二十九話:
午後五時〜七時に投稿してます
酔っているとは言え、俺たちは戦士だ。一瞬で起立し、頭を下げる。
主人の愚痴を話しているときに、主人本人がそれを聞いていたのだ。俺とエストロ先輩の頰を冷や汗が伝う。
「…………」
「…………」
お通夜のような空気。主人二人の言葉を猛烈な不安と共に待っていると、溜息と笑い声が重なった。
見ると、アイリス会長が口元に手を当てて笑っていた。
笑い声がアイリス会長だとすれば……
「全く気にしていないから大丈夫だよ、シン。私だって、シンに言いたいこといっぱいあるもん」
俺の腕を胸に抱え込みんだエミリアが、照れ臭そうに「えへへ」と笑う。
シャツに短パン、その上から丈の長い上着を羽織っているラフな格好だ。三階には誰もいないし、四階もこの部屋の方は誰もいないが……少し無防備すぎる。
あと近い。胸、胸当たってる。しかも薄着だから感触がっ……!
「エストロ、シン・ゼロワン。あなた方の気持ちを知ることができて、私たちは嬉しいのですよ」
「ア、アイリス様…………」
「「…………」」
人差し指でエストロ先輩の頰を突っつくアイリス会長と、困り顔ながらも安心したようなエストロ先輩。
なんか……会長と先輩だと、すっごく絵になるな……。
今は軍服こそ着ていないが、男性用制服を着るエストロ先輩は、やはり男装の麗人といった凛々しさがあるし、加えて普段から落ち着いた会長の、珍しいだろう子供っぽい仕草。
普段凛としていてカッコイイ二人が、こういう風にじゃれ合うのは……なんか新鮮だ。
「…………」
「…………」
俺は、エミリアと目を合わせる。
その瞳が、「私たち何見せられてるんだろう……」という困惑と恥ずかしさを、雄弁に物語っていた。
百合百合しい光景を目の前にした時、俺たち恋人はどうすればいいんですかね……?
「あの……シン」
「ど、どうした?」
「会長と先輩の二人って、お似合いの恋人同士だって女の子の間で有名なの」
「え、ごめん待って理解が追いつかない」
「それでね、二人の真似をしたら、私たちもそう見えるって事になるよね?」
「ん? ま、まぁ、確かに……」
「だ、だからね……! その、やっぱり誤解されないためにも、私たちはやっておくべきだと思うの! うん!」
「やるって……あれを!?」
決意したように頷くエミリアに、俺は混乱する。
先輩方に視線を戻すと、ソファの上で横になったエストロ先輩を、アイリス会長が膝枕して何やら呪文を唱えている。
…………いや、本当に何やってんだあの人ら。
「…………ほ、ほら、やっぱり必要そうでしょ!」
「二人が予想外のことをしてたから今一瞬考えただろ!」
「ひぅ!? か、考えてない考えてない!」
「ほぅ……なら、今すぐにあれをやってくれるんだな?」
「へ? も、ももももちろんだよ! うん、さぁ早く寝て!」
「へ? えっ……ま、まじなのか? その……言ってる意味分かってる?」
「わ、分かってる……よ?」
「…………」
「…………」
「…………何をやっているんだ、君たちは」
俺たちが騒々しかったのか、エストロ先輩が身体を起こした。
突然横から声をかけられ、視線による熾烈な戦いを繰り広げていた俺たちは慌てて背筋を伸ばす。
「まぁまぁ、初々しくて良いじゃないですか」
「いや、初々しいとはまた違う気も……」
「あ、あの、お二人は先程から何を?」
「ん? ああこれか。これは、酔いを覚まさせてもらってるんだ」
「酔いを覚ます?」
「はい。わたくし、こう見えても治癒にも興味がありまして。酔いを覚ます魔法の練習をしているのです」
「…………」
こう見えてもってのは、冗談、なのか?
見た目は火力というよりも支援系な人で、たとえヒーラだと言われても驚かないと思う。
いや、だが、校舎や魔法陣を破壊したという過去もあるわけだし……。
「…………それはともかくだ。シン、お前も酔いがあるだろう。すぐ近くに自分の主人がいて、気付かない護衛はいないからな」
「え……?」
「だから酔っているのだろう? 呂律や知性がそのままなのは素晴らしいが、探知力が下がっていては仕事はこなせんだろう」
いや、エミリアが俺の背後に接近することは、俺たちにとって割と日常茶飯事なんですが……。
そして、突然「わっ!」と言って驚かしてくる。
何がしたいのかは分からないが、とても可愛いので怒れない。
「はい、こちらが魔法陣です」
「……意外に、簡単な魔法ですね」
確かに、魔法陣は単純だ。
エミリアなら、すぐに無詠唱で習得できるだろう。
ちなみに、魔法陣から詠唱する呪文を理解する技術は、魔術師にとっても結構高度な技だ。
呪文よりも魔力の動きで魔法や魔術を構築する、エミリアや俺のような無詠唱術者には関係ないが、普通の術者なら解読するのに時間がかかる。
それを、アイリス会長はできる事が当然のように渡してきた。やはり、侮れない人だ。
「シン、やってみる?」
「え? あ、ああ……一応やって欲しい」
状態異常耐性はあるが、それがアルコールに効いているかは分からないもんな。
睡眠薬が効く以上、アルコールが効かない保証などどこにもない。
さっきもそうだ、エミリアに気付かなかったのは当然としても、アイリス会長に気付かなかったのは、酔って知覚が鈍くなっているからかも知れない。
俺は素直に横になり、頭をエミリアの太腿に乗せた。
「な、なんか恥ずかしいね」
「た、確かにな……ちゃんとするのは初めてじゃないか?」
今まで、演技だとかで似たようなことをしたことはあったが、あくまで演技。自然体で膝枕をしたことは、多分一度もない。
エミリアの脚による枕は、俺がこれまで感じた中で一番のものだった。師匠やレイ先輩の膝枕よりも、エミリアのそれは上だった。
なんていうか……緊張しない。超絶美少女の膝枕だというのに、心は平常を保っていられた。
理由は分かる。エミリアの膝枕は、とても安心するのだ。帰ってきたような、戻るべき場所に戻ってきたような、そんな気がする。
「私は……シンにするの、初めてじゃないけどね……」
「どういうことだ?」
「ふふ、内緒」
「?」
人差し指を口に当て、もう片方の手で俺の頭を撫でるエミリア。自分の目が細まるのを感じた。
エミリアも、演技の時とは違って緊張していないように見える。
多分、俺と同じだろうと思って理由を聞くと、エミリアは少しだけ恥ずかしそうに、
「安心するから、かな?」
「安心……」
「うん。………… 私は、シンといると、シンといるだけで……すぅっっごく安心するの」
「…………」
真正面から言われてあまりに照れ臭く、顔の向きを変えると、エストロ先輩たちと目が合った。
二人のニヤニヤ笑いに逃れるようにして再び顔の向きを変えれば、もちろんエミリアと顔を合わせる事になる。
「シン……ダメ……私、今多分すごい顔してるから……」
耳まで、いや首まで真っ赤にしたエミリアが、俺の肩に手を当てて、自分の胴体の方へと俺を転がした。
極限まで恥ずかしがっているエミリアに見惚れてしまっていたのか、俺は特に抵抗もできず、ゴロンと体勢を変える。
「……エミリア様は、何をしているかに気が付いていないんでしょうか」
「…………ふふ、あとで思い出して身悶えするのだと思いますわ」
背中側で先輩二人が何かを言っていたが、俺はそれどころじゃなかった。
目の前に、エミリアの胴体がある。
自分の鼻腔をエミリアの甘い良い匂いによって満たされてしまい、俺は今これが酔いを覚ますためなのか酔わせるためなのか分からなくなる。
生足の感触が頰と耳に伝わり、ジンジンと熱くなったような錯覚を覚え、これはいけないと思い始めた。
なのに、さっきまでエミリアに対して安心しきっていたせいで、無条件にエミリアの全てを受け入れていたせいで、注意することもできない。
何より、瞼が重たく感じる。気を抜けば今にも眠ってしまいそうだ。そのくらい、俺はエミリアに心を許していた。
「シン……私、変かな? シンのことを考えると、すごく苦しいの。キューッって胸が締め付けられて、息ができないの」
「エミリア…………」
その瞬間、確信した。
薄れ行く意識の中、俺はエミリアの気持ちに気付いた。
……いや、本当は前から気が付いていた。だが、俺はエミリアを幸せにできない。だから………………。
深い海の底に沈む感覚の中、その気付きに手を伸ばす。決して離さないと、胸に抱こうと、そのために俺は必死に手を伸ばす。
そして…………
「……おやすみ、シン。それと……………………」
────ごめんね。
感想評価お願いします。
この話は、あえてタイトルを付けませんでした。




