皇家の朝
救世の三姫の続編です。
『奇跡の決戦』から八年後、世界は変わった。月読が汎用戦闘駆動機体研究所にあった神の白金製のデータベースに残されていた千年前の文明の知識を開放したからだった。
覇国にもデータベースは存在していたが、覇国の機人は科学者たちに信頼されていなかった為、アクセス権を持っていなかった。そして、覇国データベースへのアクセス権を持っていた科学者たちは千年前に当時の覇国の統治者によって殺されていた。
殺された理由は権力争いだった。機人への命令権を持った軍人たちに対して、科学者たちは知識が欲しければ従えと命令した事が発端だった。これに激怒した軍人たちは後先考えずに科学者たちを殺したのだ。
この事により、世界の復興が困難なものになっていた。だから、覇国は和国を武力で併呑し、亜国に対して戦争という名の略奪を行うしかなかった。
月読が解放した知識により、世界は劇的に変化した。自動車、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、飛行機、船、魔列車、携帯電話、重火器、重機といった文明の利器がことごとく復活したのだ。
道路も街も整備され、急速に増える人口によって引き起こされる食料問題も一気に解決した。学校と病院が作られ生活の質も向上した。
かつて『断絶のエナ』と呼ばれていた女の子は、桜の都に作られた防衛大学の魔法戦技科の一年生になった。その日は入学式の日だった。
朝の七時に目覚まし時計が鳴ってエナは目を覚ます。春の陽気に眠気を誘われるが、起きないと桜が文字通りたたき起こしに来るので時間通りに二階の自室から一階に降りる。
そして、洗面所で顔を洗い、身だしなみを整える。寝ぐせの付いた長い黒髪を櫛で直し、ポニーテールにする。本格的な化粧はしないが目元にアイライナーは入れて目を大きく見せるぐらいはしていた。
こうしないと桜が怒るからだった。「女の子なんだから少しは化粧しなさい」とうるさいからだ。エナはとびっきりの美人ではないが、健康的なスポーツ女学生といった風貌に育っていた。胸は大きくならなかった。その事をコンプレックスに思っているが、無いものは無いと半ば諦めていた。
エナは緑を基調とした明るい色のドレスに身を包んでいた。出かける準備が終わったのでエナは一階の食堂に向かった。
家は、六年前に新築していた。桜とレミが子供を産んだのをきっかけに皇家は豪邸を建てた。三世代、三家族、十一人の大家族だった。
朝ごはんはレナが作っていた。それは家族のルールだった。朝ごはんはレナが作り、仏壇にお供えをする。死んでしまったカイへ朝ごはんを作るのがレナの日課だった。そして、レミが昼ご飯を桜が夕飯の準備をするという役割分担が出来ていた。
朝ごはんだけは家族全員で食べるというルールもあった。月読もそれに参加していた。月読は食事の必要が無いから実際には食べないが、食卓には座るようにしていた。それは、カイに死ねと命令した負い目があるからだ。レナはそれを責めたことは無い。それでも、月読はレナの要望だけは断らなかった。
カイの好物は牡丹鍋だった。だから、月読は定期的に猪を仕留めてレナに解体して渡していた。
そんな月読を見て、桜もレミもカイルも何も言わなかった。月読の気持ちを分かっているから何も言わなかった。
月読は自分が悪だと言った。でも、エナは違うと思っていた。月読が決断し、カイが実行した。ただ、それだけの事なんだと思っていた。
あの命令を残酷だという人達がいた。でもエナはその人たちが根本的に間違っている事を知っていた。そもそも戦争自体が兵士に死を強要する行為なのに、死の命令を出すことが間違っていると言っている事の矛盾に気が付かないのがおかしいと思っていた。
エナが戦士として熾天使のミカエルを殺す実力を得た事も必要な事だと思っていた。それを未成年の人権無視だと言い始めた人達が居た。月読のやり方を非難する者達が出てきていた。
それに関してもエナは反論を持っていた。エナ以外の誰が、あの短時間で熾天使に勝利できるほどの強さを手に入れれたというのか?エナを除けばカイが適任だったかもしれないが、あの時点ではカイですら命を賭さねば勝つことが難しかったのだ。
月読の冷酷な決断は結果として和人を救った。それを否定するものが居たのなら、エナはとことん問い詰めるつもりだった。「他に方法があったのか?」と……。
エナは朝ごはんを食べる為に一階の広い食堂の中央にあるテーブルを囲む椅子の一つに腰かけた。エナの左隣りに月読が座った。食堂のテーブルは長方形で檜製だった。席は決まっていないが、大体同じ場所に座る事が多いが、子供たちはその日の気分で席を変える事があった。
「エナ。おはよう」
「おはよう。月読お兄ちゃん」
二人は挨拶を交わした。
「今日から大学だね。保護者は必要かい?」
「必要ありません。でも、お兄ちゃんは来たい?」
エナは月読の反応が知りたかった。月読はずっと一緒に居てくれる。どんな時でも声をかければ来てくれる。反抗期で月読に対して冷たくした時期もあったが、それでも月読はずっとエナの側に居た。だから、エナは月読の気持ちを知りたかった。
「もちろん行きたいさ、でもエナが嫌だと言うのなら止めておこう」
月読はどこまでも優しくエナに答えた。
「嫌なわけないよ。それに今日は甥っ子姪っ子の入学式でもあるんだから。月読お兄ちゃんが来ないと私は一人で入学式だよ」
「そうだな、桜もレミもそれぞれの長男と長女の小学校の入学式、レナは孫の入学式に行きたがってたし、カイルもカナタも仕事が忙しい。僕しかエナの入学式に出られない」
「そうそう、だから写真いっぱい撮って来てよね。エナ、ごめんね。リンゴの入学式が別の日なら良かったんだけど」
そう言ってきたのは桜だった。八年前と変わらぬ姿、美貌のままだった。二人産んだ後で体型を完全に戻していた。それは皇流拳闘術の鍛錬を続けていた結果だった。黒いストレートヘアをそのままに、今日は桜色のドレスに身を包んでいた。
「いいよ。入学式が別の日だったら、私もリンゴちゃんの入学式に行きたかったし、そっちも写真をたくさん撮ってね」
桜の言葉にエナが答えた。
「ええ、任せて!」
桜は親指を上に立ててエナに応えた。そして、月読が桜に答えた。
「言われずとも見きれないほど写真は撮るつもりだ。エナの一度しかない大学の入学式だぞ」
「知ってるけど、一応言っておかないとね」
そう言って桜は笑った。そこへ青を基調といたドレスに身を纏ったレミが現れた。レミは年相応の姿をしていた。ただし、愛嬌のある可愛らしさはそのままだった。黒髪を三つ編みにして綺麗にまとめていた。
「エナ、ごめんね。私もソラの入学式に出ないといけないから」
「いいよ。レミ姉ちゃんもソラくんの写真よろしくね」
「ええ、任せて」
そう言ってレミも親指を上に立ててエナに応えた。
「エナ姉ちゃん。おはよう~」
そう言って食堂に駆け込んできたのは桜の子供で長男のカインだった。この時、八歳だった。
「おはようカイン。今日も元気だね~」
エナは優しい眼差しでカインに挨拶した。カインは外見はカイルに似ていたが、性格は似なかった。積極的で活発で何にでも興味を持ち、駆けまわっていた。
「うん!」
カインは力いっぱい応えた。カインに遅れて歩いてきたのは桜の子供で長女のリンゴだった。六歳になったばかりで、外見は桜に似ていた。性格はおっとりとしていてのんびり屋だった。
「エナお姉ちゃん。おはよ~」
まだ、眠いのかテンション低めの挨拶だった。
「おはよ~。リンゴちゃん。眠いの?」
エナが挨拶を返すとリンゴは目をこすりあくびをした。
「あはは、まだ眠いみたいだね」
エナは笑って言った。
「だいじょうぶ~」
リンゴは眠い顔をしたまま席に座った。次に食堂に入って来たのは、レミの子供で長女のウミだった。八歳のウミは、弟のソラの手を引いて入って来た。ソラは六歳で男の子だった。
「ソラ。ぐずぐずしないの!」
ウミはレミに似てしっかりしていた。対照的にソラは甘えん坊に育っていた。ウミが何でも世話を焼いた結果、ソラはそれに甘えるという構図になっていた。
「お姉ちゃん。歩くの速いよ~」
ソラは文句を言いつつも早歩きでウミに手を引かれて食堂に入って来た。
「エナお姉ちゃん。おはよ~ございます」
ウミは挨拶した後、しっかりとお辞儀した。
「エナお姉ちゃん。お、おはよ~ございます」
ソラも続けて挨拶をしたが、どこか頼りない挨拶だった。でも、ウミの真似をしてお辞儀していた。
「おはよ~。いつも礼儀正しくて偉いね~」
エナが褒めるとウミは決まった答えを返すのだった。
「当然です。スメラギカイの孫ですから」
皇海は英雄として語り継がれていた。ウミにとってそれは誇らしい事だった。だから、英雄の孫に恥じない行動をとろうと決めていた。
そんなウミを見て、エナはいつも可愛いと思っていた。だから、何度でも同じやり取りをしていた。
次に食堂に現れたのはカイルとカナタだった。二人ともスーツに身を包み髪も整えていた。カイルは二十八歳、カナタは三十三歳になっていた。二人とも精悍な顔つきになっていた。
カイルは合衆国軍の統領をしていたし、カナタは和州の州知事だった。
『おはよ~。エナ』
二人同時に挨拶して入って来た。
「おはよ~」
エナが挨拶を返した。
「すまない。エナ、君の入学式に出られそうにない」
「分かってるよ。お仕事頑張ってね。カイルお兄ちゃん」
「ああ、この星を守る為に今日も頑張ってくるよ」
そう言って、カイルは席に座ると新聞を広げて目を通していた。
「すまない。エナ、俺も入学式には出られない」
カナタもエナに謝った。
「良いよ。カナタお兄ちゃんも忙しいの知ってるから、ニュースで話題になってる件でしょう?」
「ああ、都市の拡張計画予算案でもめててな」
「仕方ないよね。州知事だもん」
「すまない」
そう言って、カナタも席について新聞に目を通していた。月読や他の家族たちが挨拶をしていないのは既にみな済ませているからだ。
大概は、朝起きて身支度している時に挨拶はすんでいる。エナが起きるのが一番遅いため食堂で挨拶するのが常だった。
みんなが食卓に着いて雑談していると、レナが仏壇に供えるお膳を持って来た。それを見て皆、席から立ってレナの後ろについて行く。
この家の朝の儀式だった。レナが仏壇にお膳を置いて、線香に火をつける。そして、鐘を三回鳴らして手を合わせる。
みんなそれに合わせて手を合わせた。口には出さないが、カイへの感謝と冥福を祈っていた。
「さあ、お祈りがすんだら、朝ごはんだよ」
レナがそう言うと皆、食堂に戻って、レナが用意した朝ごはんをみんなで配膳し、席に着いた。
『いただきます』
全員でそう言って朝ごはんが始まるのだった。これが、皇家の朝の日課だった。賑やかな朝ごはんの風景を見て、レナは幸せを感じていた。出来ればカイもいてくれたらと思うが、それを口に出したりしない。
そんな事を言っても誰も幸せにならないのだ。今ある幸せをレナは大事にしたかった。