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「ところで。小山内さんは、彩花と暮らし始めて一ヶ月くらいですか? どうですか。少しは彩花のことを知れましたか」
期間を強調される。お前は彩花のことを何も知らないだろう、でもわたしは、わたしたちは違う、と挑発された。
むっとしつつ、それに答える。
「まぁ、それはね。何せ、いっしょに暮らしているくらいだし」
今度は佳奈がむっとする番だった。こちらを睨むように見上げてくる。
小声で「理久。大人げないって」とるかに背中をつつかれ、ちょっとだけ反省した。口をつぐむ。
すると、佳奈は挑戦するような目つきを向けてきた。
「あぁそうですか。なら彩花が何の部活をやっていた、知っています?」
なんと小癪な。
彼女に対する知識を試そうとしてくる。
「吹奏楽部でしょ。吹いていたのはトランペット」
平然と言葉を返すと、るかがため息を吐いた。
いやでも、るかちゃん。これはあっちが仕掛けて来た勝負だから、と心の中で言い訳をする。
佳奈は頬をぴくりと引きつらせ、なおも挑戦的な目をしていた。
「ふ、ふうん……、聞いていましたか。それなら、彩花が好きな小説のジャンルは?」
その質問に、理久は一度考え込む。
それは、その質問に答えられないわけではなく。
「青春小説が好きって言ってたかな。それと――」
最近読んで面白かった、と言っていた本の名前も付け足す。それを思い出すのに時間が掛かってしまった。
佳奈は眉根を寄せ、明らかに不愉快そうにしている。
残念ながら、こちらも四苦八苦しながら彩花とコミュニケーションを取った身だ。気まずい中、お互いに出した情報はたくさんある。
……あまり自慢できるようなことではないけれど。
しかし、佳奈はめげずにさらに言葉を重ねた。
「では、彩花の趣味はなんでしょうか」
「読書」
即答する。
これは間違いないはず。
理久は彩花が本を借りるところも、本を読んでいる姿も見ている。
たまに、リビングで本に目を落とす彼女を見掛けた。
珍しい真剣な横顔、長い髪を時折かきあげる仕草が、理久は好きだった。
けれど、理久が答えると、佳奈は途端に勝ち誇った表情になった。
佳奈は頭を振りながら、これ見よがしに呆れたような声を出した。
「あぁ、なるほど。お兄さんには、彩花は〝本当の趣味〟を教えてないんですね。いやまぁ、読書も彩花は好きですけどね。まぁでも、そうかぁ。彩花はあの趣味、あんまり人に言いたがらないから」
「ちょ……、ちょっと、佳奈ちゃん。なにそれ。答えは? 本当の趣味ってなにさ。教えてくれないの?」
「彩花が黙っているなら、わたしが言っちゃダメでしょう。本人に聞いてみたらどうですか? まぁ、付き合いの浅い小山内さんに教えてくれるかはわかりませんけど……」
こ、この子……。
にやにやと嬉しそうにしている佳奈に、凄まじい敗北感を覚える。
そういえば、趣味を聞いたときに彩花は口ごもっていた気がする。
隠していることならば、聞いたところで教えてくれるかは微妙だ。
これが、付き合いの長さの違いか……。
佳奈のせいで余計な悲しみを背負い込みそうになったが、そこではっとする。
「……その趣味、後藤くんは知ってるの?」
「……………………。まぁ。彼も、知らないと思いますけど」
佳奈は、面白くなさそうに顔を前に戻す。
付き合いの長い後藤でも知らないのであれば、ハードルはそもそもそこではない。
そのことを指摘できて、一矢報いた気になる。
……いや、そもそも。
こんなことで佳奈とバチバチしていてもしょうがない。
ある意味、理久は付き添いなのだから。
「るかちゃん、話さなくていいの?」
るかは佳奈の挙動を嬉しそうに眺めるばかりで、話に加わる気配がない。
それを小声で指摘すると、るかは身体をカチンと硬直させた。
ぼそぼそと答える。
「いや、うん。話したいけど、さ。やっぱ緊張するって……。佳奈ちゃん、見れば見るほどタイプだし、さっきから心臓バクバクでさ……」
顔を赤くしながら、もじもじとそんなことを言う。
恋する乙女らしい反応だが、このままでは何も進展しない。
頑張りなよ、とるかの背中に手をやった。
それに勇気をもらったのか、るかは一歩前に出た。
満を持して、るかは彼女に話し掛ける。
「あのー、佳奈ちゃん。佳奈ちゃんは恋人っている……?」
直球過ぎる。
早いって、その質問は。
気になるところだろうけど、いきなりすぎるって。
理久がハラハラしていると、案の定佳奈は怪訝そうな表情になった。
「わたしですか? ……特にそういう相手はいませんけど」
佳奈は眉を顰めている。
理久からしか見えないが、るかが小さく拳を握った。「よし」と声も出ている。漏れてるよ。
そこを気にする前に、自分の立ち回りを気にしてほしい。
「なんですか、突然」
「いや、ほら。さっき彩花ちゃんたちに恋人になってほしい、って言ってたから。そういう佳奈ちゃんはどうなのかなって」
苦しい言い訳のように感じたが、それで佳奈は納得したらしい。
理久の心配をよそに、さらにるかはグイグイいってしまう。
「やっぱ恋バナしたいよね、恋バナ。じゃあ、そうだなあ。今、佳奈ちゃんは好きな人っていないの?」
「え、えぇ? 好きな人ですか……? いや、その。特にいないけど……」
そこまで突っ込まれて、佳奈は年頃の少女らしく顔を赤く染めた。
ぼそぼそと言葉を小さくし、そっと目を逸らす。
その姿は純粋に可愛らしい。