第一章 それぞれの旅立ち ―綾子編ー
綾子は部屋の前で、助けた少女が来るのを待った。
(あの子…何でこんな時間に外なんか彷徨いてたんだろ…。家出だったら引き留めた方がいいよなぁ…)
ドアによしかかり溜め息をつく。
(はぁ…。ホントはそういうのってめんどくさくてヤなんだけど…)
しかし放っておけないのが綾子の性格だ。
綾子は肩まで伸ばした黒髪と、少し垂れ目の黒い瞳が印象的な美少女だった。服も靴も、身に付けている物のほとんどが黒で統一され、それが一層彼女の美しさを際立たせていた。
少女が階段を上がってきて、綾子に気付き言った。
「あの…さっき助けてくれた方ですよね?」
自分より一つ二つ年上だろうか。大きな鞄を持っているのが気にかかる。やはり家出なのか。
「ああ…そんな大げさなモンじゃないけど。とにかく入ってよ」
綾子は彼女を部屋に通しソファに座らせ、自分はベッドに腰掛けた。
「それでさ…突然なんだけど、君、こんな時間に何やってたの?」
意を決し、単刀直入に訊く。
「ええっと…」
彼女は言いにくそうな顔をしたが、しばらくしてから切り出した。
「兄が…異変の調査に行くって、三年前に旅に出たきり連絡がなくて…。それで、西国に捜しに…」
綾子は絶句した。家出どころの騒ぎじゃない。今この時期に西国に行こうだなんて。
私はいい。西国生まれで、幼い頃から魔物の現実を見てきた。けれど彼女は違う。いくら何でも無茶だ。
言葉に詰まっていると、綾子の肩越しに声を出す者がいた。
「ちょっとあんた、それ本気で言ってんの?女の子一人でどーにかなる場所だと思ってんの?」
リーナだ。綾子は慌てた。
彼女はいわゆる妖精で、身長が十二、三センチ、背中には四枚羽根を有した生き物である。
ポニーテールにした黄緑色の髪。大きな緑色の瞳。それらは風の力を司る妖精に特有のものだとか。
「妖精さん?初めまして」
意外なことに、彼女は動じなかった。妖精は人々から隠れて暮らしているため、大抵の人間はその存在すら知らない。綾子もリーナに逢うまでは知らなかった。なのになぜ彼女は知っているのだろう。
「よく知ってたわね」
「うん…。お父さんが考古学者で…そういう文献があったって、前に言ってたから」
彼女の説明で納得は出来たが、これが他の人間ならこうはいかないだろう。
「あたし、リーナっていうの。あんたは?」
「森上真由美だよ」
二人は自分などお構いなしに話を進めている。
「ほら綾子も!自己紹介しなよ!」
「綾子…さん?」
「あっ、言っちゃった。じゃああたしが紹介するね。黒崎綾子、十四才。今あたしと二人で冒険してるんだ」
まずい。思い切りリーナのペースだ。思えば初めて逢った時からそうだった。
「おい、リーナ。今考えるべきなのは、彼女をどうするかってことだろ?そんな余計なこと喋ってる暇があるなら…」
「だからぁ、自己紹介も済んだし、これで三人で旅出来るでしょ?」
「はぁ!?」
――わけがわからない。リーナのこういった言動は一度や二度ではないが、ハッキリ言って理解に苦しむ。真由美も驚きの色を隠せないようだ。
「だって、そういうことでしょ?まさかこの子一人で旅させるわけ?」
「いや…それはそうなんだけど…」
何かが間違っている気がする。だが確かにリーナの言う通り、一緒に旅をするのが一番いいだろう。
「…まぁいいや。そういうことになったみたいなんだけど、一緒に行く?」
「二人が良ければ是非。本当は少し心細かったの」
彼女もやはり不安だったらしい。
「じゃ、決まりね!旅は道連れ世は情けってね」
仲間が増えてはしゃぐリーナと対照に、綾子は少し複雑な気分だった。それは綾子の旅に出た目的にあった。
その日は結局真由美も同じ部屋に泊まることになった。
二人が寝静まった後、綾子は一人、バルコニーで空を見上げた。
(あの子は…家族のこと、ちゃんと考えてんだな…)
煌めく幾千の星を眺めながら、過去に想いを馳せる。
自分が旅に出たのは十二才の時だった。きっかけは八歳の時の両親の別居だった。それまで夫婦喧嘩すら見たことのなかった自分にとって、それは酷くショックだった。
その後は父に引き取られ、道場を開き師範として剣術を教えていた彼から、誰よりも熱心に剣を学んだ。だがそれは決して父を尊敬していたからではない。むしろその逆だった。
母が出て行く時、なぜ引き留めてくれなかったのか。父に対してそんな憤りがずっとあった。
けれどそれ以上に嫌だったのは、周りの人間に振り回されている、力を持たない自分自身だった。
何でもいい。ただ、自分にも誇れるような強さが欲しかった。自分を証明したかった。
だがある日疑問を感じた。父から習った剣技で本当に強くなれるのかと。それは結局父の造り上げてきた剣技を、道を、ただなぞっているに過ぎないのではないかと。それでは私の求めている強さは得られない。
そう思い、旅に出ることを決めた。
あれからもう三年が経とうとしている。両親にはそれから一度も会っていない。
あの日、父は私が旅に出るのを止めなかった。母の時と同じように。けれど真由美が兄を心配するように、父も本当は心配してくれているかもしれない。そう思うのは希望的観測でしかないのかもしれないが。
(ま、でも…今度帰る機会があったら、顔見せるくらいはしてもいいかな)
自分はまだまだ弱くてちっぽけだけど、出会った仲間のおかげで変われるのかも。
旅の目的がまた一つ増えた。




