三十五話:宣戦布告
「シン殿ー! ……っとと……」
元気良く医務室の扉を開けた紫苑は、すぐに『しまった』という表情をした。
医務室には先客がいて、しかもぐっすり眠っていたのだ。シンのベッドの端で丸まるようにして、エミリアが眠っていた。
「ぐっすり寝ているよ。まったく……ベッドに寝かせるのにボクがどれほど苦労したのか、事細やかに語って聞かせたいくらいだね」
「エミリア殿も、苦労をかけたくてかけているわけでは……」
「分かっているさ。料理を作って、調べ物をして、ボクらの世話までこなすと来た。王女とは思えない八面六臂の活躍だ。はぁ……何も言えないよ。……それは?」
溜息をついて、やれやれと肩を竦めたオメガは、紫苑の手に持つ風呂敷に目を向けた。
「暇を持て余しているだろうと思いまして、幾つかの書物と、あと庭で摘んだ花などを持って参りました」
「ふーん……気が利くね」
「いえいえ、拙者にできることをするまででござる」
そう言って紫苑は、オメガのベッドの隣の棚に本を包んだ風呂敷を置く。シンとオメガのベッドの丁度間にある出窓に水の入ったグラスを置き、中に花を一輪放り込んだ。
「ボクの代わりに外に行ってくれているんだって?」
「はい。と言いましても、中々力を活かす場面に恵まれませぬが」
「ゲリラ的な襲撃を防ぐことが目的だからね。君のような忍びは、あまり力を発揮できないか。まぁその分、コソコソと図書館で力を発揮していたようだけど」
「……気付いておられたのでござるか」
オメガの鋭い指摘に、紫苑はしらばっくれることなく、素直に感嘆した。
驚いたのはむしろオメガの方だ。
「……もしかして、もうボクのこと疑っていない?」
「当然でござる。大怪我をしながらもシン殿をここに届けた……それだけで十分信頼に値しまする」
「……ボクが彼を襲って、お互い大怪我をした可能性だってあるだろう?」
「あはは、そんなわけないことは、顔を見れば分かりまする。あ、いや、これはジョークなるものではなく、夜に伺ったことがござりまして」
最初は疑っていたが、その夜シンを護衛ふるため医務室にこっそり忍び込み、オメガの顔を見たのだと話す紫苑。
寝言を聞いて、オメガを信頼することにしたのだとか。
「ふーん…………」
その時自分が言っていた寝言が気になったものの、なんだか踏んではいけない地雷のような気がしてオメガは聞かなかった。
しかし、このまま黙っていると、せっかく聞かなかったのに気になってしまう。
なのでオメガは、話を続けた。
「そうだ、今日は何日だい?」
「今日でござる? 今日は23でござる」
「聖夜祭まで後二日か……そうか……」
「? どうかしましたか?」
「ん? いや……知り合いの誕生日が明後日だから、どうしようか考えていたんだよ」
「うーん……まだ動けないのでござるか?」
「いや? 動けるよ? 戦闘はあまりしたくないけど、日常生活に支障は少ないかな。ちょっとふらつく程度さ」
毎日リハビリをエミリアとマリンに手伝ってもらっていることは、恥ずかしいので言わなかった。
無邪気、悪く言えば子供っぽい二人は、オメガのリハビリの進捗に大袈裟な反応を見せるのだ。
自分のことで手を取って喜ばれ、どうしようか困りながらも照れている自分を、オメガは想像されたくなかった。
「それはまだ安静にしておられた方が……──っ」
「どうしたんだい?」
突然顔が厳しくなった紫苑を見て、オメガが首を傾げ……
「そこっ!」
次の瞬間、そんなオメガの頭上で三本の刃が交差する!
紫苑が持つのは、反りの一切ない短刀。そしてそれを鍔迫り合いを繰り広げているのは……
「何をする雪風殿……っ!!」
「完璧な奇襲だと思ったが……止められるか」
このまま押し切るのは無理と見たか、バックステップで距離を取る雪風。
そんな雪風を紫苑は鋭く睨み付け、オメガもまた魔力を活性化させて戦闘態勢に入った。
「思ったより身体が付いてきていないな……。精霊だが、私も成長していたと言うことか……。それは嬉しいことだが、バランスが崩れるのは良くない」
雪風のような超速度を出すような戦士だと、僅かな身体の誤差が速さに大きく影響する。体型が変わる度に、力の入れ方に変更を加える必要があるのだ。
雪風は今の自分の身体にまだ慣れておらず、全力が出せない。
目の前の雪風の言葉から紫苑はそこまで考え、結論を出した。
──倒すなら、早ければ早い方が良い。
「シン殿が寝込んでから姿が見えず、落ち込んでおられるのかと思っておりましたが……、その様子を見るに、どうやら拙者の気苦労だったようでござるな」
「予想以上に抵抗されて遅くなった。それと、私は雪風じゃない。ティーだ」
「ティー……なるほど、そういうことか」
ティーと聞いて、苦虫を潰したような顔になるオメガ。
「オメガ殿、ティーというのは……」
「君も知っているとは思うけど、雪風はその内側に狂暴性を隠し持っている。雪風という名を得ることがなかった雪風を、ティーと呼んでいるんだ」
「???」
「こう言えば分かりやすいと思うけど、彼女は今別次元の彼女に操られている。雪風という名を捨てた世界線の彼女にね」
「っ……把握したのでござる」
つまり目の前の存在は、雪風の身体ではあるが紛れもない敵。
紫苑は警戒をさらに強めた。
「君がどうやってこの世界に来れたのかはどうでも良い。……何が目的だ?」
「……この身体は、いつか内に秘めるティーに呑まれ、厄災と変わる未来が待っている。私のようにな」
「そんなこと拙者たちがっ──」
「無理だ。これは究極的に雪風の問題だからな、雪風が狂暴性を支配、制御できなければいずれ暴走する。そしてそうなったら終わりだ。いずれ大きな災厄になるのなら、止められるうちに私が止める」
「……なるほど。とは言いつつもこうしてボクたちの前に現れたと言うことは……うん、じゃあ君は彼女の狂暴性を呼び起こして、制御できるのか測ろうとしているわけだね。勿論、結果に君が満足しなければ……」
「雪風殿を、殺す……」
紫苑の苦しそうな言葉に、雪風……いやティーは頷く。
「そういうことだ。……とは言え、お互い準備も必要だろう。私は明日の朝、こいつを操るのを止め、観察を始める。こいつを助けたいのなら、こいつを止めるんだな。……暴走の解除、それが最低条件だ」
そう言い残し、ティーの姿が消える。
攻撃に備える紫苑とオメガだったが、ティーからの攻撃はなく、先程まで閉まっていたはずなのに今は開け放たれている窓が、ティーは既にここにいないことを示していた。
「雪風殿……」
短刀を鞘に納めながら、複雑な表情をする紫苑。オメガもまた、何も言わない。
重苦しい雰囲気が、医務室を支配していた。
と、その時、
「んんっ……もう朝……? ……。……? ……!? あ、あれっ? なんで私シンの隣にいるの!? えっ? えっ? ……あ、もしかしてまだ夢?」
唯一状況を理解していない、さっきまで眠っていたエミリアが、大きく伸びをしながら目を覚ました。そして早速、目の前にシンの横顔があることに混乱する。
「あ……もしかして私眠っちゃった……?」
どうやら理解が追い付いたらしく、恥ずかしそうにしながら身体を起こし、そこでエミリアは医務室の異常に気が付いた。
何やら神妙そうな顔をしている紫苑と、考え込んでいるオメガがいる。
──二人とも、何かあったのかな?
「どうしたの? シオンちゃん、オメガさん」
「まぁ、その……全員集めてから、説明いたしまする。あ、エミリア殿はそれまで身支度などをして頂いて結構ですゆえ」
「そう? ならそうする。急いで支度してくるね!」
部屋にパタパタと走って戻るエミリア。
それを見送り、紫苑はオメガに顔を向けた。
オメガが、紫苑の服を摘んでいたからだ。
「……オメガ殿?」
「……紫苑。ボクを信頼していると言うのなら……一つ頼まれてくれないかな?」
次話は土曜日です




