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好きな人が義妹になった  作者: 西織
好きな人が義妹になった
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「その矢先だよ。旦那さんが、交通事故に遭った」

「………………」

 

 言葉が出ない。

 あまりにも凶悪な不幸の連鎖だった。

 お金がなくてもいい、会社や家がなくてもいい、それでも家族でいっしょにいたい。

 そう願ってその道を選んだというのに、最も大切にしたものを失ってしまった。

 その不幸に身体が強張るばかりで、理久は何も言えずに固まってしまう。


 しかし、そこではっと気が付く。

 ある理由に行き着いたからだ。


「それ、本当に事故なの? もしかして……」


 理久の問いに、父は素早く首を振る。


「ちゃんと事故だって判断されたよ。酔っ払いが運転していた車が、歩道に突っ込んできたらしくて。完全に不幸な事故だ。言葉も出ない、不幸な事故だ」


 暗い表情のままで、父は独り言のように呟く。

 不幸な事故。

 言葉が出なくなるほどの辛い現実だが、一方でもうひとつの現実を無視できない。

 すぐにその考えに辿り着いたことに、自分自身でも嫌気が差す。

 けれど、それでも理久は問わずにはいられなかった。


「でも、事故ってことはさ。保険金とかあるんじゃないの……?」


 事故が起きれば、保険金が下りる。

 遺族の悲しさをそれで払拭できるわけではないが、気休めにはなる。

 死亡事故となれば、その額は大きい。


 莫大な借金が残っていても、それを打ち消せるのではないか。

 すぐに金の話に結び付ける自分に失望しながら、返事を待った。

 父も予想していたのか、特に表情を変えることなく答える。


「あぁ。特に問題が発生することなく、賠償金は支払われたそうだ。それだけはまぁ、不幸中の幸いと言えるが……」


 父は難しい表情をしながら、一度眼鏡を外す。

 眼鏡を拭きながら、彼はため息を吐いた。


「借金をそれで完済できるどころか、多少の余裕ができるくらいだったらしい。人ひとりが亡くなってるんだ、当然だと思う。でも、香澄は『自分だけ楽になるのは申し訳ない』って思ったらしくてな」


 眼鏡をかけ直し、話を続ける。


「さっき会社が倒産したって言ったろ。かなり経営が厳しくて、社員には退職金が全く出せなかった。突然放り出された彼らも、相当苦しい。なのに、自分たちは旦那さんの事故によって、危機から脱せられる。同じ人を失っているのに、自分たちだけ。それは働いてくれた社員に申し訳ない、とかなりの額を退職金として渡したんだと。彼もそれを望んでいるだろう、と」

「……………………」


 黙り込む。

 その志は立派だけれど、自分がその立場だったら同じことができるだろうか。

 社員の気持ちを考えれば、自分たちだけが一抜けする、というのは後ろめたいかもしれないが……。それでも、彼女らは家族を失っているわけだし……。

 考えても答えが出ないことが、頭の中でいっぱいになる。

 その間にも、父の話は続いていく。


「結果的に、とても十分とは言えないけれど、社員に退職金を渡すことができた。代わりに借金は少しだけ残ってしまい、彼女らは家と財産、そして夫を失った。それでも、香澄は希望を失わなかったよ」


 父は頬杖をついて、理久から目を逸らす。

 その声が涙に染まっていることに理久は気付いていた。


「自分にはまだ彩花がいる。彩花を立派に育てるために、自分が一生懸命働けばいい。大学だって行かせてみせる、と香澄は意気込んでいたよ。でも、彼女には優れた職歴や資格があるわけではない。財産もない。けれど、稼ぐ方法は簡単だ。ただがむしゃらに働く。昼も夜もなく、狂ったように働けばいい。身体を壊れることも厭わない、けれど娘のためになら絶対に踏ん張る、という強い意志を感じた。本当に、親っていうのはすごいね。多分僕も、理久のためならそれをやり遂げただろう」


 視線を戻し、父はテーブルの上に目を向ける。

 そこで己の指をしばし見つめながら、何かを諦めるように口にした。


「……僕はね、どうしてもそれを受け入れられなかった。妹みたいに思っている子が、絶望の中でも希望を持ち、たったひとりで破滅しようとしている。彼女は自分の人生に見切りをつけ、娘のためだけに生きることを選んだ。それはとても立派なことだと思うけれど、僕は黙って見ていることができなかったんだ」


 だから、再婚なのか。 

 そこでようやく話が繋がってくる。 

 香澄がどれほどの覚悟を持っているかはわからない。けれど、相当無茶な働き方をするつもりなのは、父の話を聞いていればわかる。

 そうしなければ苦しい状況ではあるのだろう。

 娘に納得のいく生活を与えるために、香澄は身を滅ぼそうとしている。


 けれど、ふたりが籍を入れれば、その母娘は少なくとも当面の生活の心配をしなくていい。


 母娘揃って、まともな生活を送ることができる。

 この口ぶりだと、残った借金も父が肩代わりするのだろう。

 そこで父は、こちらに顔を向けた。


「なぁ理久。もし、るかちゃんが同じような状況に陥ったら、どうする。理久は何もせずにいられるか?」

「いられない。多分、どうにかすると思う」


 即答だった。

 何かを考える前にそう口にしていた。

 大事な家族が窮地に陥っていて、黙って見ていられるほど達観できない。

 父はその返答を聞いて、強張っていた顔をわずかに緩めた。

 けれど、再び引き締めて静かに告げる。


「でもこれは、父さんの問題だ。父さんのわがままだ。それに理久を巻き込むことになる。だから相談なんだよ、理久。さっきも言ったけど、僕が一番大事なのは理久だ。そこは譲れない。もし、理久が嫌だと言うのなら、この話はそれでおしまいだ。それに関して、理久が後ろめたさを覚える必要は絶対にない。理久にとっては、見知らぬ他人のよくある不幸話だ。テレビの向こう側の話だとでも思ってほしい。まぁというか、そうなれば別の形で支援するってだけの話だし」


 理久の肩の荷を少しでも下ろそうと、父は声を軽くさせた。

 それは向こうだって同じだ、と父は続ける。


「香澄にとっても、一番大事なのは娘の彩花ちゃんだ。だから彼女も、同じように彩花ちゃんに相談したよ。香澄にとっては、もう自分の身体がどうなろうとどちらでもいいんだ。彩花ちゃんが幸せであれば。だから、彩花ちゃん自身に決めてもらったそうだ」

「それで、その子は再婚を選んだの?」

「そうらしい。母親が働き詰めになって寿命を削るよりは、自分といっしょにいてほしい、と思ったんじゃないかな……」


 ぽつりと言う父の言葉に、見知らぬ女の子の気持ちを考える。

 理久だって父子家庭だ。シンパシーを感じないわけではない。

 もし、父が自分のために昼も夜もなく働いて、今のような生活を維持する代わりに、身体を酷使するのを見逃すか。

 他人と過ごす代わりに、多少は余裕のある生活を手に入れるのか。


 どちらかを選べ、と言われたら、自分はどちらを選択するだろう。

 そんな思考に捕らわれている間に、父は話を進める。


「僕と香澄は、夫婦になるような間柄じゃない。でも、世間体があるからしばらくしたら籍を入れると思う。ただ、将来的に彼女が別れたいならそうするし、僕から切り出すかもしれない。彼女らが安定したら家を出て行くかもしれないし、案外ずっといるかもいれない。先のことはまだ考えていない。でも、とにかく今だけは。彼女たちの拠り所になってあげたいんだ」


 父の声は、今まで息子として聞いていたものとは違う。

 彼がいかに、香澄という女性を深く想っているかが伝わった。

 けれど、その固い決意とは裏腹に、理久が一言「嫌だ」と言えば、すぐさま意見を翻すだろう。


 そうなっても父は彼女ら母娘を放っておかないだろうし、理久が知らないところで手を差し出すつもりだ。

 何にせよ、彼女たちの手助けはするよ、という報告でもある。きっとそれは、理久には迷惑を掛けない程度で。


 理久は断っていい。

 嫌なら嫌だと言っていい。

 すぐに返事はしないでいいよ、と言われて、理久は一度その話を部屋に持ち帰った。

 他人と暮らすのはもちろん嫌だ。

 しかもそれが、年下の女の子といっしょだなんて。

 けれど、迷いに迷った挙句、最終的に理久はその話を了承した。


 結局のところ。

「理久だって、るかちゃんが同じ状況だったら助けるだろう」と言われて即答した時点で、父の気持ちは痛いほどわかってしまっていたのだ。


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