15
スーパーに入ると、クーラーの冷気が火照った身体を冷ましてくれる。
その心地よさに、思わず目を瞑ってしまう。
平日の昼過ぎ、という時間だけあって、店内に見えるお客さんはそれほど多くはなかった。どことなくのんびりした空気が流れる中、気の抜けたBGMが店内放送で流れている。
すると、隣に立つ彩花が静かに口を開いた。
「外、暑かったですね」
「そ、そうですね」
彩花は困ったように笑いながら、そんなことを言う。
彼女のほうも、歩み寄ろうとしてくれているのは伝わる。
今回の買い物もその一環かもしれない。
カゴを取り、いつもと同じく生鮮食品のコーナーから順路を辿っていく。
後ろをついてくる彩花は、物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回していた。
「あの、小山内さん。買い出しのコツって聞いてもいいですか?」
「買い出しの、コツ……?」
難しいことを言う。コツも何もないと思うんだけど。
必要なものを買うだけでは? と理久が困った顔をしていると、彩花も同じく困り顔になって肩を落としてしまう。
「すみません……。わたし、料理ができないとお伝えしたと思うんですが……。以前は買い出しもすべて母がやってくれていたので、塩梅がわからず……。実は家事も、お掃除と洗濯くらいがせいぜいで……。すみません……」
「いや、そんな。全然。あの、それが普通だと思うんで……」
しょぼん、としている彼女の身体つきは細く、どこか頼りなさを感じる。
まだ幼さが残る顔を見ても、彼女の容姿は中学生、甘く見積もっても高校生にしか見えない。歳相応だ。
普通の中学生の女の子なら、むしろ掃除と洗濯をちゃんとできるだけでも立派だと思う。特に彼女は、少し前までごく普通の中学生だったのだから。
父子家庭とはいえ、家事をすべてこなしていた理久のほうが特殊だろう。
彩花はそこに言及する。
「小山内さんは、料理もできるんですよね。すごいです」
「んん……。いや、そんな大したものは作れないですケド……」
謙遜しつつも、舞い上がりそうな心を必死で抑える。
彼女のくりくりした目には、尊敬の色が滲み出ていた。それをまっすぐに向けられると、今すぐにでも踊り出したくなってしまう。
ありがとう、父さん。今まで家事をやってきたのは、この日のためだったのかもしれない……。
と、そんなふうに喜んでばかりじゃいられない。
彩花が「コツを教えてくれ」と言うのなら、彼女に自信がつくよう、出来る限りのことをしなくては。
おほん、と咳払いをしてから、理久は口を開く。
「まず食材は、献立を組み立てながら買っていくかな……。何作るか決めていたら、買う物も自ずと決まってくるから。あとは冷蔵庫のものと相談ですね。補充したいものをメモなり覚えるなりして、それを買っていきます」
ジャガイモをカゴの中に放り込みながら、ごくごく当たり前のことを言う。
当然のことすぎて何を言っているんだろう、という気になってくるが、彩花はふんふん、と真剣な様子で頷いていた。
両手をきゅっと握り、胸の前に持ち上げている。
かわいい。
その一生懸命さに愛おしさを覚えてしまう。
「あの、小山内さん。さっきから迷いなく食材を入れていますが、今日の献立は決まってるんでしょうか」
「うん? あぁそうですね。カレーでも作ろうかなって」
「カレー……」
彩花の表情がやわらかくなり、大きな瞳がきらりと輝く。
嬉しそうだ。カレーが好きなのかもしれない。
これは作り甲斐がある、と内心でやる気が燃え上がる。
その間にも、ひょいひょいと食材をカゴの中に放り込んでいく。
そのたびに、彩花が視線で追いかけ、「にんじん、たまねぎ、おにく……」といちいち口にするのが可愛くてしょうがない。
それに、何だかドキドキしてしまう。
おこがましい、何様だ、気持ち悪い、とは自覚しているものの、感じてしまったことはどうにもならない。
ふたりでいっしょにスーパーで買い出しをして、今日の献立の食材を買って。
傍から見たら、同棲しているカップルか夫婦に見えるのではないか――。
そんなことを考えていたら、パァンと左頬をはたかれた。
彩花にではなく、理久自身の左手に寄って。
「お、小山内さん……っ!? ど、どうしたんですか……!?」
「いや、あの、蚊です……」
「そ、そんなに全力で叩かなくても……」
突然の蛮行に彩花が目を白黒させていたが、これは仕方がない。
自分自身に罰を与えないと、気持ち悪い妄想の罪に耐えられなかった。
これ以上、おかしなことを考えないための処理でもある。
そこで、あ、と声が出た。
衝撃で思い出したのだ。
さっきの反応を見る限り大丈夫だとは思うが、念のため聞いておかないと。
「というか、彩花さん。カレーで大丈夫ですか? 苦手なものがあったら言ってくださいね。まず確認しておくべきでした」
「あ、あ、ありがとうございます……。わたしも母もアレルギーとかは特にないのですが、苦手なものはまた改めてご報告します」
ぺこり、と頭を下げられてしまう。
まだ動揺は残っているものの、彩花も気にしないようにしてくれたらしい。
そして、先ほどの考えがいかに独りよがりだったかを自覚してしまう。
彼女の口ぶり、対応は仕事の関係者みたいだ。
いや、きっとそれはお互いに。
「………………」
それもまた、言い得て妙なのかもしれない。
小山内理久と三枝彩花の関係は、家族やカップルよりも、仕事の関係者のほうがよっぽど近い。
関係性がどうというより、お互いの状況的に。
協力者、と言い換えることもできるかもしれない。
何にせよ、家族やカップルとはかけ離れている。
「……ん?」
考えごとをしていたからか、隣に彩花がいないことに気付いた。
振り返ると、彼女は冷凍食品の棚をじっと見つめている。
「何か欲しいものあります?」
戻って話し掛けると、彼女ははっとして顔をこちらに向けた。
頬を赤く染めながら、ぷるぷると首を振る。
「い、いえ、そういうわけではなくて……。すみません、見ていただけです……」
なぜか恐縮したように、肩を縮ませている。
その大袈裟な反応に首を傾げながらも、理久は彩花に水を向けた。
「お昼ご飯で使うことも多いんで、彩花さんが食べたいものあったら選んでいいですよ?」
「いえ、あの、本当にそういうのじゃないんです……。すみません……」
ついには俯いてしまう。
困らせたいわけではなかったので、理久もそれ以上は追及しなかった。