三十四話:母と子
「お母さんっ!!」
幼い頃に別れた母に駆け寄り、その胸に飛び付く雪風。
母もまたそれを受け入れるが、幼い頃とは違い雪風も成長している(雪風は、この空間では幼女ではなく通常の身体になっていた)、受け止めきれず少しよろけた。
「お母さん……お母さん……」
「雪風……久しぶりね……」
血縁関係こそないが、十年以上も間を開けての母と子の再会である。
二人は長いことお互いを強く抱き締め、涙で濡れた頬と頬を擦り合わせた。
「随分と、大きくなったわね……」
「はい。いろんなことがあったのです。本当にいろんなことが……」
「……良ければ話してくれないかしら?」
「はいなのです。ちょっと恥ずかしい箇所もあるですけど……みんなのことも、お母さんに知って欲しいのです!」
抱擁を止めた二人は椅子に座り、雪風はゆっくりと自分のこれまでの人生を母に語っていく。
最初は暗い話、雪風の悩みの話だ。殺戮マシーンとして生きる自分を呪っていた話。それは雪風にとって思い出したくのない過去だったが、自分を語る上で外せないと、雪風は母に詳細に話して聞かせた。
「そう、彼らから逃げるために……」
母は、雪風の想いを確かに理解した。雪風がこの暗い話の部分を話し終えた時、励ましてやろうとも思った。
──しかし、その優しさを雪風が知ることはなかった。
「──でもっ! そんな時雪風はシンと出会ったのですっ!」
「──っ!!」
深く息を吸って嬉しそうに話す雪風を見て、言葉が出てこなくなったのだ。
辛そうな表情が一転、これ以上ないほど幸せに溢れた、満面の笑みだった。
「最初は標的としか見てなかったのですが、シンと一緒にいるうちに殺して良いものか迷ってきて──」
「ふふっ」
「──それでそれでっ……シンが雪風をギュッ〜って! ……お母さん? どうして笑っているのです?」
「さぁ、なんででしょうね」
楽しそうに話す雪風を見て、母は娘の成長を悟ったのだ。
母が知る雪風と言えば、「おかーさん! おかーさん!」といつも後ろをついて回るような、甘えん坊。
そんな娘が、頬をうっすら紅色に染め、明るくウキウキと、声の高さまで変えて喋っているのだ。
追手を殺し続ける苦しい生活の中でも、娘は心を折らずに生き続け、今ではこうして一丁前に恋なんかしている。
母は涙を堪えることで精一杯だった。
「──というわけなのです」
雪風が話し終えた時まで、涙を溢さずいられたのは褒めるべきだろう。話の腰を折ることもなく、最後までゆっくりと聞いた。
「…………」
「…………」
母が決して涙を溢さなかったのには、理由がある。
「…………」
「…………」
それは、自分が泣くことだけは許されないと理解していたからだ。
──つまり、どういうことか。
「…………ぅ……」
雪風の頬を、涙が一粒流れた。
それは、思わず溢れてしまったと言うより、もうこれ以上耐えることができなかったと言うべきだろう。
娘が何かに酷く悩んでいる。それに気が付いたから、母は涙を流さないように全力を注いでいたのだ。
『優しい娘のことだ。自分が泣けば、涙なんて引っ込んでしまうに違いない』と。
「どうしたの? 雪風」
「雪風は、悪い人なのです」
「どうして?」
「……夢を見るのです。そこは真っ暗な空間で、沢山の雪風がこっちを見ているのです。彼女たちは無表情で、兵器に生きる道はないと繰り返すのです」
「自分のことを兵器だと、貴方は思ってしまっているのね。……でも、それは違うわ」
立ち上がり、母は近くの本棚からある一冊の本を取り出した。
「並行世界って、知ってるかしら? この世界にいくつもある分岐点、この世界と違う方を選んだ世界……。貴方たちがここに来る時に見たでしょう?」
「あの世界……」
「皆さんのほとんどが幸せな世界だったけど、中には不幸を知らないが故の幸せや、酷く苦しい世界もあった。貴方のようにね」
「…………」
「あの時、彼を殺してしまったら。そんな思いが常に貴方の内にはあった。そして恐れていた、あの時ではない。今ここで殺すこともあると。貴方自身が、貴方自身の内なるものを無意識に理解していたから。そうね?」
「はい、です……」
隠し事はできないと、雪風は素直に頷いた。
キッパリと肯定の言葉を言えなかったのは、シンへの申し訳なさがあったからだ。
「でも安心して。貴方はもう知っているはずよ。貴方の刃は、誰かを守るために、そしてまた誰かを止めるために振るわれているって。それは、兵器にはできないことよ。……第一、貴方は私の娘じゃない」
「っ……!!」
母は、雪風の頬を撫でると同時にその涙を拭き取ってあげた。
暗く落ち込んだ表情をしていた雪風の顔に、僅かに希望の色が浮かぶ。
──帰って、シンに悩みを伝えるのです。
申し訳ないと思うなら、こうして伝えないことの方が遥かに申し訳ないということに、自分はもっと早く気が付くべきだった。
目を服の袖でグシグシと拭い、雪風が笑った。
『──知らないとは恐ろしいな』
招かれざる客の声が響いたのは、丁度その瞬間だった。
「「っ!?」」
咄嗟に、少しの淀みもない動作で刀を構える雪風。
半年近く戦っていないが、その反応力はまだ健在だ。鋭く声のした方を睨んでいる。
母もまた同じようにどこから襲われても良いよう警戒しているのを見るに、この声の主は母も知らない何かだということだろう。そう、雪風は冷静に分析する。
「ぁ…………」
しかし、雪風は大きく動揺してしまう。
暗闇からゆっくりと歩いてきた人物を見て、雪風は声を漏らした。
何故ならその人物は、雪風に酷似していたからだ。マントの裾は擦り切れ、目深に被るフードには鋭い切れ目があった。
母もまた、その人物を見て目を細める。
「……何の用?」
『……。貴方に話すことは何もない』
母の問いかけには答えなず、そいつは雪風をジッと見つめる。隣にいる母には目もくれず、最初から雪風だけを見ていた。
『言っていただろう? 図書館はすぐ近くにあるって……』
「……?」
夢で聞いた話。だがそれがどうしたと言うのだ? 雪風には分からなかったが、母には目の前の人物が何を言いたいのか分かったらしく、
「まさか……っ!」
『そのまさかだ。図書館の中には、未来を記録する場所がある。私はそこを利用した。ある者の協力を得て無理矢理召喚された私は、お前……雪風の身体の内で力を回復させていたわけだ』
「!?? じゃあ、シンが雪風のためにしてくれた魔力補給は全部……」
『一部……と言っても大半か。ああそうだ。昨日のは格別に美味かったぞ? 量もいっぱい、おかげでそうだな……七割くらいは力が出せるようになった』
シンたちの雪風を思っての行動は、全て裏目に出ていたわけだ。
「何が目的か知りませんが、雪風の大切な人たちを傷付けるというなら……容赦はしないのです」
刀を構え、殺気を隠そうともしない雪風。
そんな雪風を見て、もう一人の雪風は愉しそうに口の端を上げる。
『ほう、懐かしい目だ。……良いだろう。お前のそれが本当のものか、見定めてやる』
「っ!?」
それは刹那だった。
キンッという刀と刀のぶつかり合う音が一つ下と思うと、次の瞬間には、刀を振り抜いた雪風と……
『まぁ、力はこんなものか』
その背後に立ち、刀の切っ先を背中に突きつけるもう一人の雪風がいた。
もう一人の雪風が、懐がら出した小瓶を雪風に投げつけ、言った。
「起きろ、化け物。これが本当のお前だよ」
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