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「おーっす、望月姉弟。じゃなー」
「おはよー」
「うーい」
すれ違いざま、互いにゆるい挨拶をする。
望月姉弟。
それが、幼稚園からいっしょだった理久とるかに付けられたあだ名だ。
小学校では何度も同じクラスになり、家も近所だったふたりは、よく行動をともにしていた。登下校は六年間ずっといっしょだ。
小学校という環境では、そういった関係はからかいの対象になる。
『おい、あいついっつも女子と遊んでるんだぜ』
『女子が好きなんだよ。エロだよ、エロ。なぁ理久もそう思うだろ?』
『え? 俺? 俺が田中くんにそういうこと言えると思う?』
『いや、エロだよエロ。理久、田中はエロだよ』
『なんでるかちゃんも乗り気なの? 俺たちだってそうでしょ』
『望月姉弟はなんかそういうのじゃないだろ』
『姉弟だし』
『それ君らが勝手に言ってるだけで、ほんとの姉弟じゃないし。ていうか、るかちゃんがお姉ちゃんなの今でも納得いかないんだけど』
『いやわたしが姉でしょ』
『姉だろ』
『姉だよな』
『えぇ……』
なぜか理久たちはからかわれることもなく、こんな感じでスルーされてきた。
それは思春期になっても変わらない。
中学生になって雰囲気が変わった男女は何人かいたし、ぎこちない関係であることが周りにバレる人たちもいた。
そんな男女に対し、『お前ら夫婦じゃん』『おーい、●●夫妻~』なんてからかいの声を掛けられ、『ちょっと男子そういうのやめてよ!』と女子側が怒って、結果泣いてしまう……、なんて非常に苦い光景も見たことがあるのだが。
それらも理久たちには無縁で、夫婦ともカップルとも呼ばれず、さっきのように「望月姉弟」といっしょくたにされるくらい。
本人たちはもちろん、周りもふたりを男女の関係と見なすことはほとんどなかった。
それはふたりが本物の家族のような、姉弟の空気感だったことが何より大きい。それに加えて、るかの恋愛対象が女性であることも一因かもしれない。
「そういやわたし、夏休みに中野に告られた」
「え、中野くんに?」
中野、というのは、先ほど自転車に乗っていた彼のことだ。
前を向いたまま平然と言うるかに対し、理久は疑問を挟む。
「でも中野くんって、るかちゃんの好み知ってるでしょ」
「ん。だから、気持ちだけ知っててほしい、って言われた。返事はいいって。気持ちはわかるけど、あれって言い逃げなんだよなー」
るかは面倒そうにため息を吐く。
好意を伝えることは、それだけ相手に負担を掛ける。
そう感じている彼女からすれば、そう嘆くのも仕方がないかもしれない。
しかし、それ以上中野の話をするつもりはないらしく、るかはこちらに目を向けた。
「それより。理久の家、夏休み中いろいろ大変だったんでしょ? おじさん、再婚したらしいじゃん」
そう。その話を聞いてほしかった。
夏休みに入る前に、一度相談しようとも思っていた。けれど、自分でも状況が整理できず、彼女にもなかなか切り出せなかったのだ。
だが今なら、自分の気持ちや彩花のことを含めてきちんと話せる。
家族以外で事情を詳しく話せる相手は、るかしかいない。
「うん。どこまで聞いてる?」
「再婚したってところまで。詳しい話は理久から直接聞けばいいや、と思って。おじさんが自分の都合で再婚なんてするわけないし、何か理由があるんでしょ?」
話が早い。
普通、こんな家庭の事情なんて言い触らすものじゃないけれど、彼女は別だ。
家族にだったら事情は説明するだろう。
理久は父親から聞いた話と、今の家の状況を簡潔に説明する。
その間、るかは相槌を打つだけで余計な言葉を挟まなかった。
すべての説明を聞いたあと、彼女はそこで初めて表情を複雑なものに変えて、ぶはっと息を吐いた。
「なにそれ。めちゃくちゃ大変じゃん。おじさんも理久もしんどいけど、何よりその妹ちゃんが。わたしだったら耐えられないかも」
頭を掻きながら、渋い顔で彼女は言う。それに合わせて、束になった髪が揺れていた。
改めて彩花の置かれた状況を再確認し、「俺もちょっと厳しいかもしれない」と理久は息を吐く。
るかは前を見つめたまま、唸るように続きを口にした。
「そんな状況になったら、グレてやる~ってなるかもなぁ……。家出して、友達の家を泊まり歩いてさ。そんな家に帰りたくなーい、やだやだ、ってなっちゃうかも」
そういう展開もあったかもしれない。
彩花はまっすぐでいい子だと思うけれど、かといって力が掛かっても変わらないわけではない。
家にいるのがどうしても嫌になって、そこから逃げ出す。友達の家で夜を明かすようになる。それを繰り返すうちに、いろんなものが剥がれ落ちていく。
その様を想像して、理久は息が浅くなるのを感じた。
一方、るかは大きなため息を吐く。
「でも、ママの気持ちを考えたらできなくて、感情に蓋をするんだろうな。できるかぎり部屋に閉じこもって、やり過ごそうとするんじゃないかな。何年続くかわかんないけど」
そこだよな、と理久も思う。
母親の気持ちを考えて、身を慮って、彩花は他人の家に住まうことを決めた。
その選択を母に後悔させないためにも、彩花は家族の前では穏やかに過ごしているよう見せなくてはならない。
彩花が初めて来た日、彼女が努めて笑顔を作っていたように。
「……理久。気遣ってあげなよ。その子、本当にしんどいだろうから」
「わかってる」
るかの瞳には、見知らぬ女の子と、理久の関係を心配する色が見えていた。
こういうとき、理久はるかには敵わないな、と思う。
るかが姉、というのは最初納得がいかなかったが、彼女はいつも落ち着いていて、聡明で、理久よりも視界が広い。
弟を心配するお姉ちゃん、という構図はこの数年間、変わったことがない。