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5. 森の腕

先に走り出した小さなソレは、無数に並ぶマツの存在も相まって、大人しく視界にはいてくれなかった。

おかげでおれは下に向けた視線をなかなか上げることができず、何度も木にぶつかった。


そうやって転ぶおれを都度振り返って、ソレは笑う。


「案外トロいのね」とか、

「ちゃんと前を向いて走りなよ」とか、


好き勝手なことを言って笑うソレは、たしかに器用で一度も転ばなかった。


こういう歩きづらいところに慣れているのだろう。さすがは森生まれのウロだ。

感心する傍ら何度目か、「そういえば」、と思いついた。


「お前、どこに向かってるんだ?」


訊くと、くるりとこっちを向いて、ソレは首を傾げた。


「どこ……って、逃げるために走ってたんだから、なにも考えてないよ」


おれは、足を止めた。


「おい」


気になって声をかけると、


「なんだよ、そんな怒るようなことじゃないだろ。どうせ行く宛てなんてないんだしさ」


ソレの不満げな声が足元からした。だが、今はそんなことどうでもいい。


「なんだ、あれは。知ってるか?」


視線の少し先、立ち並ぶ木の根本に気になるものを見つけた。

歪なコブだ。


高さは目の前にいるソレと同じくらいだから、ちょうどおれの腰くらいか。

形は歪な卵形で、木の幹よりも一回りほど大きい。そんなものが木の根本に寄り添うようにしてあった。

キノコかと一瞬警戒したが、それにしては大きいし、なによりあの無様な傘の部分がない。


はじめに見つけたのは一つ、しかしそのそばにも、奥にもと、探すほどにそれは見つかっていく。


「知らない」


言うなりソレは、見てみよ、とそこへ駆けていく。

おれもその後を追う。


そうして近くでコブを見てみると、疑問はあっけなく解消されてしまった。


「木のコブ、だね」


まさしく。


「みたいだな。それがこんなふうにあちこちできてるってことは、そういう木ってことか」


ただのマツの木だと考えていたが、おれの知っているものとは少し違うのかもしれない。

それにしても。


「……これ、お前っぽくないか」


歪なコブにも、向こうで倒木にあったような突起がある。

全体が丸に近い分、ウロのような、というよりかあの倒木よりもソレに近い。


「顔?」

「……に見えるよな」


まじまじと見つめていると、ソレがふいに「おーい、聴こえるかー」と木のコブに声をかけた。


返事なんてするわけがない。

そう高を括ったおれの目の前で、木のコブがぴくりと動いた。


動いたのは、中心付近にある突起の少し上の左右でおよそ対照的に窪んだ部分。

目のある位置で、だ。


瞬間、ソレが「おっと」と怯む。


「こいつ、今まばたきしたよっ」


嬉々としてソレが言ったのに、おれは黙って頷いた。


今、おれの目の前には、変わったウロとおかしな木のコブがある。


どちらもおれの知らないもので、このことこそ、ここが夢である証拠なんじゃないかと思った。


周囲を見回し、空を見上げ。

それから、また二つの未知に目を落とす。


その間にも木のコブはまばたきを繰り返したようで、ソレは「ほら」、「また」といちいち反応した。


「ここはいったい……どこなんだ……」


こぼれた一言の答えを探すため、おれは二つの謎を置いて足を進めた。

早くこの森を抜けなければ。逸る気持ちに応じて早足になっていた。


それから少しして、それまで上から差していた木漏れ日に加え、前方の木々をすり抜けた陽光が筋になって地面を照らし始める。


ここまでに比べればわずかな距離。

そこを進めば進むほど光は強くなり、ようやく感じ始めた眩しさは、まるで世界が姿を明かそうとしてくれているかのように思えた。


世界が、おれに、姿を、見せるべく、見せて、おれに、知らしめるべく。


「…………」


森の終わり、その縁でおれの足は止まった。


そこに広がっているのは、あくまで予想通りの世界だ。


背の低い草が生い茂り、所々で色鮮やかな花が顔を覗かせ。様々ある色の中で似たもの同士が群れを成し、存在感を主張しているかのようそこにある。


風は緩く穏やか。

ピンと立つ草花はそれに揺れて音を鳴らし、不可視を知らせ。

倒れて起き上がるその様で渦を巻く流れの存在を露わにしている。


おれの知っている環境。

でも、おれの記憶にはない風景だった。


ふと、後頭部に手が伸びた。


「…………」


ソレの言った、行く宛てはない、という言葉がふいに蘇る。


その通りだ。

おれに行く宛てはない。

それなのに、やるべきことはある。


だからこそ、どうすればいいか、なんて無意味な悩み事が頭を過ぎる。


森の中で漠然と浮かんだ、記憶を探す、ということはそもそもそういうことだったんだ。

記憶を失った者が、世界というなんでもある場所でそこに当てはまるものを見つけ出すということ。

無数にある正解ばかりの中に不正解を決めることだと。

世界は、おれにそう言っている。


持て余すほどの自由、だ。記憶を失ったおれはそんなものを持っていた。


見栄えしない単純な草原に、心が凪ぐ。

ゆっくりと、体重が地に溶けていくような気がした。瞬間。


ペチ、と何かが後頭部に当たった。

振り返るとそこに、キノコが。

おれの顔目掛けて吹っ飛んでくる。


「おわっ!」


すんでのところで体を捻じると、キノコはおれを掠めて草原の方に飛んでいった。


「おいっ! やめろ!」


木立の中にソレの姿を見つけ、声を上げる。

すると。


「にぃーげぇーろーーぉ!」


ソレが必死の形相で走りながら、そう叫んだ。


「またか……。今度はなんだっていうんだよ」


ぼやいて投げた質問はソレに届くかという程度の音量だったが、走ってきたソレはおれの声が落ちて消えてしまう前に拾い上げたようだ。


追っかけてくるよ。


そう言ってキノコに続いておれの脇をすり抜け、躊躇なく草原に突っ込んでいく。

その姿を視界の端で追う傍ら。

森の奥からソレの言う、追っかけてくるものの気配が、聴こえた。


厳格に、悠長に、堂々たる。

そんなこととはまったくもって正反対の、野蛮で、忙しなく、強烈な嵐のような音が迫ってくる。


一体じゃない。

二体、三体……?

違う。


「おい! いったい何匹いる!」


おれは、背後で遠ざかる足音に向かって叫んだが、返事はない。


一瞬、頭は戦うかどうか考えようとしたが、向こうで木々に混じって蠢くものを確認し。


おれは、大きく息を吸った。


それも半ば、腹六分というところで早くもそれらは姿を現す。


まず真っ先に知ったのは、やはりあれが顔だった、ということ。しかしその位置は常識的な頭の位置にはなく、あの時木の根本に見つけた時のままだ。


ウロだとしても、これほど奇形という言葉がしっくりくる存在はなかなかいないはず。


強いていうなら、股、の位置にある頭部。

だが、いわゆる身体は木の幹なので当然、空に向かって伸びていて。

腕と想像できる枝に関しては顔の向きに関係なく、胴体の裏と表に複数ある。


それで脚はというと、頭を挟む両側、編まれて束となった爪先立ちの根がそのつもりなのだろうが、生まれたてで上手く歩けない赤子のような足取りには、常日頃動いて鍛えている様子はみられない。


大きな体に対し、細くおぼつかない足。

頭の位置も踏まえれば、逆立ちしているようにも思える。


そのくせ急いでいるようで、忙しなく蠢いているのが危なっかしい。


いつ転んでもおかしくないと予想する矢先、最前線のマツの木は勢いよく前方に倒れ。いや、突き飛ばされ。


後方から同じく急ぐ同じ種類の木に押し倒されて、つまずいたそれらが次々に積み重なっていく。

腕枝はへし折れ、潰れる幹が、バキバキ、と無惨に砕け散って音を鳴らす。


その光景は、きっとおれが苔の波の中にいる時に見えなかった部分もそうだったのだろうと想像する。


物が物らしく砕けて屑になっていく。

それを見ておれは、何をそんなに慌てているのか、と思った。


ただ突っ立っているだけなら、木の気持ちなんて考えるまでもないところでも、あれらには頭が付いていて、しかも動く。


強く生々しく感じられる木の群れの、追いかけるのだ、という意志がはっきり感じられた。


身体が壊れて、踏み潰されても。

同族を踏み潰してでも、あれらは森の外を目指している。


なぜだろう。

ふと過ぎるのは、ソレは何をしたのか、という疑問だ。


おれが見ていた時点で、ソレが木のコブをどうにかしたわけではない。

つまり、おれが先へ進んだあとに、木が取り乱すほどの何かをしたわけだ。


逃げるのも選択の一つだ、なんてことを言っておいて、余計なことをしてまた逃げるんじゃ世話がない。


ふと生じる一息吐き捨てたい気持ちから、今じゃない、と我に返したのは、

押し倒されまいと足掻いた顔のない木が、パキンッ、と軽く弾ける断末魔だった。


乗じて震えを伝える絡み合うマツの枝は、針のような葉の雨を降らせ。

奥から来る獰猛な気配とは裏腹に、サササ、とつまらない音でおれの周囲を満たした。


思考に静寂、視界に喧騒。

相反する両者に巻き込まれ、おれは自分が呆然とするのを感じた。


逃げなければならない。

頭に浮かぶ一択が、なぜか体に反映されない。


吸った空気をどうすればいいのか。

吐けばいいのだとわかった途端おれは、口から、そうしていた。


瞬時溢れ出す、白く濃い煙。

勢いはなく、口元から溢れ帯となって垂れて着地すると、それは、ふわ、ふわ、と跳ねながら広がっていく。


自分で出しているものながら、おれにはこれが何なのか理解できなかった。


空を飛ぶことは当たり前。

身体が自由自在にねじれるのもそうだ。

だけど、口から濃い煙が出ることは知らなかった。


隠された力?

自分がどれくらい生きていたのか覚えてはいないが、こんなことができたのか。


かといって、これになんの意味があるのだろう。


出すだけ出し尽くして地面で揺れる濃煙を見つめていると。

それはゆっくりと、ちょうどおれと同じくらいの高さまで立ち上がった。


まるで大きな布の一点が持ち上がってそうなるように、いってみれば誰かが布を被っているようにも見える。


「なんだ、これ」


不可思議なものだということはわかる。

だが、それだけだ。

こうなるとできることは、一つしかない。


指を伸ばし、おれは濃煙に触れようとした。が。

次の瞬間、煙を跳ね飛ばし、勢いのまま何かがおれに体当たりをした。


鈍く重い衝撃。

それが背中に向かって突き抜けていく感触と共に、足が地面から離れた。


おれは、殴られるのがはじめてだったのかもしれない。

他者の力でふわりと浮く感覚は、新鮮で妙に心地良い。

おもむろに目に入った空は、自ら近づいた時よりも広く、遠く感じられた。


そこに白いモワモワとした雲が浮いている。

基本的に真っ白で、それなのに、おれが吐き出したものとは似ても似つかないと思った。


「もわもわ……」


それがあの濃煙には足りない。

くねくね、と地を這う様子にあったのは、明らかな重さ、だ。


重い煙。

何がどうなってそんなものが腹から出てくるんだ。

わけがわからないのは、世界や状況だけじゃなく、おれ自身もその範疇だっていうのか?


おれ、なのに。


体よりも軽い何かが霧散したように感じた。


直後、背中に地面の固さを感じ、体はニ、三、跳ねて止まった。

仰向けのまま、それとなくかざした手のひらは、雲の底と同じく灰色に染まっていて、陽光を弾く白さとの兼ね合いは、それこそ雲のようだ。


「もしかして……」


濃い煙、雲のような色、軽い体。

おれは、


「雲なのか……?」


結論というか可能性というか、今までで一番現実味を感じる答えには、「だといいね」、とさっそく感想がついた。


同時に、空に向いたままのおれの手を声の主は掴んだ。


「そんなことより、行こう。今のうち」

「今のうち?」


気になって体を起こすと、察したソレが、「あっち」、を指差す。


そこにいるものを、おれは何とも理解できない。


倒れ重なる倒木たちと、それらを踏み越え進んだ歩く木の群れ。

その大半は股に頭を持つものだが、中にはおれと一緒に流されてきた幹に顔を持つものもいる。


なんにせよ、おれにはもうそれらを森だと思うことはできない。


だが強いていうなら、腕、だ。

森自身が伸ばした不格好な腕は、その先でいったい何を掴もうというのか。


今のうち、というソレの言葉の答えがそこにあるのはわかっていた。

しかしそれを確かめる間もなく、おれはソレに促されるまま森の腕に背を向けた。

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