母の死
母が死んだ。過労死だった。
「輝、今日一限からなんじゃないの!」
一階から母の三回目のモーニングコールが聞こえる。
しぶしぶ布団から顔を出しスマホで時間を確認すると、八時三十分の数字が表示された。
「…やべ。」
俺は鞄の中に教科書とルーズリーフを詰めると慌ただしく部屋を飛び出す。
部屋を出て下を見ると、母が仁王立ちで、俺のことを待ち構えていた。
俺は相手を刺激しないように一歩ずつ階段を降りて行く。
いささか、野獣の長を目の前にした者のようだった。
「母ちゃん…今日ご飯いいっ…」
「駄目!食べなさい!」
俺は一瞬の隙を狙い玄関へ向かおうとする。
しかし母は俺の言葉を遮るように言うと、腕を掴み食卓のほうへと連行していった。
「今日試験だから早く行かないとなんだよ。母ちゃん!」
「試験でもご飯は食べる!朝ご飯食べないと身体に悪いし、一日が始まりません!」
そう言いながら、俺は無理やり椅子に座らされ、母は自分の食事に戻った。
母はいつもこうだ。朝ご飯は絶対に抜かせない。
「あっ!あとお弁当!忘れないでね!!」
そう言うと、俺の目の前に10年来の知り合いである戦隊ヒーローの袋に入ったお弁当を手渡された。
「…なぁ、毎日言うけど、俺もう子供じゃないんだからさ、毎朝早起きして作ってもらわなくても自分でお昼くらいなんとかするよ。」
「駄目!絶対駄目!私の目に入らないところでは他の人が作ったものは食べないで!」
母は幼い子を叱るように言うと、目の前の水を飲み干した。
いつもこうだ。お昼ご飯は必ず母が作った料理でそれ以外を口にすることは許されていない。
俺はこれ以上言っても母の機嫌が悪くなるだけだと悟り、目の前に用意されていた朝ご飯をかきこみ、放り出されていた鞄を手に取り玄関へと向かった。
靴紐を結んでいると背後から母の声が聞こえてきた。
「輝!行ってきますは!」
「はいはい。」
「母さんおかわり。」
ダイニングから母を呼ぶ父の声が聞こえる。
「あっ、はーい。」
「行ってきまーす。」
慌ただしくしている母を背に俺は玄関の扉を開けた。
「あっ、輝!今日も早く帰ってくるのよ!」
そう告げると母はダイニングのほうへかけていった。
この時は、これが母との最後の会話になるなんて思ってもいなかった。