十五話:王女、背水の陣を敷く
「すー、はー……、すー、はー……」
エミリアは深呼吸をした。
場所はシンの部屋の前。
今エミリアは、シンに会いに来ているのだ。
「計画したら即実行なんて……。うぅ、でも頑張らなきゃ」
慣れる、そんなシンプルな方針が固まった所で今日は眠ることにし、明日実行に移すと思っていたのだが……レイの意見は違った。
『時間をかければかけるほど決意は鈍りますよ? それに一度逃げれば逃げ癖がつきます。大丈夫ですよ、なんとかなりますから』
そう言ってサムズアップしたレイの自信満々な顔を思い出し、エミリアは気合を入れ直した。
「よしっ……」
意を決し、エミリアはドアノブに手をかけた。
「えっ?」
その瞬間、エミリアの意思に反してドアノブが回り、扉が開いた。
「…………ん?」
「さ、咲耶……? こ、こんな時間にどうしてシンの部屋に……?」
「それはボクの台詞なんだけど……まぁ良いか。ちょっと彼と話すことがあってね。…………頑張れ」
「ッッッッ!!」
ポンポンと二回エミリアの肩を叩くと、咲耶はすれ違い様にエミリアの耳元で短く囁いた。
「いやっ、そのっ、違うのっ! あのっ、えっとぉ……」
「あははっ。その顔を見れば丸分かりだよ。それじゃあおやすみ〜」
「も、もぉぉ〜!」
図星を突かれて、咄嗟に言い訳しようとするも上手い言い訳が出てこない。
咲耶はそんな慌てるエミリアの声を聞いて楽しそうに笑い、自分の部屋へと帰ってしまった。
「……顔、そんなに出てたかなぁ……?」
「エミリア? どうしたんだこんな時間に」
「ヒャゥッ!」
自分の顔を触って確かめようとしたその瞬間、後ろからシンに話しかけられて、驚きのあまり変な声が出てしまうエミリア。
まさか今のやり取りを聞かれていたのか、それなら誤魔化さなければ。自分の顔のことも忘れて、エミリアは振り向いた。
「シ、シンッ! えと、あのねっ……。い、今のは違うの! 抱き着きに来たとかじゃなくて、えっと……ただシンに会いたかったの!」
パニックになるあまり、誤魔化しているつもりが全て言ってしまっている上、さらにもう半ば告白してしまっていることに気が付かないエミリア。
さらにその顔は、咲耶に指摘された通りどこからどう見ても恋する乙女の顔で……。
「っ…………。と、取り敢えず冷えるから中入れ……」
シンの顔が赤くなるのも、当然のことだった。
♦︎♦︎♦︎
「……落ち着いたか?」
「うん……ありがとう」
程よく暖かい水を飲んで、ひとまずの落ち着きを取り戻したエミリア。
しかし、まだその顔は仄かに赤い。
「…………」
「…………」
ジッと見つめ合う二人。
恥ずかしくなって、二人は同時に目を逸らした。
「それで? どうしてここに来たんだ?」
「それはね……」
自分がここに来た理由を話そうとしたその時、エミリアはあることに気が付いた。
(ど、どうやって説明しよう……!)
全てを話すことなど恥ずかしくて出来ないし、そもそも抱き着きに来ましたと正直に話せるわけがない。
「…………言いにくいなら、言わなくても良いぞ」
さっきエミリアが取り乱した時に、シンもなんとなく察していた。
何がどうなってエミリアがそうしようと思ったのかは不明だが、少なくともエミリアがここに来た目的は分かっている。
「うん……ちょっと、待ってて」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……あー、エミリアに見せて欲しいものがあるんだけど、良いか?」
恥ずかしそうに少しだけ俯きながらも、チラチラと上目遣いでシンのことを盗み見るエミリア。
そんな気恥ずかしい空気に耐え切れず、シンは別の話題を切り出した。
「え? うん……良い、よ……? でも何を見せるの?」
「時を止めるのを、少し見せてくれないか……?」
「時を止める……? うん、分かった。どの時を止めれば良いの?」
「じゃあ……今から俺が水球を出すからそれを止めてくれ」
そう言ってシンは、プカプカと浮かぶ握り拳くらいの大きさの水球を作り出した。
わざとそうしているのか、水球の表面が波打っている。
「これを止めれば良いのね? んっ……!」
それにエミリアが手を翳した瞬間、不思議なことが起こった。
ピタリと、水球の動きが止まったのだ。
「っ……やっぱ操作を受け付けないな……。それで触れる……」
「本当だ。石を触ってるみたい……」
「動かすこともできるな。手を離したら…………」
「落ちたね」
「ああ。エミリアが言った通り石みたいだな。石化に近いのかも知れない」
拾い上げて、水球をジッと眺めるシン。とても集中していて、真剣だ。
そんなシンに対してエミリアは、キリッとしたシンの表情にドキドキしていた。格好良いなぁ、と見惚れてしまっていた。
「うん、もう解いて大丈夫だぞ。…………エミリア?」
「えっ!? え、あ……わ、分かったすぐに解く!」
「…………?」
水球が元に戻り、ただの水になった。そして自然の摂理に従って落下し机を濡らす……直前に消えた。
「制御権は消えてない、か……。一時的に今の状態を変える全ての力を無効化するって感じか。言い表すとしたら今の時を保存する力、ってところか……」
「この力、やっぱり危ない力なのかな……?」
「人……っていうか生き物に使ったことはあるのか?」
「ううん、ない。でも、なんとなく大丈夫なきがするの」
「なんとなく?」
「根拠はないんだけど、何故か大丈夫って確信してるの。なんでだろうね」
「成る程…………」
興味深そうに呟くと、シンはメモ用紙に何かを書いて〈ストレージ〉にしまった。
「ねぇ、もしかしてこの力って戦いで使えるかな?」
「んー、どうだろうな。弾幕を張られたら一つ一つに対処してる時間はないし……射程とかはあるのか?」
「手を伸ばしたら触れるくらいの距離、かな……。相手に使いたくても、接近しなきゃ無理かも」
「じゃあ普段から使うのは厳しいかもな……、でも敵の大技を一瞬で無効化できるってのは滅茶苦茶強いぞ。切り札として使えるようにするのも良いかもな」
話を変える。それが功を奏したのか、二人の間の緊張感は大分和らいでいた。
エミリアの能力の話という、あまりシンのことを意識しなくて良い話だったからかも知れない。
いや、それだけじゃなくて……
「そっか……」
「エミリア?」
エミリアはその時気が付いた、慣れる、その作戦が持つ大きな意味を……。
今こうしてエミリアはシンの部屋に訪れており、エミリアの部屋ではレイとメアが結果の報告を待っている。
今ここでエミリアがシンの部屋を訪れた適当な理由をでっち上げて帰ったとして、二人はどう思うだろうか。
レイは研究で、メアは武器の製作で忙しい身だ。さらにメアは、本人こそ気が付いていないものの少なからずシンに特別な感情を抱いている。
そんな二人に協力してもらっておきながらなんの成果も出せないのは、あまりに失礼ではないか。
そう、今エミリアには退路がないのだ。
逃げる選択肢が消えたことで、今エミリアは前に進むことしかできなくなっている。
「シン、お願いがあります」
みんなのためにも、自分が頑張らなくては……! その気持ちがエミリアに勇気を与えていた。
だから……
「これから毎日、ギュッてさせてください!」
「えっ……………………?」
さらに退路を絶つ!
シン本人に向かって宣言するのだ。そうすることでもう、エミリアは逃げることができない!
「「「「えぇぇぇぇぇぇぇ!!!???」」」」
驚きの声がシンの部屋に響いた。
声の主はシンと……
「み、みんな……な、なんでここに……?」
扉が開きなだれ込むように入室した、咲耶、レイ、メアの三人。
三人に全てを聞かれていたことを知り、顔を真っ赤にしたエミリアの目の端には恥ずかしさのあまり小さな涙粒が浮かんでいた。




