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三十三話:真なる図書館

 

 シンの再生能力が失われた。


 それは、雪風に大きな衝撃を与えていた。雪風は、心をぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような気分だった。

 何故なら雪風はシンを殺したことがあり、誰よりもシンの脆さを理解している。人は呆気なく死ぬということを、雪風以上に理解している者は少ない。


 シンとオメガが大怪我を負った今、図書館にいる誰もが図書館に敵対者がいると理解してる。

 しかし同時に、彼女らは激しく動揺していて、例えばエミリアは上の空になることが多くなった。砂糖と塩を間違えるなど、エミリアには有り得ないことだ。


 絶対に死なないと信じていただけに、いざ怪我を負うとひどく不安になる。

 今襲撃を受けたとして怪我人を守りながら戦えるかと聞かれたら、答えはノーだ。


「──はぁ、教えて欲しいことが」


 突然目の前に現れ、突然「ちょっと教えて欲しいことがあるのですっ!」と元気よく発言した雪風を、ベルフェは訝しげに見た。

 しかし雪風は気にせず、話を続けた。


「はいなのです。この図書館をよく知っているベルフェなら知っていると思ったのです」

「まぁ、確かに歴代司書の次くらいには知ってる自信ありますけど……。それ、面倒なお願いですか?」

「やっぱり詳しいのですねっ。じゃあベルフェ、探して欲しい本があるのです!」

「あ、聞いてないなこの子。まぁ本を探すくらいなら良いかぁ……。どんな本ですか?」

「それはずばり、自分に打ち勝つための本なのです」

「自己啓発本?」

「いえ、そうじゃなくて……自分を掌握するみたいな……自分自信を支配下に置くみたいな、そういうものです」

「へぇ……」


 ベルフェの目の色が変わった。

 眠たそうだった目が、今は鋭く雪風の真意を見極めようとしている。


「……かつて、とある英雄が自分の中にある七つの心、つまり傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰……それら克服し、完璧な人間になったという逸話があります……。その人みたいに自分の中の自分を制御し、さらなる高みへ登りたいということですかね……?」

「っ……大体はそういうことなのです」

「なるほど……でも戦えないなら意味ないと思いますけど」

「戦えるようになるために、そうするのです」

「…………」


 ベルフェは何も言わずジッと雪風を見定めていたが、やがて口角を緩ませ、雪風の頭に手を置いた。

 妹を褒める姉のようなベルフェの行動に、キョトンとする雪風。だがその行動が何を意味するのかを理解し、雪風は顔を輝かせる。


「気を付けて下さいよ……。命の保証は出来ませんから」


 ♦︎♦︎♦︎


「この部屋は……?」


 雪風が連れて来られたのは、入るなと言われていたとある部屋だった。

 この図書館にしては有り得ないことに本は一切なく、ただ中心に大きな楕円形の鏡があるだけの部屋だ。


 装飾の一切ない、ただ物を映すためだけにある鏡を支えるものは、何もなかった。


「ここの中枢のようなものですか。まぁ、壊れた所で問題はないんですけど。……その鏡の前に立って下さい」


 言われた通り、鏡の前に立つ雪風。

 鏡に目を向け、雪風は息を呑む。

 そこに写っていたのは、裸の自分だった。


「っ!?」


 慌てて自分の身体を触って確認すると、しっかり服は着ている。なのに、鏡の中にいるのは裸の自分。

 しかも……


「小さくないのです……?」


 今の幼女と化した雪風ではなく、本来の雪風の姿だった。

 直線的な幼いフォルムではなく、曲線的な少女の身体。


 時はきっと、シンと契約した後だろうか。

 汚い姿は見せられないと、身体の手入れに意識を割くようになった後の姿。


 と、そんな自分の身体に釘付けにされていた雪風は、あることに気が付いた。


 ──後ろの壁がないのです……。


 その鏡に映っているのは自分だけで、床や天井、壁などの当然映るはずのものは何故か存在しなかった。

 鏡の中の雪風は、虚空に一人ポツンと浮いていた。


「この鏡は自分の外見ではなく、自分そのものを映す鏡ですよ……。今鏡に何が写っているのかは、自分しか分からない」

「自分そのもの……。やはり雪風は子供ではなかったのです……」

「…………あの、そういう使い方をする物じゃないんですけど……。まぁ良いや。今から鏡の中の自分と繋がることを意識して下さい。何が写っていても、それが自分と同じものだと心の底から思わなきゃいけません」


 ──鏡に映っている自分は……


 説明するベルフェを見ていた雪風は鏡に目を戻し、自分の身体を確認する。

 しかし鏡の中にいる存在は、いくら見ても自分自信だった。裸で普通の鏡の前に立っているのと、何も変わらない。


「じゃあ、私は帰りますんで……。後はご自由にどうぞ……」


 そう言うと、ベルフェは急ぐようにして部屋を出て行った。


 ──なんだか、長くここにいたくないように見えるのです。


 そのベルフェの動きが少し気になったが、今は関係ないと雪風は頭を振り、再び鏡の中の自分に目を向けた。


「…………」


 実際に服を着ていると分かっているとは言え、鏡に映る裸の自分を見ているとなんだか気恥ずかしくなってくる。

 鏡の中の雪風も、頬を赤く染めた。


「すぅ…………」


 深く深呼吸をして心を落ち着かせ、雪風は目を閉じる。

 意識したわけではない、なんだか自然と身体がそれをしていた。


「…………」


 鏡の中の存在を自分と認めることは、容易いことだった。

 何故なら、何も変わった所はないのだから。あまりに簡単で、本当にこれで良いのか心配になってくる。


「えっ……?」


 しかし目を開けた時、そこはさっきまでいた鏡の部屋ではなかった。

 そこは、世界図書館の中心である円柱形の部屋と全く同じような場所だった。一階から最上階までが吹き抜けになっていて、その全ての階に本棚がズラリと並んでいる。


「図書館の最深部。……いいえ、本来意味での世界図書館そのもの」

「ッ…………、え?」


 突然話しかけられ身構えてしまった雪風は、その相手を見て目を丸くした。


「ごめんなさい、ティー……いえ、今は雪風だったわね」


 それは、その人物は、彼女は……。


「お母さん……!!」 


 雪風を育てた母に、他ならなかった。


次話は火曜日です

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