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勉強会は順調に進み、後藤たちが買ってきてくれたクッキーをつまみながら休憩を挟んだあと。
そろそろ勉強を再開しようか、というタイミングで佳奈が声を上げた。
「ちょっと用事を思い出しました。コンビニに行ってきます」
すくっと立ち上がり、そう言う。
どことなくセリフ臭い言い方ではあるものの、それ自体は特に問題はない。
けれど、続く言葉には驚かされた。
「彩花。るかさん。付き合ってもらえませんか」
「えっ?」
頓狂な声を上げたのは、彩花だ。
声には出さなかったものの、理久も同じような声が出かけた。
わざわざ三人で行くの?
理久と後藤のふたりを残して?
「…………」
佳奈は感情を隠すように無表情で、それに合わせるように後藤も無表情。
るかは目を細め、佳奈を見ている。
無理のある提案だと自覚しているのか、佳奈は強引に彩花の手を握った。
「ほら、彩花。行こ」
「え、でも。それだと――」
「いいから。るかさんも。付き合ってください」
佳奈は彩花の制止も聞かず、さっさと手を引っ張っていってしまう。
るかは頭を掻きながら小さく息を吐き、ちらりと理久たちを見た。
理久と目が合う。
さすがにるかにも佳奈の意図が読めないようで、その瞳には特に感情を宿していなかった。
数秒の思案のあと、「はいはい、しょうがないなぁ~」と立ち上がる。
そして、三人は部屋を出て行ってしまった。
「……………………」
リビングには理久と後藤だけが取り残された。
本当に出て行ったようで、玄関の扉が閉まる音が聞こえてくる。
そうなると当然、リビングには沈黙が下りた。
聞こえるのはせいぜい時計の針の音くらい。
「……………………」
……いや、どういう状況?
義理の妹の友達と、自宅のリビングでふたりきりなんて。
気まずい、なんて言葉じゃ生ぬるい。
これは後藤が望んだ状況なのか、それとも佳奈の差し金なのか、それすらわからなかった。
ただただ、重たい沈黙がこの場を支配している。
このまま黙り込んでいるのもよろしくない。
けれど、後藤との共通の話題なんてせいぜい彩花のことくらいだ。
それを彼と話すのもどうなんだろう……?
「あの」
後藤のほうから声を掛けてきた。
不愛想ではあるものの、こちらに気を遣うような空気は感じた。
案外、そういうところには気を配るタイプだろうか。
運動部は上下関係も厳しいだろうし。
けれど、彼の口から出てきた言葉はどうも世間話、というものでもなかった。
「小山内さんは、三枝とどういう関係なんですか」
何とも無骨な直球であった。
あまりにもまっすぐすぎるうえに、前置きも何もない突然の投げ掛けだったせいで、答えに詰まる。
落ち着いた状況でも、すんなりと答えられたかは疑問だけど。
「どういう関係って……」
自分で言葉にして、改めて考える。
どういう関係なんだろう。
いや、答えはとてもシンプルだ。兄妹。義理の兄妹。それ以下でも、それ以上でもない。
けれど、後藤には当然その答えを告げられない。
彩花が隠したがっているから。
……でも、本当にそうだろうか。
「ただの兄妹だよ」と言うことに抵抗があるのは、自分のほうではないか?
「……ええと。るかちゃんが俺と昔からの幼馴染なんだけど。その、るかちゃんと仲良くなったのが彩花さん。で、そこからたまに三人で会う、みたいな感じだよ」
友達の友達だ、と伝える。
元々考えておいた嘘。
そうだったらよかったのにな、と思う嘘だ。
後藤は特に不審に感じた様子もなく、「なるほど」と小さく呟いた。
そして、確かめるように口を開く。
「なら、三枝のことは何とも思ってないんですか。あんなにいい子で、綺麗なのに。小山内さんとも距離が近い感じがしましたが」
再び、直球を放たれる。
これは一種の警戒や、嫉妬なのかもしれない。
理久の行動や態度で怪しんだわけではなく、「彩花ほどの子が近くにいて、男が惚れないわけがない」という一種の自信――、いや、こういうのは自信とは言わないか?
何にせよ、自分の好きな子が異性と仲良さそうにしていれば、普通は心穏やかではいられない。
関係を確かめたくなる。
理久だってそうだった。
後藤の視点からすれば、理久は文化祭に呼ばれるような男で、彩花は家に何度も来たことがある。
理久と彩花の背景を知らないのであれば、訝しむのに十分な存在だった。
かといって、それに優越感を覚えることはない。
なぜなら。
「……そういうのじゃないよ、俺と彩花さんは。そうだなあ、彼女は妹みたいなものだよ」
みたいなもの、というより本当に妹だ。
よくもまぁ自分が傷付くとわかっているのに、そんなことをさらりと言えるものだ。
理久と彩花は義理の兄妹。
たとえ、後藤が不安を覚えるくらいに距離が近かったとしても、それ以上近付くことはない。
それどころか、理久の気持ちが知られれば、彩花は深く傷付くことになる。
そんな雁字搦めの状態で苦しむくらいなら、後藤のように気持ちを晒せたほうがどんなに楽だろう。
理久の心の機微に気付く様子はなく、後藤は「そっすか」とだけ返事をした。
「君は彩花さんのこと、好きなんだろうね」
妬みか嫉妬か、理久は余計な一言を言ってしまう。
年下に八つ当たりするなんて、みっともないと思うけれど。
それでも、言わずにはいられなかった。
理久は彼が、羨ましくて仕方ないからだ。
同い年で、同じクラスで、彼女の友達からも応援されて。
彩花のことが好きでも、周りから全く後ろ指を差されないだろう彼が。
後藤は軽く目を見開いたあと、「そんなわかりやすいですかね」と頭を掻いた。
中学生らしいあどけない表情に、波打っていた感情が徐々に穏やかになる。
おそらく、彼も言われ慣れているのだろう。
それだけ、後藤の態度はわかりやすい。
彼は頭を掻くのをやめて、こちらにじっとした視線を送ってきた。