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二十四話:夢で思い出したこと


 前後に並べた風呂椅子の前に座る雪風、その髪を後ろから俺が洗っている。

 髪を洗うシャカシャカという音、水滴の垂れる音、そして……


「〜〜♪」


 一人用の広くない浴室に、雪風の鼻歌が反響していた。


 鼻歌、洗う音、水滴の音、この三つが不規則に重なり合って生まれたのは、聞いていると心が落ち着いてくる音楽だった。


 俺に音楽は分からないが、雪風の鼻歌がそれに一番貢献しているように思える。

 王城では沢山の演奏を聞いてきた俺でも聞いたことのない、ゆっくりとした不思議な曲だ。


「〜〜♪────」


 髪の毛の泡を魔法で生み出した綺麗なお湯で流し始めるのと、雪風が歌い終えるのは丁度同時だった。


 雪風が歌い終えると、浴室が途端に静かになったような気がした。

 緩やかな傾斜のついたタイル張りの床を、泡混じりのお湯がゆっくり滑っていく音が今にも聞こえてきそうだ。


 実際は、雪風の頭についた泡を洗い流している音がちゃんとあるのだが。


「……お母さんが、雪風が小さい頃よく歌ってくれたのです」

「さっきのか?」

「はいです。ずっと昔のことで、最近までずっと忘れていたのですが……昨日、夜に見た夢で思い出したのです」

「夢で、か……」


 夢と聞いて、この図書館に来た時に見た『望む世界』のことが頭に思い浮かんだ。

 あれは人為的なものだったが、出来事を記録する場所であるこの図書館ならそういうことがあるのかも知れない。


 突然、昔のことを思い出し、懐かしむようなことが。


 と、そんなことを考えている内に、髪を洗い終えてしまった。

 しかし手を止めたくなかったから、俺は櫛を使って雪風の髪を梳いてやることにした。少しだけ曇った鏡に、気持ち良さそうに目を閉じる雪風が映った。


 と、その時、雪風のうなじに目が行った。普段は髪で見えない雪風のうなじ、俺でも珍しいと思うものだ。


 ふと手で触ってみると、びっくりしたのか雪風が「ひゃんっ」と可愛らしい悲鳴を上げた。

 首を手で守りながら雪風が振り向いて、その顔で俺の行動に抗議してくる。今度は腋を攻めたくなるな。


 嫌な予感がしたのか、雪風が素早く立ち上がる。


「……こ、今度は雪風がシンを洗うのですっ! シン! 場所交代なのです!」

「お、そうか。ありがとな」


 前後を交代。すると座ってすぐに、シャワーベッドから出た勢いの強めな水が頭に当たって、俺は慌てて目を閉じた。

 小さな細い指か俺の髪の毛を掻き分けるようにして頭に触れている感触が、少しだけくすぐったい。


「……そうだ、できればで良いから小さい頃の話を聞かせてくれないか? その……お母さんのこととか」

「…………」


 返ってきたのは、沈黙だった。

 髪を洗う手も止まる。

 しかしシャンプーが顔に垂れてきたせいで目を開けられない俺は、雪風の表情を見ることができない。


 もしかして聞いてはいけないことだったか? 少し不安になりながら雪風の答えを待っていると、


「そういえば、一からちゃんと話したことがなかったのです…………」


 どうやら俺の心配は必要なかったみたいだ。

 しかし、雪風の声はらどこかショックを受けているようにも聞こえる。これでも一年近く一緒にいるのだ。なんとなく分かる。


「──それから、雪風はその本を読むのが好きになったのです」


 髪を洗い終えても雪風は、俺の身体を洗ってくれながら話を続けていた。夢中で話をしている。

 今話しているのは、雪風が本棚で見つけた不思議な本の話。ページによって、ボロボロだったり、綺麗だったり、真新しい白紙だったり……、どんな保存方法をしたらそうなるんだと言いたくなるような本だったらしい。


 本の内容と言えば、主人公である精霊の少女が精霊術師に助けられ、相棒になる話だった。


「多分、子供心に憧れていたのです」

「自分が精霊だって知ってたのか?」

「それは……んんっ……あまり覚えていないのです……。でも憧れは叶ったので、そんなのどっちでも良いのですっ♪」


 恥ずかしいことを言う雪風だが、まぁ俺も途中で「あれっ?」って思ったから何も言えない。

 俺と雪風も、似たような経緯で契約したからな。


「泡を流して行くのですよ〜」


 話すのをやめ、雪風は俺の身体を覆う泡をお湯で流して行く。

 思えば、昼間はメアにマッサージと耳掻きをされ、夜は雪風に身体を洗ってもらっているわけだ。かなり贅沢だな。


「はいっ。綺麗になったのです」

「ありがとう雪風。じゃあ今度は俺が雪風を洗ってあげようかな」


 頭は洗ったが、身体は洗っていない。本当は精霊の雪風に身体を洗う必要はないのだが、お礼として俺もやってあげたいのだ。

 ……決して、女の子の身体を洗いたいという願望があるわけではない。いや、ないと言えば嘘になるが、今回はそれが理由ではない。


「…………」


 そんな言い訳(?)を脳内で考えていた俺は、何故か雪風は顔を赤くしていることに気がついた。

 どうしたんだ? 最初はそう思った俺だったが……


「わ、分かったのです……」


 雪風がタオルの結び目に手をかけた時、俺が何を言ってしまったのか、その全てを理解した。


「ちょっ、ちょっとストップ! いい! やっぱりしない! だから裸にならなくて結構です! どうぞ私の中に一度入ってください!」


 慌てて止める俺。雪風はホッと息を吐いて、俺の身体の中に入って行った。

 一時的に一人になった浴室で、俺は長い息を吐く。


 そりゃあんな顔になるわけだよ……、裸になれって言ってるのと同じだからな。相手が雪風で良かった。


「今のは、お互い忘れることにした方が良いと思うのです……」

「そうだな……」


 俺の身体から出てきた雪風の言葉に、俺は頷いて賛成した。


次話は日曜日です

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