19
「で、できました……」
鍋の中でぐつぐつと煮られるカレーを前に、彩花の表情がぴかぴかに輝いている。
嬉しそうに両手を合わせて、良い香りのする鍋の前で感激していた。
「うん。できましたね。彩花さん、いろいろ手伝ってくれてありがとう。おかげでおいしそうにできた」
「! いえ、教えて頂いてありがとうございました。わたし、こんなにちゃんと料理できたの、初めてです。嬉しいですっ」
輝いた表情のまま、彩花は理久と鍋に視線を行ったり来たりさせている。
本当に感動しているようで、彼女は鍋の前で落ち着きなく身体を揺らしていた。
「………………」
一方、理久は死にそうだった。胸を押さえる。
可愛すぎる……。
まさか、こんなに喜んでもらえるなんて……。
きらめく笑顔も、遠慮がちにはしゃぐ様子も、こちらの心臓をひたすらに速めてくる。
その達成感からか、暗い表情や無理をしている表情が多い彩花も、今だけは歳相応の中学生の女の子に見えた。
こんなにかわいい子がいたら、クラスの男子全員恋しない? 大丈夫?
理久がバレないように浅い呼吸を繰り返していると、そこで小さな事件が起きる。
きゅうう。
まるで小動物の鳴き声のようなお腹の音が、耳に入ったのだ。
その瞬間、彩花の動きがぴたりと止まる。
かああ、とわかりやすく顔を真っ赤にして、自身のお腹に手をやった。
「………………」
ここまで露骨に反応されると、聞こえないふりもできない。
腹の音くらいだれだって鳴るだろうし、気にしないでいいと思うのだけれど、彼女は思春期の真っ最中。
そりゃ男子に聞かれるのは嫌だろう。
なんだかんだで彩花に教えているうちに、普段の何倍もの時間を使っていた。
時計を見ると、既に午後六時を過ぎている。
正午にご飯を食べたと考えると、空腹を覚えてもおかしくない時間帯だ。
父と香澄は先に食べていてほしい、と言っていたし、先に晩ご飯にしちゃおうか。
腹の虫には触れずにそう提案しようとすると、そこで悲劇は連鎖する。
きゅうう。きゅうう。きゅうう。
「あっ、あっ、あっ……!」
お腹を押さえていても、さらに鳴り響く腹の虫。
一回だけでも辛いだろうに、それを三連打、いや先ほどのを加えて四連打。
あまりのことに彩花の顔がこれ以上ないほど真っ赤に染まり、肩をぷるぷると震わせていた。
潤んだ目を見張り、耐え難い羞恥に晒されているように固まっている。
「……もう、ご飯食べちゃおうか。父さんたち、遅くなるって言ってたし」
「すみません……」
「いや、お気になさらず……」
両手で顔を隠してしまった彩花を前に、そっと視線を逸らす。
家族だから気にしなくていいよ、と言うには、あまりに関係が浅すぎた。
とにかく、晩ご飯だ。
正直なことを言えば、この場に香澄も父もいないのに、ふたりで食事を取るのは抵抗がある。
何せ、昨日会ったばかりの義妹とふたりきりの食事なのだから。
昼ご飯は雑な食事だったというのに、それでも十二分に気まずい食卓だったし。
しかし、今回はふたりで作った料理だ。
しかも彩花にとっては初めての料理で、一生懸命に彼女が作ったもの。
そのおかげで、今だけはぎこちない空気も薄れている。
彼女の意識も料理に向かっていた。
「彩花さん、どれくらい食べますか?」
カレー皿に自分のご飯を盛り付けたあと、手を洗っている彩花に問いかける。
彼女は「あ、ありがとうございます……」と言ったあと、ちょこちょことこちらに寄ってきた。
別に座ってもらってよかったのだが。
彼女は理久のカレー皿に目を向けて、そっと問いかけてきた。
「そちらは、小山内さんのお皿ですか……?」
「うん。ご飯はいっぱい炊いたから、気にしないでいいですよ。父さんたちの分もちゃんとありますから」
「……では、小山内さんより少し少なめでお願いできますか」
「はいはい」
言われたとおり、彼女の量を調整する。
そのうえにカレーのルーをたっぷり掛けて、テーブルの上に運んだ。
食卓に並ぶ、カレーライスとポテトサラダ。
その奥に座る彩花は、らんらんとした目で嬉しそうに料理を見つめていた。
昨日よりも人数は少ないし、ご飯も豪華じゃないけれど。
今日のほうがよっぽど明るく感じた。
「いただきます」
「いただきます……っ」
ふたりで手を合わせて、早速カレーに手を付けていく。
ぶきっちょに切られたニンジン、ジャガイモは形が不揃いで、すくい上げるとその大きさに笑ってしまうものもある。
でもどれも愛嬌があって、可愛らしかった。
ぱくりと口にすると、普段自分が作ったカレーと同じ味がする。
当然だ、レシピは変えていないのだから。
でもいつもよりもおいしい気がした。
「おいしい……」
彩花も口にした瞬間、そう呟き、感動したようにカレーを見つめている。
初めての料理。
その瞬間に立ち会えて、なんだか嬉しい気分になる。
香澄が帰ってきたら、「これふたりで作ったんですよ」と報告してもいいかもしれない。
彼女はそのままパクパクと食べ進め、そのたびに満足そうにしていた。
ふたりで料理して、ふたりでいっしょに食べて。
なんだかいいな、こういうの……。