四十八話:時を越えて
「──それで、こうしてお前と話しているってわけだ」
あれから俺たちは、咲耶の希望もあってまずは俺がこれまでどうやって生きてきたかについて話していた。
師匠と会ったところから始まり、図書館に来るきっかけまで……、できるだけ要点を絞って話したが、それでも約十年の時間を一度に話すのには時間がかかった。
まぁ、時間がかかった原因の一つは、咲耶のせいなんだけどな。変なところを細かく聞きたがったり、茶々を入れたり。
「……すまない」
だがそんな咲耶は、俺が話終えると頭を下げてきた。
突然謝られても、心当たりなんてなくて困惑する。……いや、正体を明かしてくれなかったのはちょっと頭にきてるが。
「どうした? 突然謝って」
「君がそんなことになったのは、半分くらいボクのせいだ」
「えっと……よく分からんが、別に俺はこの生活が嫌なわけじゃないぞ? 目標だってあるし、必要とされるところがあって、みんなの役に立てる。……それに何より、みんなといる時間は楽しいからな」
「……君は、そうだろうね」
咲耶がベッドのシーツを握り締める。
俯いていて表情は見えなかったが、声はどこか自嘲しているように聞こえた。
「全ては、ボクのせいだ」
どういう意味だ?
当然のようにそんな疑問が湧き起こるが、俺がそれを聞く前に、
「話す前に、先にあることを知っていて欲しい」
そう切り出して、咲耶は話を始めた。
「昔あるところに、三人の妻を持つ神がいた。妻の一人は、今はもうほとんどいない古代エルフ族の女性。一人は、美しい銀色の毛並みを持つ獣人の女性。そしてもう一人はごく普通の人間だった」
神と人が共存していた時代の話か。
咲耶の謝罪とどんな関係があるのか分からないが、俺は茶化さず聞くことにした。
「まず最初に彼らが授かった子供は、人間の妻との間に生まれた男の子。その二年後にはエルフ族の女性が生まれ……。それから少し後に獣人の女性のお腹にも子供ができた」
「…………」
「だが、獣人の妻のお腹が大きくなってきた頃、獣人と二人の子供を残し、他の三人は死んでしまった」
「何か理由があるんだな?」
「ああ。それは彼らの持つ宝具が原因だ。神の奇跡ですらなし得ない、超常的な力を持った宝具。神々にとっては、得体の知れない爆弾。神々に反抗する者にとっては、絶対の切り札だった」
「なるほど、それが狙われたわけか……」
「ああ。幸いにして刺客は死んだものの、これからも同じことは起きるかも知れない。獣人の妻は二人の子供を自分の故郷である大森林の里に引き取ってもらい、自分は身篭ったまま宝具を持ってどこかへ消えた」
家族の形見である子供を、争いに巻き込んで失いたくなかったからか。
「それから数年間、親を失った二人の子供は、獣人の助けも借りながら協力し合って生きていた。だがその時、二人の前にとある神が現れ、二人の命を狙おうとした」
「宝具を狙ったのか?」
「ああそうだ。戦う術を持たない彼らが生き残ったのは、里の中でも最強の戦士と言われていた一人の獣人のおかげだった。だが彼はその戦いで獣化の能力を失い、彼の子孫もまた獣化の能力を失った。……そう、クロスブリードと呼ばれる獣人の種族だね」
「っ!!」
ここでクロスブリードが出てくるのか……。しかしそんな英雄の一族が、どうして今獣人の中で差別をされるんだ……?
いや、違うのか。英雄の一族であっても、獣人化の能力がなければその戦闘能力は普通の獣人に比べて格段に劣る。
獣人族は、形だけの栄光よりも実力を重視するような種族。当然と言えば当然なのか。
「とても不幸な出来事のように思えるが、その戦いが生んだのは悲劇だけではなかった。その二人の子供が強くなることを決意してね。特に兄は、それから修行に明け暮れるようになったのさ」
「だからって、そんな簡単には強くなれないだろ? 神の遺伝子を持っているから、話はまた別なのかも知れないけど……」
「そうだね。事実兄は妹と違い、神の血を引きながら神の奇跡を全く行使できなかった」
そこで一拍置いて、
「酷いものだったらしいよ。筋肉をつけるために筋肉を痛めつけるのは有名だが、骨を強くするために骨を折る、皮膚を強くするために身体中に刃物を刺す……なんてことを彼は普通にやったらしい。ちなみにその時の彼は七歳ほどだ」
「っ…………」
絶句した。
師匠の頃、師匠に厳しい死ぬかと思うような修行をつけてもらっていたが、あれはまだ優しい方だった。
俺は師匠という女神がいるから、やっと耐えられたのだ。七歳の頃に自主的にそれをやるとか、精神が崩壊してもおかしくない。
「それでも兄は、強くなれなかった。同じ歳の獣人の子相手に、一本も取れない始末だ。対して妹はメキメキ上達して行き、五歳にして既に里の戦士と並び立つほどの天才だった」
「それは……辛いな。誰より守りたい人に、守られることしかできないのは」
「ああ、本当に苦しかったらしい。そしてそんな彼をさらに追い込んだのが、一通の手紙だ。中には、手紙と銀色の髪が一房あった」
「銀色の髪……?」
「その髪が消えた彼女のものだと気が付いた兄は、手紙に記してあった湖に向かう。そこで彼は、母と同じ美しい銀色の髪を持つ義妹を見つけた」
「守るものが、増えた……」
「そういうことだ」
なるほど、これはさらに追い込まれてもおかしくない。
強くなる必要性がさらに増したのだ。妹さえ守ることのできない小さな手で、さらにもう一人を守らなきゃいけない。そのプレッシャーは、考えるだけで凄まじいものだろう。
普通なら、プレッシャーに押し潰されるか、全てを諦めて妹に任せてしまう。
「君の予想通り、彼女の持つ手紙には、自分だけではこの子を守れなくなったから兄の貴方に任せる、という旨が書いてあった」
「…………」
「兄はまず、義妹にローブを着せフードを被せることで目立つ銀色の髪を隠すことにした。そして彼女に、自分と妹以外の前では男のフリをするように伝え、自分から離れないことを言いつけた」
エルフの義妹が五歳ということは、獣人の義妹は四歳ほどだろう。顔が見えなければ、男と言っても通じるだろう。
しかし、何故そこまでする必要があった? 里の人間を信用していないということはないだろう。
「不思議そうな顔だね。……これが重要なのだが、少女は宝具と融合してしまっていたんだ。つまり、少女自身が宝具となっていた。少女が宝具だということを隠す目的もあったんだと思うよ。宝具は人を惑わすからね」
「宝具と、融合……」
それを聞いた時、その兄の気持ちが痛いほど分かるような気がした。
──また、守られる。
心配もあっただろう、嬉しさもあっただろう、希望もあっただろう。
でも、確実にこの気持ちは兄の深い所で渦巻いていたはずだ。
「……少女は素直に従い、極力人前では喋らず、常に兄の服の裾を掴んで一緒にいた。しかし、当然そんな生活は辛い。兄は義妹二人を連れて里を出て行き、山に小さな小屋を建てて三人で生活するようになった」
人里離れて暮らすこと……それは同時に、守るべき相手から守られることを意味する。
敵が来た時、もう獣人たちは守ってくれない。そして戦えるのは、義妹たちだけ。
そうなる可能性を知っていながら、兄は二人を連れて里を出た……。
「それから何年も三人はひっそりと暮らし続けたが、決してその生活は苦ではなかったそうだ。というよりむしろ、随分楽しいものだったらしいよ」
「そうなのか」
咲耶が続きを語って聞かせてくれるが、それよりも兄のことが気になって、あまり頭に入ってこない。
だが、
「兄はあの激しい肉体の鍛錬を止め、常識的な鍛錬をするようになった。そして代わりに神の奇跡を研究し始めた」
咲耶がその言葉が耳に入った時、俺の意識は再び咲耶の話に戻った。
あれだけのプレッシャーの中、決して屈することのなかった兄が、強くなることを諦めた……?
何をやっているんだ! と、俺は昔話に本気で怒鳴りたくなった。
「勿論、彼は強くなることを諦めたわけじゃないよ? ただ、違う道を見つけようとしただけだ」
「違う道……?」
「ああ。彼は、神の奇跡は扱えないのは、神の奇跡とは何かをよく知らないからだと考えたわけだ。彼は長いこと研究を続け……どうなったと思う?」
「神の奇跡が扱えるようになったのか?」
「いや、違う。結局彼は死ぬまで、神の奇跡は扱っていない」
「じゃあ、失敗したってことか……」
「それも違う。むしろ大成功だった」
「は? なんで大成功に…………ん?」
そこでふと、気が付いた。
なんで咲耶はこんな話をしている?
俺に対して謝りたいことがあるからだ。
じゃあ、俺が困っていた事はなんだ?
それは……
──エミリアが、狙われること?
数々の誘拐事件。
それを裏で糸引いていた正神教徒。
……まさか、そういうことか?
「なぁ、この図書館に来た時最初に見た夢……あれはなんだ?」
「……君たちが望む世界だ」
「それはつまり……『こうなって欲しいと望む世界』か? それとも、『知りたいと望む選ばなかった分岐点の先の世界』か?」
「…………」
咲耶が優しく微笑んだ。
「……そうか、分かった。突拍子もない話だし、正直俺はこの考えが間違っていると思う。でも、きっとそうなんだろう?」
「聞こうじゃないか」
ゆっくり俺は深呼吸して心を落ち着け、噛まないよう慎重に聞いた。
「その兄の名前は……マーリンだな?」
一つ目の予想。咲耶はすぐに答えた。
「ああ、そうだね。兄の名前はマーリン。神と人との争い、その引き金を引いた男。エルフの血を引く義妹はノート。後にマーリンに封印された大魔女だ。そして獣人の血を引く義妹は……」
獣人という記述はないが、マーリンとずっと共にいた男(と思われている人間)は一人しかいない。
「歴史ではマーリンの弟子にして親友と語られ、実際はマーリンの義妹にして後にその主人となることになる女性。ハンゲル王国初代女王。ハンゲルその人だ」
「ああ。そして……」
俺はもう一つの予想を明かした。
「エミリアの身体には、その宝具が入っているんだろう?」
今度は、咲耶は何も言わず、杯を傾け酒を舐めた。
そしてたっぷり時間をかけてから、口を開く。
「ああ……正解だ」
次話は日曜日です




