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好きな人が義妹になった  作者: 西織
それぞれの想いと
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 理久が危惧していたとおり、授業は上の空で頭に何も入ってこない。

 登校中にるかに一連の流れを話はしたが、不安が共有されるだけで軽減はされなかった。

 頭の中はずっと「どうしよう」でいっぱいだ。

 熱が下がらなかったら、試験が受けられなかったら、どうしよう。

 そんなことを考え、縁起でもない、と振り払い、けれどその不安はすぐに戻ってくる。

 それ以外には、何も考えられなかった。

 彩花のこと以外、すべてがどうでもいい。


 そんな一日を過ごし、放課後になると理久は学校を勢いよく飛び出す。

 すぐさま家に帰って来ると、リビングで香澄がテレビもつけずにぼんやりと座っていた。

 この時間に香澄が家にいることに不思議な感覚に陥りつつ、真っ先に気になることを尋ねる。


「香澄さん、病院行って来たんですよね。どうでしたか」


 短く問いかけると、香澄は一瞬迷ったような顔をした。

 考え込むようにしながら、ゆっくりと言葉を並べる。


「……風邪だって。最近流行ってる、性質の悪い風邪。解熱剤はもらったけど、基本的には寝てるしかないんだって。でも、今の風邪は高熱も出るし、長引くから……、試験までには治らないかも、って」

「……………………」


 香澄は淡々とした口調でそう言う。

 理久は重いものが肩に圧し掛かるのを感じた。

 確かに、最近流行っている風邪は長引くようで、クラスでも一度休むとなかなか帰ってこない生徒も多い。

 とはいえ、ただの風邪ではあるので、掛かったら辛いな~、くらいに理久は思っていた。

 実際、そこまで深刻ではないんだろう。

 試験日さえ、被らなければ。


「……彩花さんの熱は、どうなんですか。下がり始めたりは……」


 長引くというのは、あくまで概算。

 案外、あっさり早めに治ったりしないか、とすがる思いで尋ねてみる。

 けれど、香澄は疲れた顔で首を振ってしまった。


「ダメ。むしろ上がってる。今は寝てるけど、起きてるときはずっと苦しそうで……」


 あぁ、とうなだれそうだ。

 早く治ることもあれば、通常よりも長引く可能性だってある。

 ギリギリで治るのなら、まだいい。

 最悪でも、症状が軽くなるなら、まだマシだ。

 だけど、そうじゃなかったら。


 昨日の彩花の様子を思い出す。

 お風呂場で動けなくなり、布団の中でずっと苦しそうにしていた。

 あんな状態で、試験なんて受けられるわけがない。


 もし、この状況が続いてしまったら。

 そんな、どうしようもない絶望感に押し潰されそうになってしまう。

 リビングには、いつの間にか沈黙が覆っていた。


「……ごめん、理久くん。家にいてくれるよね? わたし、買い物行ってきていいかな。彩花は何かあったら、スマホに連絡してくれると思うから」

「はい……、大丈夫、です」


 香澄は言葉少なに、出て行ってしまった。

 嫌になるくらい静かなリビングに、ひとり取り残されてしまう。

 その場にいてもやることはないので、理久は階段を上って行った。

 自室に入る前に、向かいの部屋の扉を見やる。

 その扉越しに、彩花が寝込んでいる。

 ここ最近感じることはなかったが、その扉は世界を遮断しているように見えた。

 そっけない、無愛想な扉。

 そこから先は、三枝彩花の聖域だ。

 以前は部屋に鍵を付けてくれた父に感謝し、決して踏み越えることはないと思っていた。

 彩花が自ら招き入れてくれるまでは。


 その扉が、見ているだけでなんだか辛い。

 理久はため息を吐き、自室に入ろうとする。


「ん?」


 ぴんぽーんと間延びしたインターフォンの音が聞こえた。

 宅配便だろうか、と急いで階段を降りていく。


「んん?」

 

 インターフォンのモニターを見ると、予想外の人物がそこに立っていた。

 気まずそうにカメラを見る目は、理久も久々に見るものだ。

 慌てて、玄関に出ていく。


「後藤くん。どうしたの」


 扉を開けた先にいたのは、彩花と佳奈のクラスメイト、後藤だった。

 制服である学ラン姿で、そばには自転車が立てかけてある。

 居心地が悪そうにしていたが、ゆっくりと頭を下げた。


「お久しぶりです。突然来てすみません」


 基本的に礼儀正しく、スポーツマンの彼はお辞儀もだいぶ深い。

 そして、その手に握られた袋で理由は察する。

 後藤は真面目な表情で、口を開いた。


「三枝が、風邪で寝込んだって聞いて。大丈夫なんですか」


 心配で来てしまった、ということらしい。

 普段の彼なら不躾に訪ねるなんてしないだろうが、状況が状況である。

 仏頂面ではあるものの、その顔には不安がにじみ出ていた。


 ここは、大丈夫だから気にするな、と言っておくべきだったかもしれない。

 彼だって受験生だ。

 人のことを気にしている場合ではない。

 けれど理久はそこまで気が回らず、正直に答えてしまった。


「……あんまり大丈夫じゃない。熱もかなり高いし、ずっと寝込んでるんだ。食欲もないみたいで」


 その答えは、後藤もショックだったらしい。

 そこで初めて、理久は受け答えに失敗したことを実感した。

 きっと彼は、風邪で休んだと聞いていても「まぁ大丈夫だろう……」と楽観的でいたのではないだろうか。

 いや、そう望んでいた。

 後藤は思い詰めたような表情で、まずいじゃないですか、と呟く。


「試験、明後日ですよ。それまでに熱が下がらなかったら……」

「わかってるよ。でもそんなこと、俺たちが考えてもしょうがないでしょう……」


 つい、突き放すようなことを言ってしまう。

 やれることはやっている。

 ジタバタして何とかなるなら、とっくにやっているのだ。

 その気持ちは後藤にも伝わったのか、彼は悔しそうに唇を噛み締めた。


「そうですよね……、小山内さんは家族ですから。俺よりよっぽど状況がわかってるに決まってる……」


 それは自虐なのか、それとも当てつけなのか。

 理久には判断がつかなかった。

 そこで初めて手に持ったものを思い出したように、おもむろに後藤は袋を突き出してくる。


「これ、お見舞いです」

「ありがとう。彩花さんには伝えておくから」

「…………」

「どうかした?」

「あの。三枝に会えたりしませんか」


 それが本題だったのかもしれない。

 自分の想い人が寝込んでおり、試験を受けられるかどうかもわからないのだ。声を掛けたくなるのもわからないでもない。

 でも、理久はすぐに首を振った。


「彩花さん、寝てるみたいだから。起こしてまで会いたいわけじゃないでしょ」

「それは……、はい」

「それに、どっちにしろ後藤くんには会わせられないよ」


 その言葉に、後藤は途端に目つきが鋭くなる。

 意地悪か何かで言っているように聞こえたらしい。

 その誤解を慌てて解く気力もなく、ゆるゆると手を振った。


「そういう意味じゃない。後藤くんだって受験生なんだから、風邪うつっちゃったらまずいでしょ」

「……そっすね」


 納得したらしく、暗い顔で頷く。

 何かできないかと飛び出してきたものの、何もできない無力感を噛み締めているのかもしれない。

 悪いがこちらは、その何倍も同じ痛みを味わっている。

 すると後藤は、突然頭を深々と下げた。


「小山内さん。三枝のこと、よろしくお願いします。俺が言うようなことじゃないとは思いますが、それでも、です」

「………………」


 まっすぐに言われて、ため息が出そうになる。

 彼は家族に安否を願うことしかできない状況に、無力感を覚えている。

 理久の役目を自分がやれれば、とでも思っているのかもしれない。

 しかし、こうして家族であることを強調されるのも、なかなかに堪えるのだ。

 後藤に悪気はないんだろうけど。


「俺にできることをするよ。お見舞い、ありがとう」


 これ以上居てもしょうがないと思い、理久は踵を返す。

 すると、その背中に後藤は「小山内さん」と声を掛けてきた。


「なに?」

「小山内さんには伝えておきます。俺、三枝にもう一度告白しました。返事は受験が終わってからで大丈夫だからって。それだけですが、小山内さんにも伝えたほうがいいと思ったので」

「…………………………」


 律儀な男だ。

 まさか知っているよ、と返すわけにはいかず、かといって適切な返事も思い浮かばなかった。

 別に彼は、揺さぶりといった駆け引きをしているわけではなく、同じ人を好きになっているから、内情を知っているから、という理由でわざわざ言って来たのだろう。

 後藤のいいところは、多分そういうところだ。


「そっか。俺も、答えが出たよ」


 そうとだけ告げて、理久は家に戻っていく。

 後藤はその言葉の意味を知りたそうな、怪訝な顔をしていたが、答えるつもりはなかった。

 ばたん、と扉が閉じる。

 理久はまたひとつ、ため息を重ねた。


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