七話:ベルフェという女性
「…………迷った」
何も考えず、ただ散歩のような気持ちでぶらぶらと歩いていたせいだろうか。気が付いたら俺は、棚一面に手紙が収納された区画に来ていた。
どちらの方向へ歩けば部屋に帰ることができるのか、そもそもここはどこなのか、全く分からない。
よくある右手を壁に当てて進む方法を使っても、本棚の周りをグルグルすることは目に見えている。
まぁ、いざとなれば〈飛翔〉使って、道を無視して進めば良いんだけど。
「…………ぁ」
と、その時、少し遠くにベルフェがいるのを見つけた。
ふわふわと浮いている二枚の手紙を優しく手に取ると、どこかへ歩いて行こうとする。
その背中に、俺は声をかけた。
「あの、少し良いですか?」
「……ん? ああ、あなたですか……。どうしたんですかね……」
「いえ、ちょっと迷ってしまったのと、何をしているのか気になって」
「……ああ、これのことですか……」
手に持つ手紙を見て少し考えた後、ベルフェは「ついてくれば、分かると思いますよ」と言って歩き始めた。
どうやら案内も兼ねてくれるようだ。
歩いている間、ベルフェは全く喋らない。眠そうに船を漕ぎながらもしっかしとした足取りで歩く姿は、なんとも不思議だ。
ベルフェの後ろを歩きながら、俺は構造を把握しようとするがすぐに諦めた。
「んと……ここです」
ベルフェが足を止めたのは、俺たちも寝泊りする部屋が並ぶ、生活用の区画。
ちなみに寝泊りする部屋なのだが、家具は全て一級品で、なんとトイレにお風呂までついている。
水属性魔石の配置の仕方を、メアが悔しそうに話してくれていた。
「ここは?」
「私の部屋ですかね。作業部屋兼寝室ってとこ」
そう言うと、ベルフェは一切躊躇うことなく扉を開け、「鍵は閉めてくださいね〜」と言って部屋に入っていく。
どうやら、男を部屋に入れることに対する嫌悪感とかはないようだ。
まぁ、サキュバスの王女であるベルフェに何かすることができる男がいるなら、是非とも見てみたいけどな。
そんなことを考えながら部屋に入り、言われた通り鍵を閉めた。
「じゃあ始めていい? いいよね、オッケーありがとー」
「まだ何も言ってないんですが……」
「私が何してるかって言うと……まぁ、簡単に言うとお節介ですよ」
「お節介?」
「うん。この手紙は今から五十年前くらいにとある男性が書かれたもので、こっちはそれから一月後に女性が書いたもの」
そう言ってベルフェは、二通の手紙を渡してきた。さっき俺が見かけた時、ふわふわと浮かんでいた手紙だ。
「男は兵士として戦場にいて、女は男の帰りを家で待っていた。二人は、もしも男が戦争から生きて帰ったら結婚しようと約束していた」
「…………」
「よくある話だけど、約束は果たされなかった。男は、手紙を出した数日後に戦死、その知らせを知った女は書いていた手紙を破り捨てて自殺した。男の手紙が届いたのは、女が自殺した数日後だった」
すれ違い、と言えるのだろうか。
お互い、相手の言葉を知ることなく、死んでしまったのだから。
「手紙は、手紙に込めた想いを誰かに伝えるもの。移動を伴うもの。だから時々、この手紙のようにお互いに会おうとする手紙が現れる。私がしてるのは、その手紙をペアとして保存するっていう自己満足ですよ」
「…………」
だから、ベルフェはお節介と言ったのか。
手紙が一緒になったところで、五十年前の二人がその手紙を読むことはないし、約束が果たされなかった過去が変わることもない。
「……俺は、それはお節介でも自己満足でもないと思います」
「…………」
「だって、手紙は想いが込められているんでしょう? なら、手紙に込められた二人の一緒になりたいという想いは、ベルフェのおかげで叶えられているじゃないですか」
お墓を一緒にしたり、名前を並べたり、それを自己満足と言う人もいるかも知れないが、俺はそうは思わない。
ましてやこの場合は、手紙自ら動いてるのだ。ベルフェの行いは、故人の想いを叶える立派な行いだろう。
「…………ありがとうございます……」
俺がそう力説すると、ベルフェは少し恥ずかしそうにお礼を言った。俺はまだベルフェをよく知らないが、赤くなった顔を逸らすなんて珍しい姿なんじゃなかろうか。
「…………」
「…………」
「あ、あの……もし良かったら、手伝ってもらえます? えと……それに地図も差し上げます。ちゃんと、全員分……」
モジモジしていたベルフェだったが、流石に何も言わないのはまずいと思ったのか、か細い声でそうお願いしてきた。
眠たげな間延びした声ではないが、緊張からか少し震えている。
サキュバスの王女であり、今はこうして人のいない図書館に住んでいる。もしかしたらベルフェは、こう見えてかなり箱入り娘なのかも知れない。
しかし、手伝いか……。いや、特に問題はないのだ。だが、俺がここに来たのは雪風のためであり、それを放ったらかしにするのはやはり良くない。
だが…………
あまりこういうことは言いたくないが、ベルフェの協力は絶対に得たい。
あのケルベロスもそうだが、ベルフェの実力は底が知れない。その上、俺では絶対にベルフェに勝てない。俺がベルフェに魅力されて操られるなんてことになったら、それこそ最悪だ。
今後、図書館付近で確実に戦いが起こる。その時、ベルフェの立ち位置が俺たちの行動を大きく左右することになる。
やはり、ジョーカーは味方に付けておきたい。ジョーカーを使う必要はない。ジョーカーが敵の手に渡らないことが重要なのだ。
「ええ、こちらからもお願いします。仲良くしましょうね」
「っ……あ、ありがとうございます……」
握手しようと手を差し出すと、ベルフェがそれを恐る恐る握ってきたので、俺も握り返す。
ベルフェはちょっと驚いていたが、小さく微笑んで、
「…………初めて、男の人と握手しちゃいました……」
「ッ…………」
流石はサキュバスの王女。
長く伸びた髪はしっかり手入れされていないせいでボサボサ、服装だって芋っぽい赤ジャージ。
ジャージが小さいせいで身体のラインが分かりやすく、臍が出ていること以外には色気も何もない格好。
それにも関わらず、そう言われた瞬間、思わずドキッとしてしまった。
「……っ、わ、私は今から寝ますんでおやすみなさい……ぐーぐー」
「…………」
かと思えば、突然パッと手を離してベッドに入り、わざとらしい寝息を立てる。
「……………………」
面白い人だな……。
次話は火曜日です




