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「できました……!」
皿の上に置かれた、ちょうどいい焼き色をした二枚のホットケーキ。
いかにもお家で作ったホットケーキだが、香ばしくも甘い香りがするし、バターとメイプルシロップをかけてやれば、立派にホットケーキを名乗れる代物だ。
これが中学校の文化祭で出てくれば、まぁ上等だろう。
テーブルに向かい合わせで座り、ほかほかしたホットケーキを前に手を合わせる。
いただきます、と言ってから、ナイフとフォークを手に取った。
「………………」
理久はつい、彩花の姿を盗み見てしまう。
彼女はきらきらした瞳でゆっくりと一口サイズに切り分けたあと、ぱくん、と喰いついた。
その瞬間、瞳がさらに輝きを増す。
もぐもぐ、としばらく口を動かし、ごくん、としっかり飲み込んでから口を開いた。
「おいしいです、兄さんっ」
「それはよかった。特に手間取ることもなかったですし、これで安心じゃない?」
「はい、よかったです。不安がなくなりました。それに、すごくおいしい……。練習も兼ねて、お夜食で作ろうかな……」
何やら不吉なことを言っている。
確かに彼女は夜な夜なしっかり受験勉強をしているようだが、夜食にホットケーキはどうだろう。カロリー的に。
まぁ、彩花が夜食を作れるほどに遠慮がなくなっているのは、本当に喜ばしいことではあるけれど。
しかし、口を動かしていると思うところがある。
「でも、あれですね。こんな時間にホットケーキ食べちゃったら、夕食減らさないとまずそうですね」
「? なんでですか?」
なんでですか……?
今言ったじゃん?
理久からするとホットケーキは結構腹に溜まるし、とても晩ご飯までに空腹になるとは思えない。
しかし、彩花には全く関係がないらしい。
健啖家だとは思っていたが、これほどとは。
「……彩花さんって、よく食べるけど……」
細いですよね、と言い掛けて、言葉を呑み込む。
いや、今のはいくら何でもよくない! と急ブレーキを掛けた。
同じ家に住む他人に、体型について言及されたら不快だろう……。じろじろ見るな、という話である……。
そう思って言葉を止めたが、しかし、これはこれで失礼な物言いになってしまった。
案の定、彩花は頬を赤く染めて、手を止める。
目を瞑り、唇もきゅっと一文字にしてしまう。
「……たしか、に、わたしは人より食べるほう、かもしれませんが……。兄さんが、食べていい、と仰ったんじゃないですか……」
拗ねるような、恥ずかしさをごまかすような、その声に。
その可愛さに、目の前がちかちかするようだった。
あまりの愛しさに感情が湧き上がりそうになるけれど、見えないところで拳をぎゅうううっと握ってそれらを留めた。
彩花に、この感情を知られるわけにはいかない。
そして同時に、物凄く慌てる羽目になった。
「いえ、あの、悪いってことじゃなくてですね? 僕はあんまり食べられるほうじゃないから、食べっぷりがいい人がいると、嬉しい、とか、そういうことなんです……」
ほにゃほにゃと変なことを言ってしまう。
彩花にも困った顔をさせてしまった。
そんな微妙な空気になりながらも、半分ほど食べ進めた頃。
彩花がおずおずと、こんなことを言い出した。
「あの、兄さん。実はもうひとつ、相談があるんですが……」
なんと。
彩花は申し訳なさそうな顔で窺ってくるが、そんな表情をする必要は全くない。
頼ってくれて素直に嬉しかった。
思わず、前のめりになりそうになるのを堪えて、ゆっくりと答える。
「なんですか? なんでも言ってください」
迷惑じゃありません、と伝えるように笑顔を作ると、彩花はほっとした顔になる。
けれど、それでも言いにくそうに彼女は口を開いた。
「ありがとうございます。あの、うちの文化祭なんですが……。よかったら兄さん、それとるかさんもいっしょに、遊びに来てくれませんか?」
「俺たちが?」
予想外の提案に困惑する。
嫌、というわけではなく、そんな話を持ち掛けられるのが意外だったのだ。
自分の学校の文化祭に来てくれ、だなんて。
彩花とは以前に比べれば打ち解けたと思うけれど、それでも「遊びに来てよ」なんて言われる間柄とは程遠い。
そこは気になってしまう。
「ええと、理由を聞いてもいい?」
理久の疑問に、彩花は気まずそうに目を逸らした。
長いまつ毛を下に向けて、言い訳を口にするように力なく答える。
「あの、気を悪くしないでほしいんですが……。最初は、お母さんと慎二さんが来てくれる予定だったんです。ですが、母は休日出勤が入ってしまって……。休もうか、とは言ってくれたんですが、そこまでしてもらうものでもないですし。かといって、慎二さんひとりに来てもらうのも……」
「……それは、なんか変な感じするね?」
「はい」
彼女は白い指をまごまごと絡ませていたが、理久の相槌に気まずそうな笑みを作った。
まぁ、義理の父と娘の文化祭なんて、どうあってもおかしな空気になりそうだ。
そこで、ピンチヒッターとして理久とるかに声が掛かった、と。
それに対してマイナスの感情を抱くことはないが、彩花はやや早口になりながら言葉を並べた。
「だれも来ないならそれでいい気もするんですけど……。周りの友達が盛り上がってるのを聞いて、ちょっと寂しくなってきたと言いますか……。もし、兄さんとるかさんが来てくれるなら、嬉しいなって……」
ぼそぼそと、声まで小さくなってしまう。
気にすることはないと思うけれど、ピンチヒッターとして呼ぶには、理久と彩花の関係は微妙だ。
多少は頼りにしてくれていると感じるが、本物の家族のように寄りかかるまではいかない。
しかし、それよりも。
寂しい、という言葉に思うところがある。
だって、本当なら。
その文化祭に顔を出していたのは、香澄とお父さんだったのではないだろうか。
慎二ではなく、本当の父親だ。
父親はもう二度と、学校行事に顔を出してくれない。
それだけではなく、母まで都合がつかなくなってしまう。
その変わってしまった光景に、彼女は寂しさを覚えたのではないか。
それならば、理久の返答に迷いはない。
「行く。行くよ。るかちゃんも誘って、ふたりで行く」
「本当ですか!?」
ぱっと顔を上げて、彩花は表情を喜色で染める。
しかし、すぐに「あ、でも」と顔を曇らせた。
「呼んでおいて何なんですけど……。中学校の文化祭ですから、そんなに楽しいものではないと思うんです……。大丈夫、でしょうか」
「あ、大丈夫です大丈夫です。そこは、はい。わかってます」
どうやら、理久が妙に乗り気だったせいで不安にさせたらしい。
彩花がわざわざ自分の学校に招いてくれたのだ。二番手と言えど、嬉しくないはずがない。
けれど、それで誤解を招くほど喜んでしまうのは非常によろしくない。
確かに、中学校の文化祭でここまで乗り気になるのって変だもんな……。
こんな調子で、本当に気持ちを隠し続けられるのだろうか……。そう不安に思っていると、彩花が気まずそうに呟いた。
「あ、それと……。わたしの友人が、どうしても兄さんに会いたい、と言っていまして……。その子が、ちょっと、迷惑を、お掛けするかもしれないのですが……。わたしも、注意は、しますので……」
彩花が暗い顔を見せる。
友人の義理の兄に対して、そこまで好奇心を丸出しにする人は若干気に掛かるし、何より彩花の態度が不安を煽る。
けれど、それ以上は聞いてほしくなさそうだったので、理久も口をつぐんだ。