九話:聖夜祭のために
図書館の庭園は、窓から見た以上に美しかった。
この庭園は帝国のものとは違い、豪奢な飾り付けがあるわけでも、計算尽くされた配置になっているわけでも、ハッと驚かされる工夫が凝らされているわけでもない。
この庭園は、帝国のお金をかけて職人が作ったものに比べるととてもシンプルだ。
踝から足首をくすぐる程度の短い草が生える草原の上に花の咲いた花壇が並び、そよ風に小さく身体を揺らしている。
澄んだ水が輝く噴水や綺麗な花のアーチなどもあったが、やはり帝国に比べると随分とささやかなものだ。
「お兄ちゃん! こっちこっち!」
だけどその方が、マリンちゃんには良いのかも知れない。
楽しそうに走り回るマリンちゃんを見て、俺はそう思った。
マリンちゃんには緻密な計算で作られた庭園の良さが分からないという話ではない。そもそも、俺だってよく分かっていないのだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵とクリスチャン・ラッセンの絵を見て、素人が思うのは「絵が上手い」ということくらいだろう。もし歴史的背景だとか技法や評価の違いだとかを語ったとしても、前日に詰め込んだ付け焼き刃の可能性が高い。
俺もマリンちゃんも庭園に関しては素人だ。俺はなんとなくこっちの方が落ち着ける、というだけだ。王女の護衛とはいえ、俺の心は一般市民。帝国の庭園は緊張する。
そしてその点に関しては、マリンちゃんも俺と同じ考えのはずだ。
「俺は何に言い訳してんだ……」
自分にツッコムという生産性のないことをしながら、俺はマリンちゃんの呼ぶ方へ向かう。
「見て見て、これ!」
マリンちゃんが見せてくれたのは、屋敷に沢山ストックのある飲み物の原料。よくグラムがお世話になっている、雲の花だった。
高所にしか咲かないはずの花が、こんな所に咲いている。もしかしてと思って魔術的な痕跡を探してみるが、どこにもない。
「結界張ったり、土いじったりしてるわけじゃないから自然に咲いてるな……。どうやってんだこれ」
「うーん……どうだろ、他に理由があるとかかな?」
俺が顎に手を当てて首を傾げると、マリンちゃんが真似をした。水溜りに写るのは、可愛いマリンちゃんと……誰だよ隣の変態。うわ、俺すっごい邪魔じゃん……。
「……水溜り?」
「お兄ちゃんとマリンが写ってるね。イェーイ!」
雲の花を挟んで向こう側に、小さな水溜りができていた。
マリンちゃんが俺の腕を抱いて、水溜りに向かってピースをする。水溜りに、笑顔のマリンちゃんと苦笑する俺が写った。
まるで新品の鏡だ。少しも歪んでいない。
「お姉ちゃんに教えてあげた方が良いかな?」
「いや、あの液体なら〈ストレージ〉に入れてあるから大丈夫だ。それにむしろ教えない方が良いと思うな」
「あの、お姉ちゃんはね? 中毒になってるとかじゃないから……えっと……」
「分かってるって。むしろグラムはよく頑張ってると思うよ。まぁでも、ちゃんと睡眠は取って欲しいけどな……」
努力家なのは良いことだが、頑張りすぎるのも困りものだ。眠気覚ましで活動限界を超えて活動するのを見てると、ブラック企業で働いてんのかって言いたくなる。
休憩できる時に全力で休憩するから、まだ倒れるようなことになっていないが、そろそろ俺たちも本気でグラムを休ませる必要があるかも知れない。
「じゃあマリンたちも一緒に休も!」
「お、そうだな。何か食べるか?」
そんな会話をしながら、ベンチに並んで座る俺たち。
マリンちゃんの希望で、〈ストレージ〉からクッキーを取り出し、一緒に食べる。
「ん〜〜! おいし〜!」
「うん、美味いな。……って、口の端に欠片が付いてるぞ」
欠片を取って、口に放り込む。
「お、お兄ちゃん……そういうことはお姉ちゃんにやってあげてよ……」
「残念ながらグラムは口の端に付けないからな」
「確かに……。これはお姉ちゃんに言っておかないと……!」
「わざとらしい未来が見える」
グラムは、演技はあまり上手そうに思えないな。
あ、でも孤児院で子供達を楽しませるため、サンタに扮していたりしたのだろうか。サンタグラムか。見てみたいな。
「そういえば、アニルレイにも聖夜祭ってあるのか?」
「聖夜祭? んー、アニルレイではしないけど、孤児院ではやってたよ? 昔にお姉ちゃんがお祭りがあった方が元気が出るって言って、それから毎年恒例なんだ!」
「そうか…………」
当時のグラムの一生懸命さが伝わってくるエピソードだ。
家族を亡くして落ち込む子供たちを元気付けるため、四方八方考えられる限りの手を尽くしたのだろう。
「…………あれ? それってやばくね?」
「?」
ふと頭をよぎった考え。思わずマリンちゃんを見ると、マリンちゃんは「?」と首を傾げた。
「聖夜祭だよ! 孤児院にとっては大切な行事なのに、お姉ちゃんたちから何もないのは流石に悲しいだろ!?」
「お、お兄ちゃん、落ち着いて……」
「ぁ、ああ……すまん」
思わず興奮してしまった。いかんいかん。側から見れば少女を襲う変態だ。
「えっと……それなんだけどね、やっぱり仕方ないよ。さっきお兄ちゃんが地図を渡してきた時にみんなで話したんだけど、ここから帰って良いかオメガさんに聞くしかないって」
「それはなんとなくだが、駄目そうな気がする……」
「うん……みんなそう言ってたし、マリンもそう思う。理由はないけどね」
俺も理由は全くないのだが、多分断られる気がする。
「何か方法は…………」
考えても、何も思いつかない。アニルレイにプレゼントを送ろうにも、届けてくれる人もいなければ、そもそも図書館にいる限り頼むこともできない。
何もないのか……?
何か案がないかと、空を見上げて考える。
青い空だ。地獄の空も青いらしい。……いや、ここだけの可能性もあるか。
いやいや、そうじゃない。
「…………ん?」
窓の向こうにベルフェが見えた。手に大事そうに何かを持っている。
その時、頭に一つの案が思い浮かんだ。
「…………もしかしたら、あるかも知れない」
次話は土曜日です




