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好きな人が義妹になった  作者: 西織
好きな人が義妹になった
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「……悲しい、とか。辛い、とか。そんな言葉じゃ言い表せないよな……」


 真っ暗な部屋の中。

 廊下のわずかな光が、彩花の寝顔を照らしている。

 眠りながら静かに涙を流し、一体彼女はどんな夢を見ているのだろう。


 三枝彩花も三枝香澄も、どん底にいる。

 会社を失い、家を失い、父を失い、平穏な生活があっさりとなくなった。

 何もかも失って、今ここにいる。

 泣きながら、疲れて眠っている。


 父が手を伸ばしたけれど、彼女たちがどん底なのは変わらない。

 生活の心配が多少払拭されたところで、彼女たちはずっと暗闇を歩いている。

 穏やかな生活でないことは、今の彩花が証明している。

 彼女が心から安心して眠れることは、もうないのかもしれない。


『気にしないでください。お父さんがいつも言ってるんです。『困った人がいたら、助けてあげなさい』って。お母さんも、理由を話したら怒らないと思いますから』


 理久が初めて彩花に出会ったあとき、彼女はそう言って笑った。

 父の教えを守り、自身が汚れることも厭わずに理久を助けてくれた。

 本当に彼女は、父親のことが大好きだったんだろう。

 そしてそれは、きっと香澄も。


 自分たちだけ助かるわけにはいかない、と保険金を退職金に回したのは、彼のその考えがあったからではないか。

 理久は彼のことを何も知らない。

 けれど、彩花が父親の教えどおり、手を差し伸べたことで理久は恋に落ちた。

 そして今、自分たちはいっしょにいる。

 そう考えると、不思議な因果だと思う。

 しかし彼は、もうこの世にはいないのだ。


「………俺に何か」


 できることがあるだろうか、と言い掛けて、呑み込む。

 踏み込めない。

 自分は彼女に踏み込めない。

 どうにかしたい、と思いはあるのに、その方法はあるのに、他人という壁に阻まれて、その前に立ち尽くしている。

 気持ちがさらに沈み込むのを感じながらも、これ以上、ここにいてはいけない、と頭が警鐘を鳴らす。


 さっさと、この場を立ち去らないと。

 ようやくタオルケットを掛けようと腕を持ち上げるが、同時に彼女が目を覚まさないか心配になる。

 そのせいで、ついつい寝顔を見てしまうが――。


「……っ」


 恐れていたことが、起きた。

 彩花が、目を覚ましたのだ。

 暗い部屋の中で、それでも彼女の大きな目が開いたことがわかる。


 その瞳が静かに揺れて、暗闇を前にパチパチと動いた。

 混乱しているのが伝わる。

 ただでさえ、住んで数日の家のリビングだ。

 それに加えて照明もなく、視界は横になっている。

 すぐに判断できないからこそ、彼女は起き上がらない。


 ここで理久が、「あ、ごめん。起こしちゃいましたか」とでも言えば、きっと今までどおりだった。

 彩花はすぐさま起き上がり、居眠りしたことを詫びる必要もないのに詫びるのだろう。

 そうなれば、今までどおりのぎこちない生活が続いたに違いない。


「……ぁ」


 彼女の口から小さな、本当に小さな声が漏れる。息遣い、と見紛うほど。

 その理由は明白だ。

 理久と目が合ってしまったから。


 暗闇の中で、お互いの視線が交差する。

 理久は、寝顔を見た後ろめたさや動揺で、すぐには声を出せなかった。

 けれど、視線は交わったまま。

 お互いに目を見つめたまま、硬直している。

 なんと、なんと言うべきだろう、と頭を回転させていると、彩花が妙な反応を示した。


「……っ」


 彼女の瞳は揺れて、瞬きが徐々に多くなる。ぱち、ぱち、と長いまつ毛が何度も上下した。

 小さな唇はいつの間にか閉じられて、きゅうっと真一文字になっている。

 かと思えばすぐに開き、そこから熱い息が漏れた。

 はっ、はっ、と短く、小さな息遣いが無音の部屋に浮かぶ。

 それが徐々に大きくなり、彼女の細い身体が呼吸で上下し始めた。

 瞳は大きく見開かれて、そこには理久の姿を映している。


 その表情が物語るのは、恐怖だった。

 彼女は明らかに、理久に怯えていた。

 けれどそれを必死に抑え、何とか声を出さないようにしている。


 理久は混乱したまま、その顔を見つめることしかできない。

 どうして、どうしてそんな顔をするんですか。

 何か言わなきゃ、と思うのに、言葉を紡ぐには思考が渋滞しすぎている。


 そして、驚くべきなのは。

 彩花が、その表情をさらに変化させたこと。

 彼女は一度、きゅうっと眉根を寄せて、その目を辛そうに細める。

 唇を噛んでいるのに、それでも小さな唇の震えは止まらない。


 やがて。

 彼女は再び目を閉じた。

 強張った表情は少しも消せていないけれど、下手くそな狸寝入りを始めたのだ。

 逃げ出したい、と聞こえてきそうな表情を滲ませたまま。


「――――あぁ」


 理久は、そこで悟ってしまった。

 彼女が何を思い、何を感じて眠ったふりをしたのか。

 気付きたくなんてないのに、彩花の表情はそれだけ雄弁だった。


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