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懐かしい思いに浸りながら、廊下を歩く。
廊下や教室は、文化祭らしく可愛く飾りつけをされていた。
彩花の『ホットケーキ屋さん』と同じく飲食を扱う教室もあれば、ちょっとしたゲームができるところや、お堅めな展示を用意した教室もある。
生徒が笑顔で話し込んでいたり、忙しそうに廊下を歩く姿が見受けられた。
「あ、理久。あれじゃない?」
肩を叩かれ、るかが指差す。
三年一組、『おいしいホットケーキ屋さん』。
手書きで一生懸命作られた看板が、出入り口に置いてある。
彩花からも三年一組だと聞いていたので、あれで間違いなさそうだ。
開け放たれた入り口から、中を覗き込んでみた。
中は思ったより教室感が残っている。
学校机を四つくっつけただけのテーブルがいくつか並んでいた。そこにお客さんを座らせているらしい。
黒板の前には長机が置いてあり、そこで調理しているようだ。
複数人の生徒が、長机の前でうろうろしている。
それを見て、理久は思わず目を覆った。
「え、どうしたの理久」
「ホットプレートだ……」
「え?」
長机の奥に中学生たちがおり、そこで彼らはホットケーキを作っている。
しかし、調理に使っているのはホットプレート。
家ではコンロとフライパンで作ってしまった。ホットプレートとなると勝手が違う。
これでは家での練習が意味を為さない……!
「気付くべきだった……。教室で作るなら、そりゃホットプレートだよね……。あぁ、失態だ……」
「いや、別にそこまで大きな違いないでしょ……。ほら、彩花ちゃんいるよ。楽しそうだし、それでいいんじゃないの?」
るかが呆れて指を差した先には、確かに彩花が立っていた。
彼女は制服の上に家から持ってきたエプロンを身に付けて、頭には三角巾を巻いている。
ホットプレートを前にフライ返しを持って、隣の女の子と笑顔で話していた。
その子がホットプレートを指差し、彩花がくすくすと笑う。
その姿は本当にただの中学生のようで、家では見られない姿にちくりと胸が痛んだ。
「いらっしゃいませ。おいしいホットケーキはいかがですか?」
受付の男子生徒が理久たちに気付き、にこやかに話しかけてくる。
すると、その声に彩花が反応した。こちらと目が合い、「あ」と口が動く。
るかは笑顔で手を振り、理久は控えめに手を挙げる。
彩花は隣の子に軽く何かを言ったかと思うと、すぐにこちらに寄ってきた。
「に……、小山内さん、るかさん! 来てくれたんですね」
彩花はぱあっと笑顔を見せる。
久しぶりに聞く呼称に理久が怯んでいるうちに、受付の子が彩花に声を掛けた。
「なに、三枝のお客さん?」
「うん。だから、わたしが案内するね」
さらりと言葉を交わし、彩花はこちらに視線を戻す。
そのまま笑顔で、「こちらにどうぞ」とテーブルに案内してくれた。
彩花の後ろを追いながら、るかが穏やかに口を開く。
「彩花ちゃん、それっぽいじゃん。フロア似合ってるよ」
「そうですか? あ、でもわたしはずっと作ってばかりですよ」
彩花とるかはキャッキャと話しているが、なんとなく理久は会話に入れない。
席に着くと、彩花は苦笑いしながらメニューの説明をしてくれた。
「ええと。メニューはホットケーキしかないんですけど。それがふたつで大丈夫ですか?」
「お、プレーンホットケーキ一本? 硬派だねえ。楽しみ」
「あれですから、あんまり期待しないでくださいね」
彩花は調理班に目を向ける。
作っているのは中学生で、使うのは家庭用ホットプレート。
まぁあの環境で期待するほうがおかしい。
「一枚百五十円です」「安~」「じゃあ、俺とるかちゃんの分でお願いします」とやりとりをしたあと、理久は財布から三百円を取り出す。
その間に、るかが彩花に囁き声で尋ねた。
「彩花ちゃん、さすがに再婚の話は周りにしてないんだ?」
その言葉に少しだけ驚いたような表情になり、彩花はるかと同じように声を潜める。
「そうですね……。仲のいい友人には伝えていますが、基本的には……。あまり大っぴらにするような話でもないですし」
「だよね。わたしでもそうすると思うよ」
困ったように笑う彩花に、理久が三百円を渡す。
彼女は「すぐ作ってきますね」と笑顔で立ち去っていった。
それを見送ってから、るかは理久に身体を寄せる。
昔からの癖なのだが、るかと理久は基本的に隣同士に座ることが多い。
彼女はこちらに肩をくっつけ、耳元で囁いてきた。
「理久が訊きたそうにしていたことを訊いておいたよ」
「……ありがとう」
「いーえ」
しれっとした顔でるかは身体を離す。
やはり、彼女には敵わない。
るかは頬杖を突きながら、彩花に目を向けていた。
クラスメイトの元に戻った彩花は、早速何やら訊かれている。何人かがちらちらとこちらを窺っているから、「あれはだれなんだ、どういう関係なんだ」とでも聴かれているんだろう。
まぁ、これだけ美人なお姉さんが颯爽とやってきたら、話題になるのも仕方がない。
彩花がちらりとこちらを窺い、目が合ったるかが笑顔で手を振るものだから、さらに盛り上がっている。
質問攻めで彩花は困った顔になりつつも、仲間たちといっしょにホットケーキを楽しそうに焼いていた。
やわらかな空気がそこには満ちている。
それを見つめたままのるかが、ぽつり、とこぼした。
「彩花ちゃん、楽しそうでよかったね」
「うん。なんかこう、笑ってる姿を見ると安心するよ。学校では、あんなふうに笑うんだなって」
「……ま。学校以外でも、ちゃんと安心できる場所はできてると思うけどね」
慰めの声を聞きながら、ホットケーキを待つ。
すると、るかが「ん」と声を上げた。
理久も反応してしまう。
彩花の隣に、そっと男子がやってきたのだ。