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好きな人が義妹になった  作者: 西織
それぞれの想いと
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『……理久? どうした? 聞こえてる?』

「彩花さんが、熱を出した。高熱なんだ。この雨の中、濡れて帰ってきたみたいで。今も苦しそうにしてる」


 理久は父の言葉には答えず、この状況を口にする。

 ただそれで、いかにひっ迫しているかは伝わったらしい。

 電話越しに息を呑むのが聞こえる。

 返事も待たずに、理久は弱音を吐いた。


「父さん、俺どうすればいい……? 彩花さん、三日後には試験なのに……。めちゃくちゃ苦しそうで、熱も高くて! 俺は、なにをすれば? ひとりじゃ無理だって、早く帰ってきてくれよ……!」


 泣き出しそうになりながら、弱音を吐く。

 どうにかしてほしい。

 今すぐ彩花を助けてほしい。


 いや、わかっているのだ。

 香澄や父が帰ってきたところで、大局が変わるわけではない。

 ただ理久が願っているだけだ。

 何でもいいから、だれでもいいから、今すぐ彩花を救ってほしい。

 そう願わずにはいられなかった。


『理久。落ち着きなさい』


 電話越しの父の言い聞かせるような声色に、取り乱した気持ちがわずかに落ち着く。

 話を聞く体勢ができたと思ったのか、父はゆっくりと確かめるように口にした。


『今、理久よりも彩花ちゃんのほうがずっとずっと不安なんだ。なのに、そばで理久が慌てていたら、休まるものも休まらない。今できることは、風邪薬、水分……、あぁそれらは用意したんだな? なら、あとは彩花ちゃんの要望を待つだけでいい。こういうとき、できることは案外少ないんだ。ただ、近くで『大丈夫だよ』って言葉と態度で示してあげる。それが大事なんだよ』


 理久も、覚えがある。

 熱を出して苦しくても、父がどっしりと「大丈夫大丈夫。心配ないよ」と笑っていたら、それだけで安心できた。不思議とよく眠れた。

 頼りになる存在が近くにいてくれるだけで、精神的に随分と楽になる。

 そして、それは。


『それは、家族にしかできない。理久。理久はお兄さんだろう。なら、理久が彩花ちゃんを安心させてあげなさい。頑張れ』

「――うん、わかった。ありがとう、父さん」


 電話を切る。

 家族だから。お兄さんだから。

 その言葉で、驚くほどに自分がやるべきことがわかった。

 ふっと息を吐き、ノックしてから扉を開ける。

 彩花は先ほどと変わらない姿勢のまま、目を薄く開いた。


「兄さん……?」

「ごめん、彩花さん。薬飲めます? 飲んでおこうか。大丈夫だよ、寝ていればすぐに治る。熱が下がらなければ、明日にでも病院に行きましょう。それできっと、十分ですよ」


 理久は努めて、落ち着いた声色でそう語りかける。

 すると、今までずっと苦しそうだった彩花の顔が、ほんのわずかだけ緩んだ気がした。

 しかし、すぐに張り詰めてしまう。

 理久が落ち着きを取り戻したからか、今度は彩花が崩れる番だった。


「でも、兄さん……、わたし、もうすぐ、試験で……」


 そこなのだ。

 高熱でぼんやりした彼女の頭の中には、ずっと試験のことがちらついているはず。

 熱が下がらなかったら。

 試験が受けられなかったら。

 その焦りと重圧は、どれほど心を蝕むだろうか。

 理久は心が重くなるのを感じながら、それを見せないように穏やかに笑う。 


「気にしちゃダメですよ。ほら。彩花さんなら根詰める必要はないですし、受けさえすれば合格できます。だから大事なのは、よく眠って治すこと。それ以外にいらない。そうでしょう?」


 ほとんど、自分に言い聞かせているようなものだ。

 けれどそれで、彩花はにこりとわずかに笑う。

 そのまま、こてん、と頭の位置を下げた。

 ……眠ったらしい。

 まさか、こんな意識を手放すように眠るとは思っていなかった。

 その姿に、抑えつけていた不安が一気に膨れ上がる。

 大丈夫なんだろうか。

 いや、大丈夫じゃないと困るんだ。

 不安を飲み下し、理久は席を立つ。


 おかゆでも作ってみよう。

 彩花のことだから、この状況でもパクパク食べられる可能性もある。

 食欲があれば、治るのだってその分早いはずだ。


 そこに希望を持って、理久はレシピを見ながら一生懸命おかゆを作ってみたのだが。


「……すみません、食欲、なくて」


 そのあと、しばらくしてから彩花は目を覚ました。

 おかゆ作りましたけど、食べます? と尋ねて返ってきた言葉がそれだった。

 彩花に食欲がない。

 それだけで十分にショックだったけれど、理久はその本心を覆い隠す。


「わかりました。食欲が出たら食べましょう。ゼリーやプリンはどうですか?」


 問いかけると、彩花は横たわったまま小さく首を振ってしまう。

 しかも、そこでせき込んでしまった。

 痛みが伴いそうなほどの激しい咳に、彼女の身体がくの字に曲がる。

 げほげほげほっ! と傷ましい咳を前に、理久は何も言えなかった。 

 さっきまで咳はなかったのに。

 彩花の表情はさらに辛そうなものに変わり、顔色もずっと悪い。

 薬は飲んだはずなのに、症状は悪化していた。

 はっはっ、と苦しそうに息をして、時折、「兄さん、すみません……」とうわ言のように謝る。


 謝らないでほしい。

 彼女はこの状況を申し訳なく思っているようだが、そんなこと思わないでいいのに。

 けれど彼女にそう伝えても、聞いたのを忘れてしまったかのように繰り返してしまう。


 そして、その中で少しずつ、彩花がなぜ雨の中を雨具もなしで帰ってきたのかが、わかった。

 雨は突然降り出した。

 けれど彩花はちゃんと、雨合羽を用意していたそうだ。

 きちんと雨合羽を着て、自転車で学校から帰宅している最中。

 軒先で、震えていた小学生の女の子を見つけたらしい。


『その子、泣いていたので……。どうしたの、って尋ねたんです。傘を忘れたらしくて、家に帰れなくて……。早く帰らないと怒られるのに、この雨じゃ帰れない……、寒い……、って泣いてたんです……。だからわたしは……、着ている雨合羽をその子に渡して、そのまま……、、帰ってきて……』


 その話を聞いて、理久は呻きそうになった。

 本音を言えば、そんな見知らぬ子なんて放っておいて欲しかった。

 だって、彩花は三日後に高校受験を控えているのに。

 そんな他人のために、こんな状況に陥っている。

 たとえ困っている人がいても、自分のために見て見ぬふりをしてほしかった。


 けれど。

 彼女は――、亡くなった父に、言われているのだ。


『気にしないでください。お父さんがいつも言ってるんです。『困った人がいたら、助けてあげなさい』って』


 かつて理久が困っていたときも、彩花はそう言って理久を助けてくれた。

 困った人を放っておけない彼女だからこそ。

 自分の身を顧みず、手を差し伸べられる人だからこそ。

 理久は、三枝彩花という少女に恋をしたのだ。


 でも、こんなの、あんまりだ。

 その場で項垂れて、神様を恨みそうになる。

 なぜ、正しいことをした彩花がこんな目に遭うのか。

 こんなことになってしまうのか。

 それが、理久の心をぐちゃぐちゃにかき乱していた。

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