東豊連続幼児誘拐殺人事件
「東豊連続幼児誘拐殺人事件」
一九九〇年代最悪の誘拐殺人事件として日本を震撼とさせた事件。
発端は七月、夏の日差しが照り始めた頃のことである。
東豊市で、一週間の間に青木湊ちゃん、佐藤芽衣ちゃんという三歳の子供が二人、行方不明になるという事件が起きた。一人目の事件の発生時は行方不明になった場所が森の近くだった為、迷い込んだのではないかと考えられ、親の監察の甘さが非難されていた。しかし同じ地域で同じ歳くらいの子供が短期間で行方不明になったことで、誘拐の線も視野に捜査が続けられた。
それから二ヶ月の間に五人の子供が行方不明になった。警察は連続誘拐と断定し捜査員も大幅に増員、捜査範囲も広がり大規模捜査となっていった。
被害者が増えていくにも関わらず、警察は犯人の目星どころか、疑わしい人物すら挙げることが出来ずにいた。
世間では警察への批判が強まる一方、被害者と同世代の子供を持つ親達が公園で遊ばせることを辞め、街中で子供を見かける機会が格段に減った。
そんな時、六件目の事件が起きた。
被害者は新城輝ちゃん(三歳)、母親とスーパーに買い物に来ていた際に行方不明になった。
家から近いスーパーで、顔見知りも多いこの場所は安全だろうということで、輝くんを連れて買い物に来た時に起きた事件だった。
輝ちゃんの事件から三日後、全く進展のなかったこの事件は一本の電話から大きく進展した。
『一人暮らしのはずの隣の部屋から子供の泣き声が聞こえて来て、異臭もする。』との通報だった。
警察が駆けつけ、部屋を捜索すると、中から五人の子供の遺体が発見された。そして、奥の部屋から六件目の被害者である輝ちゃんが無事保護された。
犯人は部屋の持ち主である赤羽光男(二十七歳)、連続誘拐事件の担当刑事の一人だった。