第五章 五大都市 ―リーナ編―
翌日の午前十一時。リーナはみゆり、ルシフェル、友美と共に、綾子の歌撮りを見学していた。
到が昨夜望月という男に電話したらしいのだが、今日の午後からなら空いているとのことだったので、それまでの暇潰しである。もっとも、優の開いている道場を覗きに行って稽古をつけてもらっている真由美や、朝一で国立図書館に行った到には無縁の言葉だろうが。
リーナはレコーディング中の綾子の歌を、部屋の外(ガラス越し)に聴いていた。彼女の歌を聴くのはこれが初めてだ。
♪天使にだってなれるって、信じてたあの頃は、世界に何の疑いもなくて。だけどそれはただの希望でしかないと気付いた時、僕はどこにも存在しなくなってた。世界は色をなくして、何も見えなくて何も聞こえなくて。暗闇の底に落ちながら僕は歌う。僕はここにいるよ。僕はここにいる。
綾子の歌声はよくとおり、とても美しく響いた。悲しくて切なくなるのは歌詞のせいでもあるのだろうか。“天使”という言葉が自分のことを歌っているようで、なんだか無性に泣きたくなった。
綾子を見ながら思うこと。それはあのクロスペンダントのことだった。怖れていたことが起きてしまった。こんな時、ラファエル様の人格が戻っていれば少しは頼れるのに。肝心の友美はまたカボチャのスープを歌っている。しかも相変わらず腹にドシンと来る歌声で。声量だけはやたらあるので余計に質が悪い。
「お、到」
「ルシフェル、いい子にしてましたか?」
「ガキ扱いすんじゃねーよ」
図書館にいるはずの到が来た。
「あら、随分早かったんですのね」
「さっとデータベースのチェックをして、本を借りてきただけですから」
「珍しいな。いつも図書館で読むのに」
そういえば、以前の町では借りてはいなかった。
「ここの図書館は広すぎて落ち着かないんですよ。五大都市内ならトランスポートですぐに返しに行けますし」
到の説明によると、トランスポート(転送装置)もいつからかある科学装置で、例えば情報都市にいても、それを使えば瞬時に別の都市に移動できるというものらしい。
「…それに、望月君に会う前に、最低限のことは知っておきたいんです。話してくれますよね?」
到が探るような目を向けた。これ以上隠し通すことは不可能だし無意味だろう。リーナは覚悟を決めた。
「…わかった。で、何が聞きたいの?」
「みゆりさんの剣と望月君が持っているというロッド…、それに黒崎さんが昨日優さんから受け取った十字のペンダント…。あれはクロウと戦った七人の人間の物で、彼らがクロウと戦う運命だと暗に示している。そうですよね?」
リーナは言葉に詰まった。まさか十字架の存在にまで気付くとは。他の物とは違い、特に珍しい物でもないのに。もしかして、綾子がそれを付けた時に、一瞬宝玉が光ったのを見ていたのかもしれない。自分と同じように。
見たくなかった。綾子がクロスペンダントの真の持ち主だという証明なんか。だってあれは聖戦士の印なんかじゃない。
リーナは逆に到に問うた。
「ねぇ、天野君。真由美の兄の博がフューカを持っていったって話だったけど、本当にそれを受け継ぐのが彼だと思ってる?」
「……?違うんですか?」
「少なくとも私は最初からそう思ってたわ。仮に博がフューカの持ち主だとしたら、シェルがとっくに覚醒して、彼を連れてクロウを倒しに行ってるはずよ。それを三年もフラフラしてるなんておかしいわ。多分博は七人の人間の――私達は聖戦士って呼んでるけど、その一人なのよ。これだけローグに関わってるってことは間違いないわ。人間は“知るべき者”しかローグに触れることは出来ないんだもの」
「…そうなると、フューカの持ち主はローグを知り、かつフューカと関係の深い真由美さんということに…」
到は自分と同じ考えを口にした。
「そこで重要なのがフューカを持つ者と聖戦士の位置付けよ。私達が受け継いできたローグの中で、聖戦士は世界が闇に覆われし時、再び生まれ変わるとされているわ。だから友美ほどはっきりしたものじゃなくても、既視感みたいな…前世の記憶が残ってる。みゆりが剣に感じているのがそれね」
「それじゃあ、僕が友美さんに感じたのも…」
「おそらくね」
リーナは続けた。
「だけどフューカを持つ者は違う。ただシェルと波長が合うってだけで、前世でクロウと戦ったってわけじゃないからローグとの縁も薄い。旅に出た理由も、博は魔物出現の調査のため、天野君はローグに、みゆりは剣に興味をもったため。対して真由美は兄を捜すため、綾子は剣を極めるため」
「…つまり、二人は聖戦士じゃないと?だとしたらあの十字架は?」
予想はしていた。真由美がフューカの話をした時から。
「フューカは光天使の宝具だった。でも宝具を与えられたのは光天使だけじゃない。風、炎、水、雷、地、闇天使の全ての種族に、よ。けれどクロウを封じる頃に闇天使の宝具、クロスペンダントが紛失したのよ」
「それってまさか…黒崎さんの十字架…!?」
到の顔が青ざめる。ルシフェルとみゆりはまだ事態を把握していないらしく、怪訝そうな顔をした。
「綾子が十字架の持ち主だったら何か困んのか?」
「十字架の持ち主って事はヴァイスさんと波長の合う人間ということ…。すなわちヴァイスさんと同じような体質。クロウが今度は黒崎さんの体を乗っ取る確率は充分にあります。味方の体なら、僕らも本気で攻撃出来ないでしょうから」
「な…、またあの時と同じ事を繰り返すつもりかよ!?」
努めて冷静に答える到だが、口元が微かに震えている。ルシフェルとみゆりも驚愕の事実に呆然とした。自分だって信じたくない。信じたくなかったから、ローグを解放する時何も言えなかった。ローグを解放する事は、綾子がローグに関わっていることを肯定し、クロウの盾にされる運命だと認めていくような気がしたから。
このままクロウと対決することになったとして、魂のない“体”だけのヴァイスと戦うならともかく、ずっと一緒に旅をしてきた綾子と戦えるほど自分は冷酷にはなれない。
しかし、現実に綾子がクロスペンダントの継承者である以上、そうならない方法を探し出さなければならない。当てがあるわけではないが、前世で白魔導士だった望月ならなんとか出来るかもしれない。大丈夫、まだ望みはある。
自分にそう言い聞かせて、不安を打ち払う。そしてふと気になっていたことを思い出した。
「ところでみゆり。聞きたいことがあるんだけど、なんでここの人達はあたし達妖精に驚かないの?」
最初はみゆりだけが博から聞いて知っているのかと思った。だが彼女の父も綾子の両親も全く動じていなかった。スタジオを見学している今でさえ、鞄に隠れていたところをみゆりに強引に引っ張り出されたのだが、スタッフは気にも止めていない。
「あら、ご存知ありませんでしたのね。3ヶ月前から五大都市では人と妖精が共存していますのよ」
みゆりの思いがけない言葉にリーナは眉をひそめた。
「そうなんですか!?僕もここの情報は逐一チェックしていますが、それは知りませんでした」
「当たり前ですわ。妖精狩りなどの犯罪を防止するために、情報操作をしているのですから。五大都市内ならば、法律を作って規制したり犯罪者を裁いたり出来ますが、外の人のことまで監視できませんもの」
国家機密を知れる学者の到が知らないとなると、自分たち天使は相当重要扱いされているらしい。もっとも、学者だからこそ知られないように注意を払っているとも言えるが。何しろ買い手の多くは学者なのだ。
しかしそこまでして人間と共存する必要が有るのかとも思う。仲間と旅をして人間を前より好きにはなったが、共に生活するとなるとまた別だ。自分達は生まれながらに魔力を持ち、それによって自然界のエネルギーを支えている。故に自然と生きることが当たり前だ。
第一、子どもが十歳になれば天界へ行く決まりのある天使にとって、人間と過ごせる期間はたかがしれている。そんな中で人間である到と過ごすルシフェルは特殊だと言える。
「いい人間を見つけられれば悪くないんじゃないか?…ただきっかけがちょっと気になるけど」
ルシフェルが不思議そうに聞いた。
「実は3ヶ月前にこの国の王女が、好奇心からBFSを解除し、外へ出てしまったのです。そして迎撃用兵器の射程外に出たところで魔物に襲われて…。その時たまたま居合わせた二人の妖精さんが王女を助けたのです。その直後、城の警備隊も到着したのですが、隊長と王女が是非国王に会って欲しいと仰って。王女の命の恩人にお礼を言いたいと」
「それで、まさかノコノコついてったってわけ!?」
「ええ」
すぐに肯定するみゆり。リーナは唖然とした。
「ばっかじゃないの?その二人」
リーナにとって人間とは、警戒しておくにこしたことのない存在だ。どんな人間かもわからないのに、国王という権力者に会いに行くなんて、正気の沙汰とは思えない。
「彼らの名誉のために言っておきますけど、お礼を受け取りに行ったのではありませんわよ」
みゆりはリーナが、彼らがお礼に釣られたことを非難していると思ったようだ。
「そうじゃなくて。今まで隠してきた私達の存在を、そんな簡単にばらすなんて何考えてんのって話!」
「ですから、セラフィさんが直訴したのですわ。“妖精達にも住みよい国を作ってください”と。もう狩られていく同胞を見たくはないと。だからこそ命を賭けたのです」
もしかしたら、自分は国王への無礼な発言で処刑されるかもしれない。だけどそれでも。
「彼女の気持ちが王様に届いたのです。王は娘の恩人に誠意を尽くすと約束してくださいました。けれどそのためにはお互いの存在に理解が必要だと」
「…だから、共存の道を?」
「ええ」
心の中で彼女の気持ちを思う。例え死ぬことになっても、守りたかったもの。それは共に生きてきた仲間。
彼女は強く気高い女性だ。
「…同じ天使として、会ってみたいわ。その、セラフィさんに」
「セラフィさんなら、望月さんの大学時代の教授さんと暮らしていますわ。昨日言った、遺跡調査に行った方の一人です」
その事実を聞いて、リーナは考えこまずにいられなかった。
「これは憶測だけど…。その遺跡調査に行った六人と天野君は、伝説の聖戦士じゃないかと思うの。そしてそのセラフィも、何か関係していると思う」
「ちょっとそれってこじつけ過ぎないですか?みゆりさん達はともかく、教授達はそれを証明するものが何もないんですよ?」
「だけど到もみゆりも望月も博も、その三人と知り合いなんだろ?どこかで繋がってるって考える方が自然じゃないか?あくまでも天使達の思想――輪廻転生を信じるならだけど。とにかくついでだし会いに行こうぜ」
「それは構いませんけど…。あ、でもセラフィさんに会うのなら、“赤い月”に行った方がいいかもしれませんわ」
「赤い月?」
「王女を助けた、もう一人のルーファウスって炎妖精さんが経営するアクセ屋ですわ。セラさんはよくそこのお手伝いに…」
みゆりを除く三人の顔が凍りついた。
「――今、何てった?」
ルシフェルが顔を強ばらせる。
「ですから、赤い月に…」
「ルーファウスが、そこにいるって!?」
「え、ええ…。でも私達が会うのはセラフィさんでは…」
まさか、彼がこんな近くにいるなんて。ルシフェルの兄であり、ノエルの生まれ変わりである彼が。
「だとしたら、ますます行かないわけにはいきませんね」
「………」
到の言葉にも、ルシフェルは黙ったままだった。リーナはなんと言えばいいのか解らなくなった。ここで彼と会わせるには、余りにも酷ではないだろうか。
「ルシフェル…」
やっとそれだけ声をかけると、彼は小さく笑った。
「大丈夫だよ。兄さんが何を考えてるかは解らないけど…、オレの兄さんだってことは変わらない。だったら、ここで逃げるわけには行かない…」
そう言って拳を握りしめる彼は、やはり大人だと思った。
「うん、でもね、一人で頑張んないでよね。あんたにはあたしや天野君や、みんながいるんだから。もっと頼って、泣き言でも何でも言いなさいよ?」
「…ああ、そうだな」
ルシフェルの笑顔に少し安堵するが、これからのことを考えると不安になる。果たして私達がここにいる意味は何なのだろうかと。