番外編:俺と師匠とバレンタイン
九年前の話。
当時シンは六歳、師匠は十八歳です。
それは、師匠と死に別れるほんの数ヶ月前。
俺が、まだ六歳だった頃の話だ──
♦︎♦︎♦︎
ああ、いや、その前に確認することがあったのを忘れていた、すまんな。
んで、その確認することなんだが……
偉大なる魔導師、世界に祝福され、というか最早存在が世界を創る神というか、つまりMEGAMIという存在だが、そんな人を知っているだろうか。
まあ、知っていないなんてことは、万に一つどころか、億や兆を超えて無限大数に一つもありえない訳だが一応聞こう。
……知っているよな?
……え、知らない?
いやいや、あのレイ・ゼロだぜ?
離せば長くなるが、俺もあの人に……おいなんだその顔は。
誰のことだか思い出した?
…………その辟易した顔は気になるが、そんなに言うなら説明は省くぞ?
んで、なんの話だったか……ああそうだ、俺の朝が早い理由だったな。
それは、俺がレイ・ゼロ唯一の弟子であり、毎日毎日、可愛い師匠の世話を焼いているからだ。
──だが、その日は違ったんだ──
あ、ここから本当に始まります。
♦︎♦︎♦︎
「シン、起きてください」
「はい先生!」
まだまだ眠かった。
とてもとても眠かった。
だが、師匠の声ははっきりと曇りなく聞こえた。さすが俺の耳、師匠の声に対する反応が異常。俺でも軽く引くぞ。
眠気を一瞬で吹き飛ばし、パッと目を開いた俺の視界に、俺の顔を覗き込む師匠が映った。
どうしよう、日光よりも師匠の顔が俺の目を焼いていくんだけど……、さすが師匠だ……発する輝きが常人とはまるで違う。
これでまだ十八歳なのだから、世界は本当に分からない。分からないことだらけだな、レッツ探求! ……何言ってんだ?
「おはようございます、シン」
「おはようございます、先生」
俺が上半身を起こすと、師匠が優しく微笑みながら挨拶をしてくださってやばいとうとしごめんねみんな。
「いやいや、ここで死んでたまるか!」
「…………はい?」
「あ、いえ気にしないでください」
俺が一人突っ込みを入れていると、師匠が目を丸くして首を傾げた。
ポカンとしているが、驚いていないあたり、師匠がどれだけ俺の奇行に慣れているかが分かるってもんだな。
師匠は俺のことを理解し、俺も師匠に関しては一家言ある。
成る程、つまり俺たちは既に夫婦と言っても過言ではないな。いやもう、苦楽を共にした立派な夫婦だ。
「子供は何人にしましょうか……」
「朝っぱらからその子供が何を言っているんですか? 朝御飯を用意したので、食べましょう。……ですが本当に、どこでそんなのを知ったのでしょう……」
ブツブツ言いながら、師匠が部屋を出ていく。
日本です、なんて言えるはずもない。
俺は笑って誤魔化すことしかできなかった。
♦︎♦︎♦︎
「帰ってくるな、ですか?」
朝だというのに、ワイルドな師匠らしい料理が並ぶ食事を終え、机を間に挟んで休憩していた時。
師匠が、今日はあまり小屋に居ないで欲しいと言ってきた。
「あの……勿論、遅くなったら帰ってこないと駄目ですが……今日の昼間はシンには少し見られたくないなぁ、と思いまして……」
目を泳がせながら師匠が言った。
両手の指先と指先を合わせていて、可愛いすぎるぞなんだこの生き物答えは女神です(自問自答)。
「見られたくないこと……? ……まさか!」
「ッ!? ち、ちちち違いますよ、そんな私達は師弟関係でそんな感情など一ミリたりとも──」
「先生、俺のどこが気に食わないんですか!」
「感じていないとは言い難くもなくもないですが有り得……なんですか?」
「ですから、俺を遠ざけて小屋に男の人を連れ込むのでは?」
「違います! 私にそんな人がいたことなんてないですし、そもそも私に興味を持ってくれる男の人は大体…………どうしてでしょう、泣きたくなってきました」
どこからどう見ても幼女にしか見えない師匠のことだ、ロリにコンな人達以外からは見向きもされなかったのだろう。
全く……見る目がない奴らだ。
「どうして師匠の良さが分からないのか……本当に謎だな……」
俺は別にロリコンではないが、師匠のことは贔屓なしに可愛いと思っている。
俺が大人の姿で転移していたら……今頃師匠にプロポーズして結婚しているのになぁ……。
なんで俺は五歳児なんだ、教えろ師匠じゃない方の神様よ。
「…………」
何故か師匠は、キョトンとしていた。
♦︎♦︎♦︎
「はぁぁぁぁ〜〜〜〜」
窓からシンがどこかへ行ったことを確認した私は、その場でズルズルと座り込みます。
とても、とても緊張しました……。
ですが、シンは少し悩んだ後、「よし、鉱山でも見つけてこよう」と言って走り出していたので、しばらくは大丈夫な筈です。
鉱山……この辺りにはないですが、あの子なら本当に見つけてしまいそうですね。
いや、というかあの子は将来何になるつもりなんでしょうか……。
尋ねても、わ、私の旦那様とか言ってはぐらかしてきますし……。
「あぅぅぅぅ……」
想像して、魔法で体温を下げることによって隠していた顔の色が、再び出てきてしまいました。
師匠たる者、弟子の前では見栄を貼りたいのです。弟子の言葉にドキドキしてしまうなど……絶対に隠さなければ……!
「でも……あれはヤバイです。ヤバイですよぉ……」
ゆっくりと立ち上がりながら、さっきのシンの言葉を思い出します。
『どうして師匠の良さが分からないのか……本当に謎だな……』ですか……。
いつもは私のことを先生と呼ぶシンが、その時は師匠と言っていました。
それはつまり、嘘偽りのない、いつもの冗談に聞こえる言葉とは違って、それがシンの本心だという可能性が高く……〜〜!
「駄目です駄目です! 私はシンの保護者、私はシンの保護者……」
下心のない純粋な好意を向けられるなんて、それこそ家族からくらいしかありません。
でも、シンのは家族のものとは少し違った感情。
ああぁぁぁぁ、私はどうしたら良いんですかぁ!
シンを異性として見れるかといえば、流石に無理がありますが。
ですが……シンは人族。これからどんどん大きくなって、数年後には……。
「……もし、シンが私よりも大きくなって……それでも気持ちが変わらないのなら……私は……」
頭に浮かんだ未来予想を振り払うことで心の平穏を保ち、私は台所に向かいます。
「これは、ただの義理ですから……」
そう自分でもよく分からない言い訳をしながら、〈ストレージ〉の中から王都で買ってきたチョコレートという物を取り出しました。
作り方は、王都で軍人をやっている知り合いに聞いたので分かります。
それだけでなく、手順のメモまで書いてくれました。やはり持つべきものは友ですね。
「シン……喜んで、くれますかね……?」
えっと……まずはお店で買ってきたチョコを湯煎……待ってください湯煎?
「なんですか湯煎って……」
最初から知らない単語が出てきて戦々恐々としながらも、手本として見せてくれた時の記憶を頼りに作り進め……
「で、できました!」
歓喜の声が夕焼けの森にこだまし、私が掲げるチョコは夕陽に当たって奇妙な色に光っています。
少々不格好ですが、私のお腹の中に入ることとなった緑色のチョコとかに比べれば、随分とチョコらしいチョコです。
少なくとも、スライムのように掴みどころのないチョコではありませんし、爆発もしませんでした。
「あとはこれを包んで……よし、完璧です」
初めて作ったにしては、中々良い出来ではないでしょうか。
去年のバレンタインはただ市販の物で終わらせていましたが、今年は私も本気を出しました。
あとは……本当にあとは……これを渡せるかどうかですね……。
「ただいま帰りましたー」
「!! お、お帰りなさいシン! き、今日は遅かったですね! …………おや? その紙袋は?」
「あ〜……色々あったんですよ」
玄関からシンの声が聞こえてきたので、咄嗟にチョコを〈ストレージ〉にしまい、慌ててシンを出迎えます。
シンの手には小さな紙袋があり、服もそこまで汚れていませんでした。
「山を降りて王都に行ってたんですか?」
「はい、よくよく考えてみたらこの辺に鉱山はなかったので」
「気を付けてくださいよ……? また崖から落ちたらどうするんですか」
「その時はまた先生に助けてもらうんで大丈夫でーす」
悪びれずに笑うシン。
こういうところは、本当に子供っぽい。六歳なのが信じられないほど大人びたシンが見せる、唯一の幼さです。
私も、シンにこうされては強く出れません。私だってまだ十八歳。エルフ系統の種族で言えば、まだまだ幼い歳頃です。
冗談を言い合える友達だって欲しいですし、そういった意味で、シンは私にとって大切な人なのかも知れませんね?
「ふふっ……。まあ、良いです。シンが死にそうな時は、またお姉ちゃんが助けてあげますから」
「お、お姉ちゃん……だと……!」
「おー、よしよしー、シンくんは偉いですねー」
「お姉ちゃん……僕、さっき王都で怖い人に会ったんだ……。金髪の龍族で、可愛いって言ったら怒ったんだ……」
「ナンパしたのが悪い気もしますが……それは可哀想ですね……。分かりました、お姉ちゃんが一緒に寝てあげます」
「……え?」
「……ん?」
お互いの顔を見ながら固まる私達。
二人とも笑顔なのに、今さっき、何かとんでもないことを言ってしまった気がしました。
いいえ、言っていました。
「あの……本気で言ったますか先生?」
シンも珍しく動揺しているのか、言葉が少しだけ変です。
「え、あ……その……」
勿論、ノリで言っただけであり、深く考えて発言したわけではありません。
「…………」
私がどうしようか考えていると、ハッと気が付いたように、シンが紙袋から何かを取り出しました。
「え〜っと……どうぞ先生、紫苑っていう子に手伝ってもらって、今日街で探してきました」
「??」
何が何だか分からず、渡された小さな箱を丁寧に開けると……
「これって……」
「はい、チョコレートです。作り方が分からないので売ってある物ですが……」
「あ、あのちなみにこれって……?」
「チョコですよ? ほら、今日はバレンタインじゃないですか。英雄バレンタインが、町娘に貰ったチョコのおかげで邪龍に勝った逸話からくる」
シンが小さく「地球の文化と似てるけど、なんか理由があるのか……?」と言っていましたが、私はそれどころではありません。
ちなみに、その逸話はチョコを食べた龍が毒で倒れるのですが、そこに恐ろしいものを感じるのは私だけでしょうか……?
い、いやしかし、このチョコはきっと義……
「ちなみに本命です」
「ふぇ!?」
「あ、ああいや冗談ですよ。男から渡すのは、確か感謝の意味でしたよね? ……いや、本命ではあるけど……」
「そうですよね……冗談ですよね……ちょっと待ってください、今最後になんて言いました?」
「やったー、お姉ちゃんと一緒に寝れるーって言いました」
「あからさまな嘘!? ……ですが、ありがとうございます、大切にしますね」
「いや、食べて欲しいのですが……」
安心したような、しかしどこか微妙な表情を浮かべるシン。
男の子から初めてもらったチョコです。珍しくて、私がチョコをジィーっと眺めていると、シンが微笑みました。
それは六歳が浮かべられる表情ではなく、私と同い年、そんな年齢の人が出せる笑顔で……
私は、シンについて何も知らないのだと、唐突に理解しました。
何も知らないのに、師匠になり、姉を気取って保護者面。やはり、私はシンが何故あんな所で人攫いに捕まっていたのかを、しっかり知る必要があるのかも知れません。
そして、シンのご両親のことも……。
「さあ、夜ご飯を作りましょう!」
「夜ご飯……ん? だ、台所!」
ですが、そんなこともすぐに忘れて、私は調理場を死守するのでした。
♦︎♦︎♦︎
「スーハー、スーハー、スーハー」
シンの部屋の前で深呼吸。
手には、一日かけて作ったチョコレートを持っています。
こんな時間まで渡せなかったのは、タイミングを見ていたからです。
……そして、これが一番の理由ですが、私がヘタレだからです。
〈ストレージ〉に入れた食べ物は腐らないとは言え……
あと二時間もしないうちにバレンタインは終わってしまうのです!
さ、流石にここで勇気を出さないと……! 想いを込めたチョコはただの手作りチョコに……!
それでもシンは喜んでくれそうですが、それでは私の気が済みません。
さあ、いざ渡しに……!
「ですが、その前に一回デモンストレーションを……」
「どうしたんですか先生?」
「ピャァぁぁぁぁ!?」
急に後ろから話しかけられて、思わず飛び上がってしまいました。
慌てて後ろを振り向くと……
「し、シン!? な、なんであなたがここに……」
「えっと……寝る前にトイレに行こうと思っていたんです」
「は、はあ………成る程…………成る程」
「何故二回言う……」
つまり、私は誰もいない部屋の前であれほど緊張を……なんて恥ずかしいことを……!
「あれ? 先生、何持ってるんですか?」
「へ? へ!? あ、こ、これはその……えっと、その……」
「まず、落ち着いてください先生。……あ、良ければ部屋で話しましょうか?」
「そ、そうしてください……」
やはり、六歳の子とは思えません。
シンにリードされ、私はシンの部屋に入りました。
……朝も入った筈なのに、何故かその時よりも緊張しますね。
心臓が激しく鳴り、身体が強張るのを感じます。
「それで、どうしました?」
部屋に一つだけある椅子を私に譲り、ベッドに座ったシンはそう尋ねました。
下心など一切ない、純粋な瞳……。
未だに運命の出会いを信じている私とは大違いですね……。
「あの……シンに、渡したいものがありまして……」
「渡したい物……?」
本当に分からないようで、首を傾げるシン。
ああ、なんでこんなに鈍いんですか、この子は。
これじゃあ、将来この子に恋をした人は大変でしょうね。
無自覚にドキドキさせる台詞を言ってきて、本人はこちらの好意に全く気付いて……い、いや私のは家族愛ですけどね!?
「その……つまらない物……ではないですが、粗品? でもないですし……えっと、その……」
「…………」
シンは、黙って私が言い終えるのを待ってくれました。
「落ち着いて」でも、「ゆっくりで良い」でもなく、ただ無言で待っていてくれました。だからこそ、私も深呼吸して気持ちを落ち着けることができたのです。
「ハッピーバレンタインです、シン」
♦︎♦︎♦︎
ところで、これは本編……いや番外編の番外編的立場……まあつまりは余談なのですが……
「シーンー……ね〜え〜……シーンー……」
「先生? どうかしました?」
「えへへ……ん〜よんだだけでーす……ぎゅー」
「ちょ、ちょっと先生!? 急に何を……ってこのチョコ酒入ってる!? まさか自分で作ったチョコで酔ったのか!?」
「もぉぉ……ダメですよー? そんなに……ドキドキさせちゃぁ……」
「先生……もしかしてお酒飲み慣れてないんですか?」
「んー? 私は大人ですよー? おねえちゃんだから飲んでまーす」
「いや、酔っ払いながら言われても……」
「むー、そんなこと言う子はこうだぞー」
「のわっ!? ちょ、押し倒さないでください! 色々と感触が!」
「ふふふ〜〜! ちゃーんと、私が歳上だと教えてあげなきゃダメですねぇー」
「くそっ、体格差で抵抗できない! 先生! せんせーい!」
「シンは小さいですねぇー……いい子いい子〜」
「こ、子供扱いしないでくださいって!」
「……スー……スー……スー……むにゃむにゃ」
「って寝てるし!? しかも抱き付かれたままだから抜け出せない!?」
何てことがあったような気もするのですが……まあ、多分気のせいですよね!
どこかで見たことのある人が二人いましたが、分かりましたか?