される行為か。
……そう、後藤は誤解している。
大人げないと感じつつも、理久はそれでも止まることはできなかった。
後藤は理久を睨みつけている。
理久の思いを、「そんなことは知らない」とでもばかりに見ている。
その顔に、八つ当たり染みた思いを突き付けた。