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「……ねね、佳奈ちゃん。でもそれなら、理久だっていい男でしょ? 理久だって、彩花ちゃんを絶対大切にするよ。虫よけなら、理久でもいいわけでしょ?」
フォローのつもりか、るかはそんなことを佳奈に問いかける。
るからしからぬ、不用意な発言だ。相手が佳奈だからだろうか。
理久が危惧したとおり、佳奈は表情を曇らせた。
伏し目がちになりながら、ぼそぼそと答える。
「……わたしは、小山内さんにはいいお兄さんであってほしいです。彩花は小山内さんを兄として慕っていて、男性としては見ていない。小山内さんが何か行動を起こせば、彩花は今までどおりの生活は送れません。わたしは小山内さんには感謝しています。だからこそ、このままでいてほしい」
彩花が理久を男として見ていないのは、周りからすれば一目瞭然。
そして、佳奈が正直な気持ちを晒せば、そう言うのはわかりそうなものだ。
やはりるかは、冷静ではないのかもしれない。
佳奈の正直すぎる気持ちに、るかは「佳奈ちゃん、それは……」と眉を下げた。
言いたいことはわかっているのか、佳奈はこくりと頷く。
「はい。小山内さんには辛いと思います。わたしは人を好きになる気持ちはまだあんまりよくわかってないですが、それでも苦しいと感じます。だから、今回のことを伝えているのかもしれません」
後藤の告白の件。
それを伝えたから、なんなんだろう。
兄として生きることを覚悟しろ、というのことなのか。
それとも、時間制限を伝えてくれているのか。
そこまでは理久にもわからなかったし、佳奈にもわからないのかもしれない。
改めて尋ねようとも思わなかった。
ただ、佳奈は思い詰めたような顔でじっとしている。
「……うん。ありがとう、佳奈ちゃん」
それ以上は、理久は何も言えなかった。
それが少し前のこと。
この出来事を、目の前にいる彩花は知らない。
黙ってノートにペンを走らせて、先ほど教えたばかりの問題に取り掛かっている。
ぱっと表情を明るくさせて、彩花は顔を上げた。
問題が解けたらしい。
そこで、ばっちり目が合ってしまった。
「……兄さん? どうかしました?」
彩花が小首を傾げ、さらりと髪が揺れる。
そのひとつひとつの動作が愛おしく、手を伸ばして髪に触れられたらどんなにいいだろう、と思う。
どうかした? と聞きたいのはこちらのほうだ。
時折、考え込んでいるけれど、どうかしたのか、と。
でも訊いてみたとしても、以前のように話してはくれないだろう。
彼女は、自分の中で答えを出そうとしている。
それだけ真剣に、後藤のことを考えているからだ。
理久から見ても、後藤の勝算は十分にあるように感じた。
佳奈と同じように、「その辺のおかしな男に引っ掛かるよりは、後藤に大切に守ってもらうほうがいいかもしれない」と思わないでもない。
でも、そうなったときに自分はどうなるだろうか。
今も、目の前に彩花はいる。
手を伸ばせば触れられるけれど、決して触れられない距離。
その距離は、きっとますます遠くなるんだろう。
そのことに、理久は果たして耐えられるんだろうか。
己の痛みを抱えながら、それでも彩花の良き兄として振る舞えるだろうか。
わかっている。
それが、彩花にとって一番幸せな道だ。
新生活に不安はあったけれど、るかのような良き友人ができ、親友の佳奈に見守られ、後藤のような理解のある恋人ができて。
家には、仲良くなった義兄がいる。
信じられない不幸に見舞われたけれど、それでも立ち直ることができた。
そうして彼女は、高校生となる。
新たな生活に、前向きに踏み出せる。
穏やかに暮らしながら。
それが一番のハッピーエンドだと、わかっているのに。
それでも理久は、痛みに耐えられる自信がない。
彼女に向かって、「いえ、何でもないです」と答えることしかできなかった。
彩花は少し不思議そうにしていたものの、にこっと笑って問題に戻る。
彼女が見ていないことをいいことに、理久は重いため息を静かに吐く。
そのまま項垂れそうになるのを、必死で堪えていた。
そして。
いよいよ、高校入試の日が近付いてきた。
しかし、そこでも問題が発生することになる。