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その日の夕方。
小山内家のリビングに、三人は集まっていた。
理久が座る向かい側には、普段よりさらに仏頂面になった後藤がいる。
理久の隣には、彩花が肩身が狭そうに座っていた。
『なんで、ふたりが、いっしょに。というか、なんなんだ、今の会話は。兄さん? 冷蔵庫……? スーパー……、買い出し……。なぁ三枝……。いったい、なんなんだ……?』
今朝、理久と彩花がランニングをしている最中。
ちょっと休憩しているときに、ふと漏らしてしまった、あまりに家族らしい会話。
それを偶然、通りかかった後藤に聞かれてしまったのだ。
彼も理久たちと同じく、早朝ランニングをしていたらしい。
困惑する後藤だったが、「とにかく事情を説明してくれ」、と彩花たちに詰め寄った。
しかし、その日は平日。
学校前にちょっと、と話せる内容ではない。
なので放課後、後藤には小山内家にやってきてもらったのだ。
「それで。どういうことか説明してもらえるんですか」
後藤は、目つきを険しくさせながらそう言う。
状況が状況だ、そんな表情になってもおかしくはない。
きっと彩花は今日一日、針の筵だったのではないだろうか。
彩花はおずおずといった様子で、話し始める。
「うん……。夏休みくらいの話なんだけど……。わたしの母と、兄さんの父が再婚して……」
後藤は「兄さん」という言葉にピクリと眉を動かす。
しかし、特に言葉を挟むことなく、黙って話を聞いていた。
彩花は緊張しながら、たどたどしく言葉を並べていく。
理久もそれに加わりながら、今までのことを説明した。
事情をすべて説明しきると、後藤は頭を抱える。
「……俺に言ってくれても、よかったんじゃないか」
彩花に対しての言葉だ。
彩花はそれで、しゅん、としてしまう。
その理由を、後藤は続けて口にした。
「おかしな嘘を吐いてまで、隠すべきことじゃないだろう」
問題は、そこだ。
文化祭までならば、このことがバレてもそれほど問題はなかった。
実は……、と話して、それで済む話だ。
しかし、先日の勉強会では、後藤にだけ嘘を吐いている。
わざわざ彩花は、ここを自分が住む家じゃないかのような演技をし、後藤を欺いていた。
後藤が憤りを感じるのも、無理からぬ話だ。
後藤はむすっとした表情で確認する。
「このこと、宮沢は知っているのか」
「うん……。佳奈には、前々から再婚した話は伝えているから……」
「望月さんは」
「るかさんも知ってる……」
「…………」
後藤はため息を吐き、頭を振った。
もう一度、「俺にも言ってくれてよかったんじゃないか」と言葉を突き付ける。
彩花は肩を落とし、「ごめんなさい……」としょんぼりしている。
「ちょっと待ってほしい」
理久は口を挟む。
理久がここにいるのは、このときのためだ。
後藤は、じろりと理久に目を向けた。
その瞳は、今までのものとは決して同じものではない。
彼が理久を敵視しているのは、明白だった。
その理由を、理久は当然わかっている。
けれど今は、見て見ぬふりをさせてもらった。
「彩花さんは、知られたくなかったんだよ。同じクラスの、しかも男子である君には。わかるでしょ? 再婚した話なんて、そう言いたい話じゃない」
理久の言葉に、後藤はむっとしていた。
しかし、一方でその言葉には納得するものがあったらしい。
一度は口を閉じかけたものの、理久自身に対して反発を覚えたようだ。
睨むような目つきで彼は理久を見る。
「でも、宮沢には伝えていたんでしょう。それなら俺にも……」
「佳奈ちゃんと後藤くんじゃ、立場が違うでしょう」
「にしたって、あんな嘘を吐くくらいなら……」
「や、やめてくださいっ」
口論に発展しそうな気配を感じたからか、彩花が辛そうに声を上げた。
伏し目がちになりながら、口を開く。
「嘘を吐いたのは事実です……。後藤くんが不快になるのも、仕方ないです。後藤くん、ごめんなさい」
彩花が謝ったことで、後藤は気まずそうな表情になる。
目を逸らしながら、ぼそりと答えた。
「いや……。俺も悪かった。親の話なんて、言いたくないに決まってる」
そう、それは事実だ。
彩花は中学生の女の子。
クラスの男子に、「うちの親、再婚したんだ」なんて言える子は、きっとそこまで多くない。
だからこそ、理久は心がちくりと痛んだ。
ここで黙っているのは、フェアじゃないと感じたのだ。
「……彩花さんは、言おうとしてたんだ。嘘を吐いたことを心苦しく思っていて、申し訳ないと感じていて。だから君には伝えようとしていた」
「…………?」
後藤が顔を上げて、理久を見る。
彩花は「兄さん、それは」と止めようとしたが、理久は言葉にした。
責められるべきは、間違いなく理久のほうだ。
「でも俺が、言わないほうがいい、って彩花さんに伝えたんだ。相談してくれた彩花さんに、『やめたほうがいい』って。その意味を、君ならわかるでしょ。だから、悪いのは俺だよ」
後藤は目を見開く。
そのまま、理久をまっすぐに睨み付けた。
しかし、彩花がきょとんとして見ていることに気付き、そっと目を逸らす。
そこには、明らかな苛立ちと怒りが見て取れた。
その理由を理解できていないのは、きっと彩花だけだ。
「そうですか。わかりました。納得しました」
後藤は頷き、立ち上がってしまう。
「納得したので、俺は帰ります」
「え、あ、えっと、うん……」
流れについていけない彩花だけが、戸惑いながら返事をしていた。
しかし、後藤が本当に納得したとは、理久は思っていない。
案の定、玄関で後藤は理久に目を向ける。
「小山内さん。ちょっと付き合ってもらえせんか」
「えっ……」
それに動揺したのは、彩花だった。
なぜ、という顔で後藤と理久の顔を見比べている。
それもそうだろう。
自分の義兄と、同じクラスの男子がなぜふたりきりで話をするのか。疑問に思って当然だ。
「わかった」
けれど、理久があっさり頷いてしまうものだから、彩花は慌てる。
「えっ、えっ。どうして……? どうしてふたりが……?」
事情を知らない彩花だけが、物々しい雰囲気に混乱していた。
心配そうに、今にも「わたしも行きます」と言い出しそうな彩花に、理久は苦笑を浮かべる。
しかし、この話し合いは彩花がいると成立しなくなる。
なんと言ったものか、と悩む理久に、後藤はあっさりと言った。
「三枝。恋愛相談だ。三枝が来ると困る」
「あっ……。あぁ、そう、いう……。わか、った……」
彩花は顔をぽっと赤くして、俯いてしまった。
確かに、恋の対象である彩花がいる前では、恋愛相談はできない。
いや、後藤ならできてしまいそうだが、彩花が困るだろう。
納得してくれたようなので、理久も靴を履き替えようとした。
すると、彩花は理久の袖をそっと引っ張ってくる。
「あの……、兄さん。あんまり変なことを教えないでくださいね……?」
かわいい。
顔を赤らめながら言う彩花に、そんな場合ではないのに和んだ。
彩花が心配するような秘密を、理久は数多く持っている。
体型の話とか。
食べ過ぎるところとか。
理久が恋愛相談に乗っているうちに、そういった情報を出すのを危惧したようだ。
当然、そんなことをするわけないので、「大丈夫ですよ」と笑っておいた。
「…………………………」
しかし、そんな理久たちを後藤はじっと見つめていた。
そこで自覚する。
そんな秘密が霞んでしまうほど、理久は大きな秘密を後藤に握られている。
本当に、和んでいる場合ではないのだ。
この生活がこれからも続くのかどうか、そんな瀬戸際であることを彩花だけが知らなかった。