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10.見覚え

家のそばまで行くと、見覚え、はさらに強くおれの脳裏で声を上げる。


家の周囲に巡らされた尖った柵も、薄茶色の外壁と出窓も、玄関の前にある狭い小上がりも、白い扉とそこにぶら下げられた無骨な呼び鈴も、そこら中がギウの匂いに包まれていることも、小上がりから覗く家の陰にある大きな建物がギウ舎兼倉庫だということも、


「知ってる……」


目に映るものの一つ一つ、風景がおれの知っているものばかりだ。

いや、知ってるとかそういうことではなくて。

おれは、この家に……。


閉ざされた扉の呼び鈴に腕を伸ばすのと同時、奥で床の軋む音がし、扉は押し開けられた。

僅かに俯く首の角度、まさしくそこをくぐるようにして出てきた女は、右に立つおれが見えていないまま、「今日はおかしな日」、と言った。


「お客が二人も来るなんて……」


言うなり女は小上がりにかかる屋根の端から空を覗き、「でも、大丈夫そう」、と短く笑った。


その凛とした横顔を、おれは凝視する。

真っ白な眼帯に隠された顔の右半分、薄青色の体毛と相まってそれが、さながら空の色。

そう、空の色、だ。空の色をした鎧姿の女。


彼女をおれは知っている。


「はじめまして」


ふいにそんなことを言われ、おれの口からは何ともいえないみっともない声が漏れた。


「どうかしました?」


おれを振り向いた彼女が首を傾げる。


「え、いや。なんでもない……」


何でもない、のか?

反射的に自分が発した声におれは驚いていた。


この女は、おれの記憶の中にある人だ。それは間違いない。

それなのに、彼女はおれと初対面かのように振る舞う。

記憶違い?

他人の空似、というものなのだろうか。


ほぼ確実といえるほどの見覚えがあるこの姿を、おれは彼女と見間違っている?

だけどおれは。


「たぶん……知り合い、かな。家の中にいますから。どうぞ」


そう言って彼女は扉のそばから一歩離れ、道を作った。

彼女のこともそうだが、中にいる知り合いというのも気になる。

おれは迷わず家の中に踏み込んだ。


入ってすぐのところに四人掛け程度の大きめな円卓が一台。

右の方にはよく外の光が入るようになっていて、奥の窓辺に三人は座れる柔らかそうな長椅子が一脚と、出窓のそばには別に一人掛けが一脚。

長椅子の脇に間をおいて並べられた二つの棚の間にある入り口、奥の一室は台所だ。


正面の円卓の左の方には本棚が一つ置かれているだけで、絨毯が広げられただけの開けた空間。

奥には廊下が伸びていて、そこに見える三つの四つの扉の先は寝室と倉庫となっている。


玄関口からでは決して見えない向こうの室内の様子も、当然のように覚えが浮かぶ。

たしか、彼女の部屋は廊下の左奥だった。


「奥の寝室か?」


目の届くところには見えない知り合いとやらの居場所を予想すると、女は「あら、わかるんですね」と言った。


「ああ、まあ一応記憶にあるから……」


だけどおれは、彼女の名前を知らない。

正確には覚えていない、と感じるべきなのかもしれないが。


「記憶? においを覚えてるってことですか?」

「におい? ギウ臭いってことか?」

「そ、そんなに匂いますか? 一応気をつけてるつもりなんですけど、人と会う日はだいたい決まってますしね」


急なお客もあるってこと考えてませんでした、と彼女は服の襟を鼻のそばに引っ張って鼻をスンと鳴らした。

それはそうと、いまいち話が噛み合っている気がしない。


「まあいいけど」


彼女の言っている意味を捨て置き、それよりも、とおれは奥の寝室へ向かう。

奥、だと思っている俺が、手前の扉を通り過ぎたその時。


「そっちじゃなくて、こっちです。わからなかったんですか?」


ついてきていたことに気づかなかった。

いつの間にか背後にある扉の前に立っていた彼女は扉に向かってまた鼻を、スン、と鳴らす。


それを見て真似をするわけじゃないが、扉を開く直前それとなくおれの匂いを嗅いでみるが、特に何のにおいもしなかった。


「……やっぱり」


この家を見つけたことで、おれの期待はもう一つ違っていた。

本当に知っている誰かがいるかもしれない、とそれしかないことを感じつつもほんの少しだけ。


だけど、今のおれにはやっぱりそれしかあり得なかったのだ。

正面の窓の下、記憶の限りでは彼女のものでない寝床の上で横になっていた。


「やっぱり、知り合いですよね?」

「一応、そうだな」


ソレ、が他人の寝床で気持ちよさそうに寝息を立てている。


「外でギウの世話をしている時、向こうから走ってきたんです。それで目の前で、バタッ、と倒れて……」

「それで、お前がここまで運んでやったのか」

「いえ、そうじゃなくて。お腹空いたって言うので、うちで食事を。今は、お腹いっぱいになって眠っているんです。勝手に」


くすくす、と笑いながら家主はソレの寝顔を見下ろした。


「かわいいですね。言葉も話すし、もしかしたらギウの世話を手伝ってもらえますかね。どこで見つけたんですか?」


このウロの子。

と、女が言う。


「なっ、なんですかその顔。大丈夫ですよ、あなたが飼ってるのに盗ったりしませんよ」


今、この心情をどう説明すればいいのかわからない。

とにかく、おれは感動していた。


「お前、今なんて言った?」

「盗ったりしません?」

「そうじゃなくて。こいつのこと、ウロ、って言ったよな?」

「言いましたけど……。もしかして、いやでした?」

「そうじゃなくて」


と、おれは首を横に振る。


「キノト、じゃないよな?」

「ん? キノトってなんですか?」


よかった。

溢れ出したため息は、安堵の熱をもっていた。

おかげで、疲れていたわけじゃないが、体からストンと力が抜ける。


そのまま床に胡坐をかいて座り込むと、彼女はソレの眠る寝床の端に腰を下ろした。


「……なにかあったんですか?」

「いや、なにがあったとかじゃないんだ。ただ、おれには記憶がなくて。それでもここは現実の世界だし、たぶんおれの知ってるところなのに、見たことのないソレをキノトだとか呼ぶのが当たり前みたいに言われてな」


概要を説明したつもりだが、彼女の口からは、「はあ」、となんとも微妙な理解を示したようなそうでないような返事があっただけだ。


「理解してるか?」


たぶんわかってないだろうと思いながら、念のため訊いてみる。

ええ、とそれもまた微妙な具合に彼女は頷いた。


「つまり、あなたは自分がどこか別のところからやってきたと感じているけど、それでもここはあなたの知っている現実の世界だった。と思いきや、自分がウロだと思っていた生物が、キノト、という変わった呼び方をされているのが当たり前だといわれて混乱している……。ですよね?」


そのとおり。

むしろ、おれ自身でもいまいち納得しかねていたところまでまとめ上げられた気分だ。

何もかもに納得し、一度頷いたつもりが反動で何度も首を縦に振っていた。


「それだけじゃない。おれの知っている常識が変なんだ。噛み合わないっていうか、そもそも違うっていうか……」


上手く説明できる気がしなくておれは、「イルは、世界の端を飛んでる眩しい鳥だよな?」、と言葉を変えた。


「ですね、たぶん」

「だよな。よかった。そうなんだよな。まったく、やっぱりあいつの言うことが変だったんだ……って……」


たぶん?

彼女が語尾につけた単純な言葉が気になった。

怪訝な眼差しを向けると、彼女はまた「なんですかその顔」と言った。


「私、街にはほとんど行かないんです。とはいっても、あの子たちを売りに行ったり、買い出しとかで行くには行きますけど、長居はしませんし。そのへん、常識、みたいなものには疎いんですよね」


あっけらかんとそんなことを言う。

自分のことは棚に上げ、おれは彼女のことをふと、変な奴だ、と思った。


「じゃあ、どうしてイルのことを知っている?」

「父です。というか、代々そう聞いているから、と言ったほうがいいですね」


つまり、家の言い伝えみたいなものです。

と、彼女はまとめた。


「また、伝説か……」


心の落胆をそのまま口にした。

それは彼女にだけ向けるべきものではないのだろうが、半ば八つ当たりでもしたいような気分だったのだ。


「伝説ってそんな大げさですよ。ただの言い伝えです。たとえばあるじゃないですか、包丁を『クークー』って呼ぶとか、そういう家族内だけの……」

「なるほどね。愛称みたいなもんか」

「そう、そうです」


微笑んで頷く。

いたって普通の反応にも関わらず、その表情が醸し出しているものは、異常だった。


何がそうさせるのか、彼女の笑みからはひと目見ただけで伝わる、優しさ、が溢れていた。

そうして溢れ出した優しさは、不思議なことに、彼女の目元の薄青色を濃く染め上げて、線を成す。


それが一瞬、おれには涙ではなく、傷のように見えた。


「だから、街の人が言うこととは少し違うかもしれませんよ?」


それでも、彼女は平然と話を続けている。

自分の変化に気がついていないのだろうか。


「なんですか、その顔……。どうかしました?」


案の定おれの表情を指摘する彼女は、むしろおれが自分の気配の変化に気づくことを気にしたのか、溢れ出すものを冷静さで覆い、和らがせたようにもみえる。

目の下に傷を残したまま、だが。


「まあ、そのへんはおれと一緒だな。あてにならないというかなんというか……」


彼女の涙の理由から目を逸らそうとしていると、不思議とさっきまでの探究心みたいなものは薄らいだ。

おかげで訊きたかったことが何だったのか、いまいちまとまらない。


「あてに、ですか。でも、なんのです?」

「なんのだろうな。よくわからない」

「急に投げやりですねえ。どうかしたんですか?」


女が首を傾ける。


「どうもこうも、それがわからなくて参ってるのかもな」


結局、おれは目のやりどころに困って、室内をそれとなく眺めることにした。


これは部屋に入った時からわかっていたことだが、ここは彼女の部屋ではない。

かといって彼女の部屋がどうなのかまでは思い浮かばないが、違うということだけはわかる。


「なあ、ここは誰の部屋なんだ?」


話題を変えるのにも都合のいい質問だと思った。


「兄の、です」

「へえ」


書棚が一つと物書き用の机と椅子。

反対側の壁には、何やら細々とした道具が収められた棚があって、その脇には長机が置いてあり。

長机の上も道具棚の中同様に散らかっていて、壁には地図が貼り付けられている。


周囲が山に囲まれた地図。

ふと発される、見覚え、がここでも声を上げた。


いてもたってもいられずにおれは立ち上がり、そこへ近づいた。


雑な地形の上に置かれた文字と下手な絵。

中央より右側の少し離れたところに描かれている、車輪の絵、そこに【車輪の街】とある。

それだけじゃなく、地図の中央付近にあって中心に背を向けて描かれた洞窟の絵のそばには【洞の街】、中央から離れた位置で山脈との間辺りには【赤闇の街】と、それに【紛れ街】も。

おれの記憶にある大概の街が描かれているようだった。


だがそんなことよりも、おれには見なければならない箇所がある。

大概は地図の左上隅、方角を示す八本の放射線のそばに書かれているものだが、この地図にはない。


それでも、これが世界地図ならきっと名前があるはず。そのまま左回りに地図の縁に沿って視線を這わせていく。


見栄えしない山脈に沿って地図を下方へ向かわせると、ほどなくして山脈は右へ弧を描き始めた。

山の無くなる世界の端には、例によって余白を埋めるための雲を表す波線が泳いでいる。


そこを越えれば、茶色の壁という現実が待つところ。

その切間のそば、雲の波線に同色の黒色で文字が紛れている。そこには、


『ニセモノ』


街の名のどれよりも丁寧に、そう書かれていた。

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