第一章 それぞれの旅立ち ―リーナ編―
翌朝、三人はオルンを発ち大森林へ向かった。
リーナは綾子の肩の上に乗り、辺りを見回した。
大地の匂い、柔らかな風、樹木の間を入ってくる空高い陽。全て心地良かった。森で生まれ育った自分にとって、ここは故郷にいるような何とも言えぬ安堵感がある。
本当は、大好きなあの森から、仲間から、離れたくはなかった。それでも綾子に付いてきたのには列記とした理由があった。
天使に伝わる力を解放しなければならない時が来たからだ。神々が、千年も前から危惧していた時がきたのだ。
星の救済などと大それたことを考えているわけではない。だが予感がしたのだ。自分が出会ったこの少女こそ、解放された力を受け止める人間だと。
それに、彼女には借りがある。
人間は我々天使を妖精と呼ぶ。彼らは神々の存在を忘れ、石の存在を忘れている。当然、千年前の争いなど知る由もない。それが神の望んだこととはいえ、人間の傲慢さ、貪欲さを許す気にはなれない。
けれど綾子は違う。
近年、人々から隠れて暮らす我々天使の存在を知り、欲に駆られた人間が〈狩り〉を始めた。なんでも学者が研究目的に、金持ちが道楽に高く買うらしい。自分の住んでいた森にも先日狩りが入った。
天使には神々の決めた三大戒律がある。そのうちの一つが〈人間相手に属性の力(魔法)の解放を禁ず〉である。
戒律を破れば待つのは処刑。だからリーナは狩りの標的にされた時、逃げることしかできなかった。
あの時、狩りの連中が睡眠ガスを放ってきた。リーナは上空に飛んでかわそうとするが、少し吸い込んでしまった。
(やば…もうダメかも…)
宙を浮いていた体がよろける。
その時だった。綾子が狩りの男の後方から現れたのは。
彼女は男に峰打ちを喰らわせ気絶させた。そしてバランスを崩し、今にも地に落ちそうなリーナを受け止めた。
その後は眠ってしまって覚えていないが、目が覚めるとそこは近くの町の宿屋だった。綾子はしばらく自分を看ていてくれたらしい。
それから彼女といろいろな話をしたが、彼女には今まで見てきたどんな人間とも違う、優しさがあった。初めて、人間の認識が変わった。
本当言うと、解放云々よりただ彼女と一緒にいたかっただけなのかもしれない。
「!?」
綾子が急に立ち止まる。彼女の目線の先には男と炎天使がいた。
男は青年というにも少年というにも微妙な顔立ちで、穏やかな顔とは裏腹に、眼鏡に白衣という格好が胡散臭かった。
炎天使の少年は、炎使い特有のオレンジ色の髪と赤い瞳をしていたので、すぐにそれとわかった。
だがなぜ彼は人間と一緒にいるのだろう。
男は空を見上げていたが、こちらに気付き近づいてきた。とっさに綾子の下げているショルダーバックに入るが、もう見つかってしまったかもしれない。
「あの、すみません…」
きた。一体何の用だというのか。
「旅の方ですよね?僕、歴史について調べているんです。もし遺跡か何かで変わった物を見たりしていたら、教えて欲しいんですけど…」
歴史というと天界歴のことだろうか。バッグの隙間から外の様子を窺う。
「僕、天野到って言います。専門は科学なんですが、気になることは放っておけないタチでして」
綾子が不審気な顔で到を見る。
「残念だけど、私はそういうのに興味なくてね。遺跡なんて行ったこともないよ」
「そうですか…」
落胆する到に、今度は真由美が尋ねた。
「そこの妖精さんは?」
「ああ、紹介が遅れました。彼はルシフェルといって、今わけあって同居してるんです」
炎天使ルシフェルは黙っていた。一度だけちらりとリーナの方を見たが、すぐにそっぽを向いてしまった。
生意気そうなガキだ。多分自分より二、三年下だろう。
「あなた達も知っていたんですね。妖精の存在を。そこの風天使さんに逢ってからですか?」
やはりバレていた。魔気を感じることが出来る天使のルシフェルならともかく、普通の人間にこうも簡単にバレるとは。侮れない奴だ。
「私はそうだけど、真由美は父さんから聞いたんだよな?」
「お父様から…ですか?」
「うん。考古学者でいろんなこと研究してたの。古文書に、天使としてその存在が記されていたんだって。赤い瞳は炎天使なんでしょ?」
ルシフェルを見ていう真由美。見られている本人は驚きを隠せない。
無理もない。自分も、彼女の父が考古学者で妖精の存在を知っているとは聞いていた。しかし天使としての存在をも知っているなんて。
「あなたのお父様は…もしかして森上義信博士では…」
「そうだけど」
到は真由美の父を知っているのか、目を丸くして繰り返した。
「本当に…!?本当なんですね!?」