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やがて、学校のチャイムが鳴り響く。
それぞれが足を止めて、なんとなく天井を見上げる。
そして、彩花が「すみません。もう戻らなきゃいけません」と困ったような顔で笑った。
どうやら、文化祭はこれで終了のようだ。
あとから入った放送が、『本日の文化祭は終了しました――、来場の方はご退場頂くようお願いいたします――』と告げている。
ふっと息を吐き、あぁそれなら、と理久が別れの言葉を告げようとする。
しかし、それより先にるかが口を開いた。
「彩花ちゃん。今からまだ何かやるの? 片付けとか?」
「? いえ。ホームルームして終わりですよ。片付けは明日やる予定なんです」
「そっか。それ時間掛かりそう? よかったらいっしょに帰らない? 彩花ちゃんも今日電車なんだよね。せっかくだから、彩花ちゃんと下校するのも乙かなって」
その提案に彩花は小首を傾げる。
「わたしは嬉しいですけど……。ちょっと時間掛かっちゃうかもですよ」
「いいよいいよ。理久としゃべって待ってるから」
るかの笑顔に、彩花も笑みを返す。
「それでは校門で待っていてください」と彩花は告げ、ほかのふたりも「ありがとうごました」とあまり心のこもってない挨拶とともに、教室に戻って行った。
「………………」
るかの提案に理久は違和感を持つ。
るからしくない。
彼女たちの背中を見送りながら、理久はるかに問いかけた。
「どうしたの、るかちゃん。何か用事でもあるの?」
「そうじゃないけど。なんかちょっと理久に申し訳なくて。下校のときくらい、彩花ちゃんとふたりきりで過ごせれば、と思ってさ」
「? え、るかちゃんは?」
「帰るよ。ふたりでゆっくり帰ってきなよ」
どうやら、理久のためにアシストしてくれたらしい。
るかの言うとおり、ちょっとへこんでいたのも確かだった。
彩花と同い年、そして同じクラスの後藤は、やたらと佳奈からくっつくよう力添えされていた。
彩花と後藤がくっつくことを、佳奈は心から望んでいる。
一方、理久と彩花の関係は、佳奈が危機を感じて、わざわざ忠告までしてくるもの。
いっしょにいることさえ、佳奈には許せないのだろう。
彩花のことを好きなのは、後藤も理久も同じなのに。
その差に、何も感じないわけがなかった。
理久とるかは校舎を出て、ほかの来場者とともに校門を抜けた。
大多数が駅に向かう中、校門の近くで彩花を待つ。
るかとぽつぽつと言葉を交わしていたが、大して待たないうちに生徒が下校し始めた。校門からぞろぞろと生徒が出てくる。
それを見てから、「じゃあ先に帰るね」とるかはその場を離れた。
彼女を見送ってから、理久はため息を吐く。
天を仰ぐと、やけに嫌な色をした曇り空。
もしかして降らないだろうな、と心配になる。
理久がしばらくひとりで待っていると、見覚えのある生徒が視界に入るようになる。
三年一組で見た面々だ。
ホットケーキを作っていた女の子や男の子だった。
彼らは楽しそうに笑顔で話していたが、そこに彩花の姿はない。
そろそろ出てくるだろうか、と校門の奥に目を向ける。
「あ」
すると、別の見覚えのある人物が目に入った。
三人の女子グループのひとりに、佳奈がいたのだ。
彼女は足を止め、こちらをじっと見つめる。
ほかのふたりに何事か口にすると、そのふたりは先に行ってしまった。
そして、佳奈がこちらにずんずんと近寄ってくる。
「先ほどはどうも」
言葉とは裏腹に、全く友好的には聞こえない硬い声を発する。
警戒心がありありと感じられて、理久は苦笑するほかない。
「彩花を待ってるんですよね」
「あぁうん。そう。そろそろ出てきそう?」
「生憎、いくら待っても彩花は来ませんよ。先に帰ったらどうですか?」
なぜか彼女は勝ち誇ったような顔でふふん、と笑う。
どういうこと? と問いかけると、「プライバシーの問題がありますので」と肩を竦めた。
彩花が理由なく約束を違えるとは思えない。
スマホを取り出してみると、彼女からメッセージが入っていた。
どうやら慌てて打ったらしく、「すみません遅くなりそうです先に帰って頂いても」と句読点なしの文章が並んでいる。
「なんかあったの?」
「だから、ここからはプライバシーだってば。答えられません」
苛立たし気に同じような言葉を繰り返す佳奈。
その小さい身体を見下ろす。
彩花よりも一回り小さく、腕も足も不安になるくらい細い。成長途中とはいえ、なんとなく彼女はそれほど背が伸びないような気がした。
こんな小さな身体で、友人のために見知らぬ男女に立ち向かうのだから、すごい度胸だ。
同時に虚勢を張る姿が微笑ましく感じ、理久は少しでも佳奈を安心させようと言葉を紡いだ。
「えーと。あの、佳奈ちゃん。俺、怖い人じゃないから怯えないでいいよ」
「は……、はぁ!?」
佳奈は顔をカーっと赤くして、まじまじと理久の顔を見つめた。
思いも寄らぬことを言われて怒った、というよりは、図星を差されて羞恥に染まった、という感じだ。
瞳も唇もわなわなと震えて、明らかに動揺している。
な、なんで!? という声が聞こえてきそうだったし、恥ずかしさで頭がいっぱいになっているのが伝わる。
あぁ、まずい。
言わなきゃよかったかも。
そもそも、佳奈の内心を読み通していたのはるかだったし、理久は気付きもしなかった。
それだけ彼女の恐怖心は上手く隠れていただろうし、本人もそう思っていたかもしれない。
だというのに、その相手から「怯えないでいいよ」なんて言われるのは赤っ恥だろう。
隣にるかがいたら、小突かれていたかもしれない。
「な、なにを、何を言ってるのかわかりません! もう知りません! せっかく人が親切心で教えてあげたのに!」
ぷんすかと怒り出して踵を返し、佳奈は大股でずかずかと戻って行く。
その憎まれ口も照れ隠しなのが伝わるし、申し訳ない気持ちで彼女の背中を見送った。
しかし、佳奈はこちらを振り返る。
その顔は真っ赤だったし、出てきた声もヤケクソじみたものだった。
「忠告したからね! 彩花は来ませんから!」
返事も待たず、そのまま立ち去って行った。
心の中で両手を合わせながら、理久は校門に目を向ける。