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「………………」
ひとりになると、どうしても先ほどの話が脳裏に浮かぶ。
佳奈のアシストもあって、おそらく彩花は後藤のことを憎からず思っていたはずだ。
恋愛がよくわからない、という言葉は本当だろうし、異性として好いていたわけではないしても。
佳奈が言うように、「試しに付き合ってみる」という選択がまるきりなしだったとは思えない。
受験が理由ならはっきりとそう告げるだろうし、受験が終わるまで返事を保留してもいい。
別の理由があったはずだ。
彩花は交際をはっきりと断った。
その理由を、「お付き合いなんて、できません」とだけ告げて。
そこにどうしても、引っ掛かっていた。
彩花はずっと、自分の考えをまとめるように、整理するように話していた。
それがまとまった瞬間、彩花は不自然なくらい早急に話を畳んだ。
だからこそ、理久は気になっている。
あれでは、うっかり一番話をしてはいけない相手に、口を滑らせたようではないか――。
「――あぁ」
そこまで考えると、自然に答えが見えてくる。
彩花が「付き合えない」と口にしたのは、理久のせいだ。
そうとしか考えられない。
理久の存在があるから、彼女は交際を断るしかなかった。
佳奈が似たようなことをしていたではないか。
理久を牽制するために、彩花と後藤をくっつけようとしていた。
後藤をお守りの道具に使おうとしていた。
もちろん、それに対して彩花も思うところはあっただろうけれど。
ここで考えるべきは、後藤の気持ちだ。
後藤は、理久と彩花の関係を知らない。
けれど、親密になればその秘密を彼には明かさなくてはならない。
その結果、どうなるか。
後藤はどう思うか。
自分の愛する女性が、歳の近い男性とひとつ屋根の下、いっしょに暮らしている。
血の繋がりもない他人といっしょに、寝食をともにしている。
その事実に、恋人が何も思わないでいられるだろうか。
「……思わないはずがない」
理久が後藤の立場だったらすごく嫌だろうし、心配するだろうし、常に気に掛けてしまうだろう。
義理の兄に対して、佳奈のような行動を起こしてしまうかもしれない。
きっと彩花は、それを嫌った。
問題を起こさないように、彼を不安にさせないように、最初から交際を断った。
三枝彩花は、他人の男性と暮らしている。
恋人を不安にさせる負債が、その肩に乗っている。
それを実感したのではないだろうか。
つまり、あのときに見せた寂しい横顔は。
これから先、きっと恋愛も満足にできないのだろう、いう諦めの表情だったのではないか。
「……………………」
理久は、思わず両手で顔を覆う。
彩花は眠っているし、この車両にほかの乗客がいなくて助かった。
この事実は、とても無表情では受け止め切れない。
ここで理久が、「よかったあ。じゃあ彩花さんはだれとも付き合えないじゃん」と喜べるズルい男であれば、こんな思いは抱かなかったのに。
自分という存在そのものが、彩花の自由を奪っている。
その事実に、ただひたすら打ちのめされていた。