四十話:希望
(調停管理……ここで出てきたか……)
刀を握るティーの手が、汗で濡れる。
調停管理を見て思い出すのは、あの日のこと。決してあれを引き起こしてはいけない。そのために自分が来たというのに……。
シンに心配されてからはなんともないように振る舞っていたが、ティーは調停管理を酷く恐れている。
それはティーの過去……ティーがまだ雪風を名乗っていた時のとある事件が原因だ。
♦︎♦︎♦︎
「シン! 早く来るのです!」
一月初旬。雪風とシンは二人で小旅行に出かけていた。
正神教徒大司教ザーノスを討伐した、その功績が認められ、雪風が精霊でありながら二十五番隊に所属できたお祝いだ。
勿論、既にみんなでお祝いはしていたのだが、エミリアたちが気を利かせて数日間二人きりにさせたのだ。
二人が向かったのは、珍しい食べ物が集まるお祭りが開催されていたとある街。雪風とシン意外にも、大勢の人が集まっていた。
美味しいものをシンと一緒に沢山食べる、幸せな時間。
──しかしそんな幸せな時間は、すぐに壊れることになった。
「始めるか……」
突如屋根の上に一人の若い男が飛び乗ったかと思うと、彼はポツリと呟いて大きく手を広げた。
ポカンとその光景を眺める雪風とシンだったが、次の瞬間異変を察知した。
突然人混みの中から、同時にいくつか無視できない殺気を感じたのだ。
そして聞こえるのは『キャー!!』という悲鳴。
「恐怖、怒り、悲しみ……絶望。これくらいあれば十分か……」
「っ!」
そいつが、雪風の方を見た。
「化け物になれ。全てを殺す、化け物に」
遠くにいるはずのそいつが呟いた言葉が、雪風にははっきりと大きく聞こえた。
そして……
「────ッ!!!」
雪風の中から、激しい何かが込み上がってきた。
それは知っているもの、しかし知らないもの。これが何か、雪風は知っている。しかしここまでのものを、雪風は知らない。
「雪風!」
異変に気が付いたシンが雪風の肩を掴んで、雪風を揺らす。
ああ、どうしたことか。
「逃げるのです……シン……!!」
シンがとても憎らしい。
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(あの時私の中に込み上がってきた、激しい負の感情。こいつと出会う前に、雪風を始末しておきたかったのに……)
ティーがこの世界に来た理由、それは雪風を始末するため。
【調停管理】によって強制的に暴走させられた過去、それは酷く悲しく孤独だった。
それを見せたら、雪風はきっと自分に賛同してくれると思った。だが、雪風は渋った。シンたちを雪風は信じていた。
本当は見せる予定じゃなかった、シンたちを殺す瞬間を何度も見せて、やっと雪風は自らの死を望むようになった。
だが……それはティーにとって嬉しいことのはずなのに、何故だかティーは喜べなかった。
(私は知りたい……。幸せに生きる未来が、そこにあるのか)
ティーは既に、願っている。
だとすれば、目の前の敵は恐ろしい敵ではなく、むしろ望むべき敵だ。
こいつに勝つ、雪風とシンがこいつに勝つことができれば、自分は……。
故に、ティーは決断した。
「マスター、私の入る器を作れ」
「……了解したヨ」
全て分かっていたかのような、余裕のある笑みを浮かべて、マスターは指揮をするように腕を横に振った。
どこからか魔力が集まり、形を作っていく。
生まれたのは、雪風によく似ている少女。差別化なのか、雪風よりも幼く、髪は濡羽色、そして肌は褐色だった。
マスターの心遣いなのか、裸ではない。下着と、昔雪風が着ていたようなボロボロのマントを身に付けている。
「……子供か」
「嫌なら良いんだヨ? みーんな、死ぬだけサ」
「チッ……」
舌打ちをしながらも、ティーは断らなかった。
「うっ……、うぐぅ……」
「雪風!」
ティーがその器に入ると同時、ティーのいなくなった雪風が呻いた。
シンはすぐに雪風の元に駆け寄ろうとするが、そんなシンをティーは手を掴んで止めた。
「……なんだ?」
目に警戒の色を浮かべるシン。
信用されていないな、と思いながらも、まぁ仕方ないか、とティーは気にしない。
「悠長に敵が待ってくれると思うか? もうそろそろ、向こうも動けるようになる頃だ」
「でもっ……」
【調停管理】は自身の身体を精霊のようにして無理矢理存在しているため、これまで動くことはできていなかった。
分かりやすく言えば、新しい身体に馴染むまで時間がかかっていたのだ。
しかしその馴染むための時間も、そろそろ終わる。
シンだって、【調停管理】の魔力が安定してきたことは分かっている。だが、雪風が心配なのだ。
暴走──雪風は暴走している。見なくとも、契約による雪風との繋がりで分かる。
「ティー!」
「…………」
ティーは、シンの目を見、理解した。
「…………はっ! お前はとんだ馬鹿だ! 目の前に世界を滅ぼすような脅威があって、それでも尚雪風を心配するのか!」
ティーは腹を抱えて笑った。
こんなに、愉快なことはない。
こんなに、馬鹿馬鹿しいことはない。
──こんなに、嬉しいことはない。
「面白いっ! それでこそシンだ! 三分……三分だけなら私一人で持たせてみよう!」
「ティー……っ、ありがとなっ!」
暴走した雪風にシンが、【調停管理】にティーが相対する。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
雪風が喉が張り裂けんばかりに絶叫した。
その咆哮は魔力を帯び、図書館全体を揺らす。
沢山の紙が舞い、
「凄え……」
全て、あるラインを越えた瞬間に散り散りになった。
ヒラヒラと舞う紙が、一瞬で切り刻まれる。シンは、雪風を中心とした球を幻視した。
あの球に一歩踏み込むだけで、その瞬間に踏み込んだ足は使い物にならなくなるだろう。
目にも留まらぬ斬撃による、絶対の防御。それはまるで、シンにこれ以上近付くなと言っているようにも見える。
「自分が壊れるまで誰も殺さない、か……。それじゃ駄目だ」
ゆっくりとシンは球に近付いていく。
シンの身体に、黒い霧が纏わり付いた。
それはシンの身体を癒し、傷を塞いでいく。
再生能力。
ティーによって封じられていたそれが、ここに来てシンの元に帰ってきた。
となれば後は、シンの再生能力が間に合うのか、雪風の斬撃がそれを越えるのかの勝負だ。
「シン…………」
自分には何もできないと分かっていながら、レイはその名を呼んだ。
シンの再生能力は負ける。シンの再生能力は、時間がかかる。レイにはそれが分かっていたが、シンを止められなかった。
「行くぞっ! 雪風!」
次話は火曜日です




