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「なんでわたしが、こんなに怒ってるかわからない? なら教える。理久は、理久だけは、その子を好きになっちゃいけないの。一目惚れのままのほうが百倍、いや千倍マシ。どっちにしろアウトだとは思うけど、それでもね」
「え……?」
不可解な言葉を突き付けられ、困惑する。
そこでるかは、手を離した。
苛立たし気に髪を撫で、周りに届かない程度の声で話を続ける。
「理久は一目惚れのときは、まだブレーキが効いてたはず。容姿だけで好きになるなんて失礼だ、って。実際、理久は見知らぬその子を探そうとは少しも思わなかった。もし再会しても、声を掛けることはなかったでしょ。気持ち悪い行為だ、って思ってるから。でも、今はその子……、なにちゃんだっけ。彩花ちゃんか。彩花ちゃんのことが、中身も見た目も大好きなんでしょ?」
「う、うん……」
大好きか、と問われて答えるのは照れくさいが。
そんな表現にこだわっていられる状況ではなかった。
るかが本気で焦っている。
彼女は苦悶の表情のまま、話を進める。
「理久は彩花ちゃんのことを心から好きになってしまった。でもそれ、彩花ちゃんの立場で考えてみなよ。ひとつ屋根の下、いっしょに暮らしてる男子が自分に好意を向けてくるんだよ。意識されてる。女として見られている。それを彩花ちゃんが自覚しちゃったら、どう? どう思う? これから先、彼女は安心して暮らしていける?」
「……………………」
義理の兄が、自分のことを女性として好きになっている。
彩花がそれを自覚したら、どうなるだろう。
彼女が今、少しだけ心を許してくれたのは、理久を家族として、兄として接する努力をしているからだ。
家族になるんだから遠慮をしないでくれ、という理久の涙ながらの訴えによって、少しだけ他人の壁が薄くなった。
けれど、理久が異性として、女子として見ていることに気付いてしまったら。
前提が崩れる。
家族ではいられなくなる。
その先にあったものすべてが崩壊する。
理久の言葉はすべて、違うものに姿を変化させてしまう。
それにようやく気付き、理久はサーっと青褪めた。
呆然としながら、彼女の行く先を口にした。
「彩花さんは、気まずくなる……。どうしていいかわからなくなる……。警戒する……。いっしょに生活するのが、怖くなる……」
「でしょうよ」
るかは腕組みをして、はぁとため息を吐いた。
男女の関係じゃないからこそ、成立するものはある。
理久とるかだって、互いに意識してないから、家族のような関係だから、ここまで気安い。
そこに異性としての意識が入れば、こうはならなかった。
彩花のほんのわずかな信頼やあの無防備な笑顔は、幻のように立ち消えてしまう。
以前のような関係――、いや。
前よりもぎこちない関係になるのは、想像に難しくない。
それを、るかは丁寧に指摘した。
「彩花ちゃんは、理久を兄や家族として接するよう努力してる。だからこそ、理久は絶対に彩花ちゃんを異性として見ちゃいけない。だっていうのに。そんな大好きだ、って顔しちゃってさ。どうするの、理久」
「………………」
どうする、と訊かれて頭を抱えそうだったが、寸前で止まる。
先ほどまで、いろんなことをぐるぐると考えていた。
しかし、どうする、と訊かれたのなら、解答はひとつだろう。
「……要は、俺が彩花さんを好きだ、ってバレなきゃいい。それなら、今までと変わらず生活していればいいんじゃないの……?」
「……………………」
今度は、るかが沈黙する番だった。
確かに、理久は彩花のことを本気で好きになってしまった。
一目惚れではなく、内面も外見も合わせて、三枝彩花という女性が好きだ。
しかし、それを伝えるつもりはない。
るかは眉を顰めて、こちらを見る。
アイシャドウのラメが、小さく光っていた。
数秒ほど黙り込んだあと、おそろしく綺麗な顔が口を開く。
「理久。今日、理久の家に行っていい?」
「え、なんで」
「妹ちゃんを見ておきたい。理久の義妹ってことは、わたしの妹でもあるでしょうよ」