四十三話:別れ
次話は日曜日です
天から落ちた魔法により、図書館の屋根には大きな穴ができてしまっていた。
その穴から、シンが雪風を両腕に乗せて降りてきた。
「やったか!?」
盛大なフラグを打ち立てながら、風を吹かせて煙を払うシン。
「これは……分からんな。底が見えない」
「底です?」
「ああ。さっきの魔術のせいで地面に大きな穴があいていて、それがちょっと深すぎるな。まぁ、ここまでやって生きてたら、もう諦めるしかないんだけどさ」
フラグは速やかに回収されなかった。
【調停管理】がいた痕跡は、一切残っていない。というか、そこにあるはずの床も何もかも、跡形もなく消えてしまっている。
「もしかして、少しやりすぎたのです?」
シンにお姫様抱っこされたままの雪風が、シンの顔を下から見上げながら聞く。
ちなみにその身体は、当然だが元通り。
(幼女の頃と比べて)肉付きがよく、(幼女の頃と比べて)身体にメリハリがあり、(幼女の頃と比べて)(自称)グラマーな体型である。
しかし、それを持つシンは全く重いと感じていない。つまり、そういうことである。
「やりすぎかどうかで言えば、そうでもないヨ。これくらいしなきゃ、奴は倒れないからネ」
「なんだ……ベルフェに怒られるかと思った……」
「怒られたら雪風が言い返してやるのです。ふんす」
「あはは、ありがとな」
治療を一旦中断し、話しかけてきたマスターだったが、シンと雪風から一瞬意識を向けられたもののすぐに蚊帳の外になってしまった。
いや、良いのだ。血は繋がっていないが、この少女は娘同然の存在。だからこうして元気になってくれたことは嬉しい。娘の気持ちも知っているしシンのことも認めているから、どれだけ甘い空気を出そうが構わない。
「でもイチャイチャするのはできればワタシの見てない所にして欲しいカナぁ!?」
しかし! なんだろうか。この二人を見た時に感じたムズムズ感は。
見ているだけで恥ずかしくなってくるような状況なら、マスターもバーを切り盛りする上で何度も見ている。
だから慣れているはずなのに、いざ自分の娘となると……。これはまた違った感覚だ。
と、その時、
「どうやら、無事に終わったようだな……」
「ティー!」
先の戦闘でボロボロになったティーが、レイに支えられシンたちの元へ来た。
シンが雪風を地面に降ろすと、雪風はすぐにティーに駆け寄り、ティーの身体を支えるのを手伝った。
「大丈夫なのです!?」
「…………?」
ティーはキョトンとし、目をパチパチ二度瞬かせた。
何故心配されるのかが分からないという顔だ。
「そりゃティー、一緒に戦った仲間が傷付いていたら、心配するのが普通だろ?」
「仲間……私がか? 私はお前たちを殺そうと……」
「嘘をつくのは止めるのです」
「う、嘘なんかついては……」
「いいや、嘘だな」
「っ……む、むぅ……」
シンと過去の自分自身とキッパリと言われ、ティーは何も言えなかった。
この様子だと、自分の目的は既に気付かれているだろう。言い訳も誤魔化しも意味はなさそうだ。
「それで、身体は大丈夫なのです?」
「…………そうだな、身体は大丈夫だ」
「??」
なんだか含みを持たせたような言い方だった。
「……ちょっと、マスターは後ろを向いててくれないか?」
「了解。絶対に見ないから、安心してくれ」
マスターがこちらに背を向けたことを確認し、シンはティーに近付いた。
「な、何か用か……?」
レイと雪風に挟まれ支えられているティーは、両方の腕をそれぞれ二人の肩に回している。そのため、今は何も抵抗できないとても無防備な状態だ。
服は魔力を使って新しく生み出した物を着ているから良いが、無防備な状態はいけない。少し恥ずかしくて、頬が赤く染まった。
「すまんっ!」
「な、何をするっ!!」
と、次の瞬間、シンがティーの服を掴み、無理矢理引きちぎった。
側から見たら、幼い少女の服を剥ぎ取る紛うことなき変態である。
だが……
「これはっ──!」
「なるほど、そういうことですか……」
雪風が息を飲み、どういうことか理解したレイが悲しそうな溜息をつく。
ティーの身体は、消えかかっていた。これ以上存在を保っていられないほど、残りの魔力が僅かということだ。
「……なんで、分かった?」
「分かるさ。雪風は相棒なんだから」
「でも私はお前の雪風ではない! 憎悪に支配され、全てを失った……ティーに過ぎない」
「それでも分かる」
「──ッ!」
シンは、強く言い切った。
「そうか……、そういえばそういう奴だったか……」
「ティー…………」
雪風が名前を呼んだ。
「……最後に、望みがある」
「なんだ?」
「雪風と、本気で戦いたい」
「っ!!」
雪風がまた息を飲んだ。
「……分かった。魔力補給は必要か?」
「必要ない。分かっているだろう? この世界の住人じゃない私じゃ、この世界の魔力は扱えないことは」
「形式だけでも、必要ないか?」
「……頂こう」
レイと雪風の肩から手を離し、支えを失ったティーが前に倒れ込む。
前とはもちろん、シンのことだ。
シンを抱き締め、魔力補給の真似事をする。
「本当ならキスが良いが……、それは流石に申し訳ないからな。……そうだな。いつかまた会えたら、その時にお願いしよう」
「ああ、分かった」
「むぅ……」
若干不満そうな雪風。
「あはは、そう嫉妬するな雪風。シン、ありがとう。気力が湧いた」
「なっ……! し、嫉妬なんて別に雪風は……」
「そうか? もしここで私がキスをしたら、どうせ今日の夜だかにこっそり忍び込んで唇を奪うつもりだったのだろう?」
「っ……!!」
「図星だったようだな。私はお前だからな、これくらい分かる。ふむふむ……言葉は『上書きしてやるのです』でどうだ?」
「止めるのですぅぅぅぅっ!!」
「おっと」
真っ赤になってティーの口を塞ごうとする雪風を躱し、ティーは素早いステップで自分の剣が突き刺さる所まで行き、剣を引き抜いた。服は既に元に戻っている。
レイとシンが、マスターと共にその場から離れた。
「最後の力を振り絞っているからな、さっさとやろう」
「揶揄われたり真面目になったり、展開が急なのです……」
「そう言うな。これでも存在が消える間際なんだ。……言っておくが、本気でかかってこい。じゃなきゃ、死ぬぞ」
「…………」
その言葉を聞いて、雪風の目も真剣になった。
相手は、自分がなっていたかも知れない、もしもの世界の自分自身。自分が恐れていた世界から来た、自分自身なのだ。
(自分に打ち勝つのです……)
二人はゆっくりと静かに刀を構える。
戦いが始まったのは、その直後だった。
「────」
床を蹴り、目にも留まらぬ速度で雪風がティーに斬りかかる。
それをティーは刀で防ぎ、弾く。そして雪風の体勢が整う前に素早く胴体を蹴った。
雪風はゴロゴロと床を転がってしまうが、すぐに起き上がり、追撃に備えた。ティーのいた方向ではなく、自分の横に。
それが功を奏してか、壁を蹴って行われたティーの死角からの攻撃を防ぐことができた。
雪風ならきっとすぐに立ち上がるから、愚直にまっすぐ追撃しても防がれる。ならば横から……。
(そう考えると思っていたのです……!)
今の一瞬の読み合いは雪風に軍配が上がった。
防がれて驚くティーの一瞬の隙を突き、今度は雪風がティーの刀を弾いた。
しかし流石はティー。雪風の動きをよく見て、次の攻撃を危なげなく避けた。
お互いに距離を取り、仕切り直し。
「…………」
「…………」
今度は、すぐに斬り合いとはならなかった。
お互い理解していたからだ。次の一合でティーの身体は限界を迎える、と。
「行くのです!」雪風が踏み出す。
「ああ、来い!」ティーが応える。
──紫電一閃
次の瞬間、二人の丁度真ん中に、雪風とティーお互い背中合わせになるようにして立っていた。
「っ」
倒れたのは、ティーだった。
「ティー!」
倒れたティーの元に駆け寄るシンとレイ。マスターは遠くから見守るようだ。
シンは倒れるティーを仰向けにし、背中の下に手を入れ上半身を起こさせた。腹に大きな傷があり血が溢れ出ている。もう短いだろう。
「…………どうして……」
刀を鞘に納めた雪風が、小さく呟いた。
「私は負けていた」
「……?」
「目に、迷いがなかった。もう、迷わず生きていくという決意があった。お前の決意の力に、私は負けた……」
「決意の、力……」
「納得、してもらえたか……?」
「ちゃんと、納得したのです」
「そうか……」
ふっと微笑み、ティーは自分の身体を抱くシンに目を向けた。
「シン……」
「ああ……」
「くそ、駄目だな。頭が働かない。言いたいことがあるのに、うまく言葉に出来ない……」
「大丈夫だ。ありのまま、そのままで良いから」
「そう、か……。なら……」
ティーは目を閉じ、もう一度開いた。
それはまるで、何かスイッチを切り替えたような動きだった。
「……やっぱり、もう一つ、良い……?」
「っ…………ああ……」
「なら、抱き締めて。ギューって……強く」
「…………」
シンは、ティーを強く抱き締めた。
徐々に弱くなる鼓動、今まさに命の灯火が消えようとしていることが、はっきりと伝わってきた。
「ティー……」
シンと二人でティーを挟むように、雪風も後ろからティーを抱き締めた。
そして──
「──待たせたのです、みんな……。雪風は、ちゃんと幸せだったですよ?」
そう言ってティーの身体は、光の粒子となって空へと昇って行った。
「…………」
最後に残った小さな光の欠片を胸に抱き、雪風は目を閉じる。
「雪風も、ちゃんと幸せになるのです……」




