六話:突然の精神的トラップ
「ほぉ…………」
「あ…………」
部屋に入った俺は、その部屋の内装に思わず足を止めて感嘆の息を吐いた。
先に部屋に入った俺が立ち止まったせいで、後ろから慌てて入ってきたエミリアが背中に激突してきたけど、まあそれは良い。
「どうしたの、シン? 急に立ち止まって……」
俺がこの感動を共有しようとエミリアの方を振り返ると、赤くなった鼻を押さえながらエミリアが聞いてきた。
ただ、顔全体が紅潮しているせいか、あまり目立っていない。
「あ、いや、これ見てみろよ……」
二人きりなので敬語は使わず、俺が少し震える指先で自分達の下を指差す。
エミリアが俺の指に引かれるように、自分が今立っている場所を確認し……
「? どうかしたの?」
首を傾げた。
いや、分かってたけどね!
王室育ちのエミリアに、この玄関の作りに何故俺が感動しているのか分からないことくらい!
「ねぇシン。なんで玄関に段差があるの?」
未だに呆けている俺の横を、エミリアが二重の意味で不思議そうに通る。この玄関はそれなりに広く、俺とエミリアが段差に並んで座って靴を履くことができるレベルだ。
だから、普通なら広くはない玄関でも、俺の横をエミリアが通ることは簡単だ。
そのまま、玄関で靴裏の泥を払い、小さな段差を登って……
「待て、エミリア!」
「キャッ……!」
靴を履いたまま踏み込もうとしたエミリアの肩を掴んで引き寄せる。
危ねぇ……あと少しで土足で上がるところだった。
「シ、シン!? き、ききき急にどうしたの!? そういうことはやるなって、ゼロ先輩だって言ってたでしょ! だ、だから今は駄目……!」
……はい?
慌てたようにエミリアが……って、そういうことか。
さっきまでのことを考えると、俺がエミリアにバックハグをしたように見えるわけか。
エミリアは真面目だし、先輩に言われたらそれを真っ直ぐに受け取るだろうからな。だから、エミリアは拒否してあんなことを……てか今は駄目だなんて、駄目ってはっきり言われたのは久しぶりか……?
…………ん?
………………今は?
今って、英語で言うナウ? 今じゃなければ、つまり後ならして良いと? 俺、お姫様公認でお姫様抱き締めて良いってことになったの?
……いや、勘違いするな。
ただ、エミリアは結婚した後の話をしているだけだ。そして、俺は結婚反対派。エミリアには、エミリア自身が本当に好きな奴と添い遂げて欲しいと、それは心から思っている。
俺はエミリアを守りたいのだ。それは、エミリアが意中の相手と添い遂げることも含まれる。
例えば、王女の相手として相応しい伝説の光の勇者が日本から来たとする。そしてエミリアと愛のない結婚をしようとすれば……それとなく勇者くんに近づいて自分諸共爆散するレベルでだ。
ここは、やはりエミリアの失言に気付いていないフリをして、スルーするべきだろう。体感的にはエミリアの二倍近く生きている大人として。
「ここは俺の故郷の日本って国にある玄関と似ててさ、まずここで靴を脱ぐんだ。んで、その靴をこの横の棚に入れる。そうすれば、部屋の中を汚さないで済むだろ?」
実践して見せながらエミリアに説明する。
そう。この寮の、少なくともこの部屋は、土足ではなく、日本のように靴を脱ぐためと思われる物が用意されているのだった。
この、半円にカーブした直線的に長い棒とか、どう見ても靴ベラだ。孫の手という可能性もあるが……先が曲がっていないのでそれはないと見て良いだろう。
棚は靴棚、下駄箱、靴箱、色々言い方はあるが、取り敢えず分かりやすく靴棚と言っておこう。で、玄関の段差は……あれだ。玄関の段差だ。
べ、別にあれをなんて言うのか知らない訳じゃないんだからね! か、勘違いしないでよね!
「……でも、魔法で汚れを取れば、部屋の中は汚れないよ? それに靴を履いていた方が、襲撃があった時にも逃げやすいと思うの」
「…………」
なる、ほど…………。
そうか、そういう世界観だったな。
むぅ……確かにそういう話だと、靴を脱がないのは合理的かも知れない。
エミリアは今の段階では政治的な要人でこそないが、現王様の愛娘で王族だ。これから先、この部屋に襲撃が全くないということは流石に考えにくい。
さらに言えば、エミリアはとびきりの美人だ。それこそ、引きこもっていた時代の俺が出会えば砂となるレベルで後光が差している。男子諸君から違う意味で襲撃があってもおかしくない。
いや、でも俺の日本人としての精神的に、靴は脱ぎたい。
王城は家という感じがしなかったから平気だったけど、それでも、自分の部屋の中は土足禁止にした。
わざわざ部屋の中に靴を脱ぐ所も用意して、新人のメイドの為にその場に注意書きの札も置いておいた。しかもそれは、言葉が通じない人がいるかもしれないので、俺の使える言語全てを使って書いた。
それくらい、俺は土足文化は嫌なのだ。
少し過剰かも知れないが、あれだ。周りの人が全員米を捨ててGを食べ始めても、自分だけは米を食べると言えば分かるか? 分からないな。俺も自分が何言ってんのかよく分かってない。
まあ、何が言いたいかというと、潔癖の基準は人それぞれということだ。とはいえ、俺は、周りの奴らが黒光りするアイツを食べ始めるなんてことがあったら、きっと血の涙を流して飛び降りるけどな。
(ここで、エミリアにどう伝えるべきか……)
理詰めしようとも、道理は完全にあちらにある。俺は感情的に嫌なだけなのだから。勿論、ここがそういう作りだと言うこともできるが、だからなんだと言う話だしな。
「家で、自分の住む所でくらい、ゆっくりしたいだろ?」
結局の所、あの開放感はやってみなければ分からないのだ。
だから、俺はエミリアを言い負かすのではなく、ただ淡々と靴を履かない理由を話した。
「……靴を履いてると、ゆっくり出来ないの?」
「ゆっくり出来ないことはないけど……靴を履いていると、外にいる気分になるんだよ」
「? 屋根も壁もあるのに?」
「屋根があっても関係ないんだ。靴っていうのは、外を歩くためのもので、それを休む場所でまで履いていたくないんだ。簡単に言うと……エミリアはベッドの中まで靴を履かないだろ?」
ここで、履いていると答えられてはもう諦めるしかないが、エミリアがベッドの中で靴を履かないことは昔この目で見たから大丈夫だ。
同衾も 幼い頃は ノーカンだ(五七五)
「やっぱり、ここは特別な場所だからさ。外で、他の奴らと会っている時とは、全く別のものだから」
そう言えば、どうしてエミリアは部屋の中でも靴を履くようになったのだろうか。
いや、勿論この世界ではその方が正しいから、エミリアが特異な訳ではない。
だが、それこそ俺とエミリアが出会って、俺が王城で住み始めた頃、まだ俺達が幼い頃は、エミリアも俺の真似をして部屋で靴を脱いでいた筈だ。
一体、何がエミリアに靴を履かせたのだろうか。
俺が、過去を思って懐かしんでいると、エミリアが恥ずかしげにモジモジしながら口を開いた。
「それは……ここだと何も警戒しないで、ゆっくりできるってこと……?」
「警戒? ……あ、靴を履いていなくても、いざと言う時は護衛として抱えて走るから心配しなくて良いぞ? まあ、そもそも、そうならないために俺がいるんだけどな」
「そ、それってまとめると……?」
「えっと……二人きりでいる時くらい落ち着きたいし、俺がエミリアを守るから心配いらない」
「も、もう少し詳しく!」
「???」
なんか、キャラ変わってないか……?
……まあ、いいか。
「えっと……この部屋はエミリアと暮らす特別な場所で、二人きりの時くらいゆっくり羽を伸ばしたい。それに、刺客が来ても、俺がエミリアを守るから心配しなくていい。……これでいいか?」
「〜〜〜〜!」
なんなんだ、一体?
俺がはっきり言って困惑していると、エミリアは満足したのか一つ頷き、靴を脱いで靴棚に入れた。
どうやら、エミリアを説得できたらしい。理由は不明だが。
「そ、それじゃ部屋を決めよ、シン!」
「お、おう……?」
まだ廊下でのことを引きずっているのか、心なしか顔の赤いエミリアに引っ張られ、俺は部屋の中へ連れ込まれる。無論、俺は靴を脱ぐことも忘れない。
玄関から上がれば、そこは廊下だ。玄関から見える情報だけで言えば、玄関→廊下→部屋だ。
窓から届く光だけでなく、天井には光る魔道具が付いていて廊下は明るい。
そして少し進むと、廊下で一番最初の扉が左の壁に現れた。まあ、特別な生徒用とはいえ、ここは寮だ。部屋だって広い訳じゃないし、玄関から扉は見えていた。
まあ、気分だ気分。廃墟を探索するような臨場感を出して行こうよ。
「ここは……風呂場だな」
「すごい……大きいね……」
何故お前がそのネタを知っている、とは聞かない。
そしてエミリアが驚いた広さだが、どう見ても王城のペット用の風呂の方が広いと思う。
また、狭いか広いかで言えば広い方か。二人から三人くらいなら同時に入っても大丈夫そうな浴槽。シャワーも二つあって、お風呂大国日本でも普通に広い方ではなかろうか。
緩やかな傾斜のつけられたタイル張りの床、どこからどう見ても浴室だった。勿論、廊下の扉を開けてすぐ浴室なのではない。扉を開ければ、洗面所兼脱衣所があった。
その脱衣所も、二人から三人くらいを想定して作られていて…………あ。
「そういうことか…………」
俺は、思わず空を仰ぐ。室内なので天井だが。
二人用の部屋、二人から三人くらいの大きさのお風呂。ここまでくれば、もう分かる。これは、同室の者同士が一緒に入ることを想定して作られている。
無論、要人とその護衛……誤解なきように言えば同性の従者が一緒に入るのであって、その目的はあくまで入浴中の護衛や、主人の身体を洗ったりするためだ。
決して、色んなことをするためではない。従者がする奉仕は、あくまで身の回りの世話だ。それ以外の奉仕をするためでない。
「「…………」」
エミリアさんや、そんな真っ赤になってチラチラとこっちを見ないでくれ。
ここがどんなことをするために使われているのか、主従が同性の場合は何をしているのかに考えが及んで仕舞えば、俺達が異性だとしても、いや異性だからこそ相手を意識してしまう。
「つ、次に行こうか!」
「う、うん!」
逃げるようにして、脱衣所を抜けて廊下に戻る。
今ので残っていた体力を半分くらい使ったわ。
でも、流石にこれ以上精神的に疲れるものはない筈だ。
実際、浴室の扉の隣にあるトイレも普通だった。恐る恐る扉を開けたのだが、便座の隣に謎の椅子があること以外普通だった。
……てかなんだ、あの椅子は。
まるで便座を使う人を見るかのように……いや、あれはトイレだと読書が捗るということから考え出された特別な椅子なんだ。便座と合わせて二人分、ピッタリだね!
……最早、普通と考えなければやっていけない……。
廊下を進むと玄関からも見えていたが、リビングがあった。お高そうな、しかし日本の庶民でも少し贅沢すれば買えるくらいのソファに、木製の触り心地が滑らかなテーブル。
リビングとくっつく形で、キッチンがあった。ダイニングキッチンならぬリビングキッチンだ。ダイニングとリビングの違い? 俺も昔から気になってる。ソファがあるからリビングって言ったけど……他に違いってあるのか?
まあ、それは置いといてだ。
ここは特に何も罠はないように見える。もう、あれらは精神的な罠だ。ここに住む主従がどんなことをすると思ってるんだ学院側は。
リビングには、左右に一つずつ扉があり、見てみると中は両方同じ作りの寝室だった。まあ、流石に一つの大きなベッドとかじゃないよな。馬車の中で散々王様に言われて身構えていたけど、普通で安心。
左側、つまり外に面している部屋が俺、右側の部屋がエミリアとなった。
どちらが襲撃に備えられるか考えたが、特別生徒寮内はセキュリティもそうだが、暮らしている人自体が警備員以上の力を持つ。外に面しているよりは安全と判断した。
「どうした、エミリア?」
俺が自分の部屋の内装を確認して戻ると、同じく自分の部屋を確認していたエミリアがキッチンで立ち竦んでいた。
その真っ赤になった顔を見れば分かる。
…………トラップ。
「あ、シン……」
こちらを気付いたエミリアだったが、俺の顔を見るなり顔をさらに赤くさせて目を逸らす。
おい、まじか……。そこまでのものがあったのかよ……。
ここまでエミリアが反応を表すとなると、それはかなり分かりやすいものだ。実際、トイレの罠についてはエミリアは何も分かっていなさそうだった。
浴室で赤面したのは、単純に裸を見られることに対してで、奉仕云々は関係ない。
……流石に、子供の作り方くらいは知っていると思うが……エミリアの事だ。キスだと思っている可能性もある。
そういった教育が始まる前に、恐らく俺との婚約が決まったんだろうな。
エミリアに知識がなくても、それが露見する状況……つまり交わる時まで行けば、俺が勝手に責任を取ると判断されたんだろう。
ぐうの音も出ない程完璧に言い当てられているのが一番辛い。
見たくないなぁ……。でも、エミリアに変に意識されても困るんだよなぁ……。エミリアのためにも、他の使い道を教えてあげるべきかね。それが嘘になろうとも。
「どうした、エミリア?」
「シン……これ、なんだけど……」
キッチンにいるエミリアの所まで行って尋ねると、少し恥ずかしげにエミリアが差し出してきたのは、白い布と一枚の紙だった。
布は、広げて見てみるとエプロンだった。なんの変哲もない、極々普通のエプロン。一つだけ言うとすれば、新婚ホヤホヤの新妻が着るような、可愛らしいフリルが控えめについたエプロンだ。控えめなのが、エミリアに似合いそうだ。
……これは、別に何もおかしくはないな。
エプロンはエミリアに渡し、もう一つの方。恐らく元凶である紙を手に取る。
中を見ると、どうやら説明書きのようだった。
……エプロンに説明書き? あ、もしかしてこのエプロンはなんかの魔法が付与されているのか? 器用さを上昇させる付与魔法とか。
読んでみると、こう書いてあった。
──裸身の上にこれを直接着ることによって、異性を誘惑することが出来ます。ただし、これは女性専用装備で、また、相手によっては逆効果です。幼い頃からの知り合いであれば、性格に難がなければ大丈夫でしょう。
「何用意してんだ、おい!!!」
力一杯紙を床に叩きつける。
え、裸エプロン? そりゃエミリアもああなるよ!
思いっ切り裸身って書いてるしね! 興奮とかじゃなくて単純な恥ずかしさかあの表情は!
……なんだ、この寮。わかっていたけど普通じゃない。
ジーク先生があんなに疲れていたのも、王様の同類だと思われる学院長のせいじゃないか?
……ジーク先生とは仲良くなれる気がする。今度飲みに誘おう。この世界では十五からお酒が飲めるし、二人でお偉いさんへの愚痴をぶちまけたい。
「……シン…………」
王女とその幼馴染の男の護衛。その二人が一緒の部屋になるという通知は、学院にも行っていたと思う。
だが、婚約のことまで伝えられているということは政治的にあり得ない。
つまり、学院側は俺たちの婚約を知らない。にも関わらず、一国の王女に幼馴染の護衛を誘惑しろと言って来たのだ。
一体何を考えているんだ。学院長は。いや、何も考えてないんだろうな。
「その……シンも、こういうのされた方が嬉しい……?」
モジモジと赤い顔で恥じらいながらも、上目遣いで聞くエミリアに、
「〜〜〜〜っ!」
色々とノックアウトされた俺は、その場にしゃがみ込むことしか出来なかった。
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