第一章 それぞれの旅立ち ―真由美編―
目覚めなければ。
今こそ、あの時の決着をつけなければ。
明光の存在の願い。それは暗闇の存在の〈解放〉。
そうしうる力は充分にあった。だがあの時それをしなかったのは、自らの弱さ故だった。
情けない。それが出来るのは私だけだったというのに。
それでも、消し去ることなどできなかったのだ。彼の存在を。この想いを。
けれど、暗闇の存在にこの地を明け渡すわけにはいかない。今度こそ〈解放〉しなければ。全てを。その為に、その為だけに、身を持たぬ体でこの世に留まっているのだから。
ーー光を継ぐ者よ。我が眠りを解かんが為、現れ給えーー
☆☆☆
その朝、真由美は母と別れ、一人、旅に出た。
真っ直ぐに前だけを見て歩く。もう決めたから。兄を捜し出すまでは戻らないと。
彼女は十六才だ。茶髪のツインテール。淡いピンクのワンピースに紫の腰帯をしている。ぎゅっと結んだ唇に、彼女のこれからの覚悟が滲み出ていた。
まずは大森林の手前の町、オルンを目指す。
大森林とは、今真由美のいる東国と、これから向かう西国とを分断している、ヴァルディア大陸の中心だ。あまりに巨大なその森林は、抜けるのに裕にひと月はかかると言われている。国を跨ぐ時の最大の難関だ。
それでも西国に横行する魔物を相手にするよりはマシだろう。
魔物は今から十年近く前に大陸の西端から現れ始めた。奴らは月日が経つにつれ、少しずつ少しずつ、けれども着実に凶暴になり広範囲に進出してきている。
西国は古より科学・機械技術共に発達しており、現在までその力で魔物を退けてきた。しかしこのまま魔物の凶暴化が進めば、その力がいつまで通用するかはわからない。そうなれば、奴らが大森林を越えて自分の生まれ育ったこの東国に侵略してくるおそれもある。
兄はそのことを憂いて、三年前西国に調査に行ったきり連絡一つ寄越さない。
自分が旅に出たのは兄を捜すためと、もう一つ。
父から聞かされた〈消された歴史〉と、それを繋ぐ物語。その真実を確かめるためである。それはもしかしたら、兄の旅の原因でもあったのかもしれない。
オルンに着いたのは夜中だった。
町に入り宿を探していると、突然背後から腕を掴まれた。
「ぎゃーーー!?」
死ぬほど驚いて振り向くと、そこには顔を紅くした中年男が立っていた。
「おぉ、あんた可愛いねぇ。ちょいとおじさんの相手してよぉ」
男からはアルコールの臭いがプンプンする。
(げーーっっ。…こいつ、酔ってる…)
真由美は顔を引きつらせた。
「あのー放してください」
だが男は猫なで声で
「やーだよ☆」
と、真由美の腕を引っ張った。
「……………」
真由美はわなわなと震え出す。
「ふっざけんなーーっ!!」
そして男の腹に怒りの鉄拳を食らわした。男は悶えた。
「さーって、宿、宿」
怒りがおさまり、何事もなかったかのように立ち去ろうとする真由美。しかしそうは問屋が卸さなかった。
「おい嬢ちゃん…。やってくれんじゃねぇか……」
男は酔った勢いか、腰に下げた護身用ナイフを抜いた。
「こんな時代だからと持っていたが、まさかこんなことに使うとは思わなかったぜ」
「ぎぃやぁーーっっ!!」
真由美は今までに出したことのない叫び声を上げた。それはそうだろう。目の前で虚ろな顔をした男が自分にナイフを向けているのだから。
殺される!
そう思った時だった。
不意に風切り音がして、髪が揺れる。その直後に乾いた金属音。
「……っ、誰だ!?」
声を荒げる男の手にナイフはなかった。地面に突き刺さっていたのだ。ナイフと――矢が。どうやらこの矢がナイフを弾き飛ばしてくれたらしい。
「女の子をいじめるなんざ、おまえも堕ちたモンだなぁ?」
少し遠くで少女の声がした。男が怯えながら矢の放たれた方角を見やる。すると、東側の洋館のバルコニーに人がいた。暗がりでよくは見えないけれど、さっきの声の主と同一人物だろう。
「そ、その声は、まさか黒崎!?」
「大正解」
二人はどうやら顔見知りらしい。男は顔面蒼白で喚いた。
「畜生!覚えてろ!」
千鳥足で去っていく彼を、少女は追おうとはしなかった。
「バカな男だ…」
そう呟くと、今度は真由美に声をかけた。
「ねえ、あがっといでよ。203号室だから」
そう言われて看板を見ると、その洋館はホテルだった。自分も宿を取らなければならないが、その前に助けてもらったお礼くらいは言わなくては。
「あ、はい」
真由美は少女の部屋へ向かった。