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三十九話:調停管理

 

「大丈夫か! オメガ!」


 杖を鍵に戻すことも忘れ、シンは倒れるオメガに駆け寄った。カランカランと、杖が倒れて床を叩く音がした。

 オメガの身体を触り確かめると、腕や脚の骨は粉々になり、背骨も折れていた。早急に治癒をしなければ、いくら回復魔法があったとしても後遺症が残るかも知れない。


「酷い怪我だな」


 シンの後ろからオメガの様子を覗き込んだティーが、無感情な声でそう言った。

 と、その時、オメガがか細かったが確かに呻いた。


「ぅぅ……」

「っ! オメガ! 俺が分かるか!」

「き、みっ……か……。ボクのことは、良い……。こんなの、少し治りにくい擦り傷だよ……ゴホッゴホッ!」


 血が気管に入りそうになったのか、オメガが激しく咳き込む。

 シンは知らないことだが、オメガは投げ飛ばされ地面に体を強く打ち付けた後、さらに追撃として放たれた〈魔弾〉を全てくらってしまっているのだ。


 だがそんな状態でも、オメガは自分の務めを果たそうとする。


「シン、雪風……二人が協力すれば、奴を倒せる。……ベルフェに聞いたよ。鏡を見たんだろう? ……なら、そこに悪魔は映っていなかったはずだ……」

「それはどういう……いや、今は休んでろ。お前の仇は俺が……俺たちが取るから」


 シンの力強い言葉を聞いて安心したのか、オメガは小さく頷いて目を閉じた。


「……この中で、治癒できるのはワタシしかいないようだネ。まぁでも、その前にすることがある」


 そう言って進み出たマスターの目が向かうのは、ティーと、そして……


「この場にいないとは思っていたけど、やっぱりそうか……お前、なんだな」

「…………」


 ゆっくりとこちらに近づいてくる、ベルフェだった。

 格好は普段通り、お腹の見える小さなジャージに、眼鏡とボサボサの髪。しかし纏う雰囲気が、明らかに違った。


「──ッ!」


 歩いてくるベルフェを見た途端、ティーの身体がガタガタ震え出す。

 何かトラウマを呼び覚ましたのか、ベルフェから決して目を離さず、逃げることだけを考えている表情だ。


 そんなティーに、シンも共感できる気がした。

 今、ベルフェから感じる魔力は、とんでもない濃さで、しかもとても攻撃的な色をしている。この場にいるだけで、喉元に刃を突きつけられたように呼吸が苦しくなるのだ。


 だがしかし、ティーが過呼吸にまでなったのは流石に見過ごせない。


「ティー?」 


 肩を揺するが、ティーは気が付かない。だから仕方なく、シンはティーの耳元に口を近づける。


「……おいっ! ティー!」

「──っ!!! はぁはぁ……すまない、取り乱した……」

「どうした? ベルフェと何かあったのか? そっちの世界で殺されかけたとか……」

「それなら、むしろ大歓迎だな……。それと、私はベルフェなどに怯えているわけではない。……もっと、強大なものだ」

「強大なもの……?」


 シンが眉を寄せると、


「すぐに分かるヨ。それでも分からないことがあれば、万事解決してから聞けば良いサ」


 マスターが人を安心させる優しい微笑みを浮かべながら、シンの頭を撫でた。

 シンよりも、マスターの方が身長は高い。なんだか子供扱いされている気がしたが、不思議と嫌ではなかった。


「ベルフェ! 今こそあの薬を使う時だヨ!」


 マスターの一声で、ベルフェが動きを見せた。襲ってくるかと警戒するシンとティーだが、それは違った。

 ベルフェはジャージのポケットから小瓶を取り出し、ゴクリと一度に全て飲み干した。


 すると次の瞬間、


「ぁぁぁぁぁっ!!」


 ベルフェが絶叫。

 シンたちは最初顔を顰めるが、徐々に驚きの表情へと変わっていく。


 ベルフェの声が、段々と男の声に変わって行ったのだ。

 そしてついに、


「っ!!」


 何かに後ろから突き飛ばされたように、ベルフェが前に、つまりシンたちに向かって飛んできた。

 どうやらベルフェは気絶しているようで、このままなら顔を地面に打ち付けることは確実だというのに、ベルフェは目を閉じていて叫ぶこともなかった。


 幸い、着地点に近かったシンが飛んでくるベルフェを受け止めたことで、ベルフェは怪我をしなくて済んだ。


「えっと……マスター? これってつまり……」

「話すと長くなるんだが……そうだネ。【調停管理】という、人の深い所を操作するのが得意な男がいる。彼女はそいつに取り憑かれていてネ。彼女の人格が一瞬で変わることがなかったかイ?」

「そういえば……」


 シンの頭に浮かぶのは、ベルフェが時より見せる乙女な姿。


 基本ベルフェはいつも眠そうで、すべてにおいて面倒臭いと感じているように見える。

 しかし、念話石でシンと繋がった時ははしゃいで喜び、ジャージのファスナーを下ろされた時は顔を真っ赤にして心の底から恥ずかしがっていた。


 どっちが本当のベルフェなんだろう? とまで考えたことがあったはずだ。


「本来の彼女は、父親を除けば男と一度も会ったことのない箱入り娘。男の君では会話できるまでかなりの時間が必要なはずだヨ」

「じゃあ、いつもの面倒臭そうな方は……」

「いや、あれもまた彼女自身なのサ。今の【調停管理】は肉体を失い精神だけになった弱い存在だが、彼女の精神に潜り込んで、自分自身に幻術を使わせるくらいはできる。彼女の色んな面を抽出して作り上げたつぎはぎの人格だネ。だから不自然な所があった。そうしてから、【調停管理】は魔力を回復させるために眠ったわけだヨ」

「幻術……」


 ベルフェの幻術には、シンもいっぱい食わされたことがある。アニルレイでの話だ。

 サキュバスの魅了の力があったことを考えても、あの短時間でグラムをベルフェと思い込ませるにはかなりの実力が必要なのは言うまでもない。


 自分に幻術をかけて新たな人格が生まれるなど普通はあり得ないが、ベルフェの幻術を受けたことがあるシンは、ベルフェならそんなこともできるかも知れないと思った。

 マスターの話す話には、穴がない……ように思える。色々と気になるところはあるが、今その話をする時間は残されていないだろう。


 何故なら……


「来たな……」

「気を付けろシン。あいつは深い所にしまい込んだはずのものを簡単に引き出して、呼び覚ます。……雪風()のように……」

「それって…………っ!!」


 ティーに聞くような時間はなかった。


 先程までベルフェが立っていた場所に、突然濃い濃度の魔力反応が現れた。

 何がそこにいるのか、見なくともこれまでの話から大体の予想が付いた。


「なるほど精霊化か……。それくらいの力は既に回復できていたとはネ……」

「あれが、【調停管理】……!」


 そこにいたのは、一人の男。

 全身から凄まじい覇気を放ち、非常に攻撃的な属性を帯びた魔力を纏う、若い男だった。


 相対するだけで無意識に後退りしてしまいそうになる程、男から溢れる殺意は異常だった。


「さらに一つ補足説明だ。あいつは……正神教徒が崇める神だ」


次話は日曜日です

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