三十八話:集う者たち
「シン!」
雪風の顔に、喜びの表情が浮かぶ。
だがその表情は、振り向きシンの姿を見て途端に悲痛な表情に変わった。
雪風にとって、シンとはヒーローそのものである。長年の悩みを打ち払い、暴走した時には真っ先に助けに来てくれた。だからそんなシンの声がして嬉しさが溢れたのであり、そんなシンの姿がヒーローではなかったから言葉を失った。
シンは、明らかに戦える状態ではない。
顔は青白く、二本足で立つことすらままならない。首飾りの鍵を杖にして、それを支えに立っている。
長い間眠っていたせいで体力も筋肉も落ち、そこら辺の魔物ならこれでも魔術で圧勝するだろうが、今の雪風を相手するには力不足が過ぎる。
「雪風。お前なんだな?」
「シン……」
それでも、シンが来てくれたことには変わりない。
雪風はシンに抱き着こうと駆け足で彼の元に走り、彼まであと少しという所でその胸に飛び込もうと足に力を込めた。
──雪風が我に帰ったのは、その時だった。
「避けるですっ! シンっ!!」
今、自分は何をしている?
刀を振りかざし、シンを斬ろうとしている。
迂闊だった。自分の身体が既に自分の制御下にないことを、雪風は今の一瞬すっかり忘れてしまっていた。
雪風には、シンを殺そうとする自分の身体を止めることができなかった。
今のシンは再生能力が使えない。つまり今度こそ、雪風は自分の手で……
「っ!」
その時、雪風は不思議なものを見た。
それは夢のようで、何故だか現実でないことだけには確信を持てた。しかし感覚は……例えば手に握る刀の柄や、顔を刺す緊張感は現実そのものだった。
そんな世界で、雪風は……いや、雪風の身体は躊躇なく刀を振り下ろした。
肉を切り、骨を切る。神経や血管の千切れる極めて微小な感触が、初めて鮮明に伝わってくる。
これまでの殺しとは違う。一瞬で完了したこれまでと違い、時間の流れがゆっくりに感じる。
深く、永く、後悔しろ。
「…………」
これは現実ではない。
少し先の未来に起こるものを、現実よりも早く体験しているだけ。
あの速度で刀を振るえば、シンに防ぐことはできない。雪風に止めることもできない。
それはつまり……
「ぁ……ああぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
雪風の意識は、現実に戻った。
今にも刀を振り下ろそうとしている自分と、それを防ごうともしないシン。
──嫌だ! 嫌だ!
どんなに足掻こうと、既に雪風の身体は全て自分自身に乗っ取られていた。口も既に、言うことを聞かない。
「ぁぁぁぁぁぁあ!!」
あの未来のように、ティーと成った雪風の身体は刀を振り下ろした。
♦︎♦︎♦︎
「…………」
そこは、静かだった。
「…………」
状況を理解した雪風の頬に、一筋の涙が流れる。
「──どうやら、間に合ったようだネ」
振り下ろされた刀は、シンの額まで皮一枚のところで何かに阻まれたように止まっていた!
ゆっくりと歩いてくるのは、バーテンダーの格好をした老紳士。
王都の裏路地でバーを営む、マスターだった。
♦︎♦︎♦︎
「何故貴様がここにいる!」
雪風に身体を渡すという言葉も忘れて、ティーが表に出て叫んだ。
凄まじい気迫、気の弱い者なら気絶しかねない威圧感の中、マスターは涼しげな顔をして、
「そりゃ、娘のためなら店なんか放って助けにくると思うんだけどネ?」
「っ……!」
話が通じないと判断したのか、ティーはそれ以上何も言わなかった。
そんなティーを見て、今度はシンが口を開く。
「マスター、手紙を見てくれたんだな」
「そうそう聞いてヨ。邪魔が入って大変だったんだから〜。昨日じゃなくてもっと早く送ってくれたラ、こうなる前に来れたのにサ」
「邪魔? というか送ったのは昨日じゃなくて……っ、危ない!」
「!? お、おい! 離せ! 何をする!」
第六感が危険を告げ、シンは咄嗟にティーを抱えてその場から離れた。
ティーはシンから逃れようと暴れるが、刀を握っていないティーにできることはシンをポカポカ殴ることだけ。
「来たか」
「──ッ」
しかしそれが起きた途端、そんかティーの動きは止まる。
マスターの周囲が爆発。図書館全体が揺れた。
爆風で本棚が吹っ飛び、紙が舞う。
しかし、気を失っているエミリアたちが宙を舞うようなことはなかった。
「な、何が起きたんだ……?」
「邪魔をした奴がいたと言っただろう? それが、こいつだヨ」
爆発の中心にいたマスターにも、傷一つなかった。マスターが障壁を張り、自分やエミリアたちを守ったのだ。
そのことを知らないシンは、とにかくラッキー程度に考え、もっと身近な脅威に意識を向ける。即ち、
「オメガ……! お前……!」
シンには、その光景が信じられなかった。
何故、オメガが。
「誰にやられた!」
次話は金曜日です




